読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『TATARA』

2023年02月22日 | 作家マ行
松本薫『TATARA』(伯耆国たたら顕彰会、2010年)

以前は黙読というか普通に読んだことがある小説も、音読で読むとまた味わいが違う。

鳥取県日野郡の根雨という町の明治から大正にかけてのたたら製鉄で生きてきた人々の息遣いをリアルに描き出している。

根雨は私が中学校卒業までを過ごした町なので、もちろん時代がまったく違うから、この小説のモデルとなっている近藤家は毎日通学のために屋敷の前を通っていただけで、近藤家の人とはまったく縁がなかったけれど、登場人物たちが生きている現場をリアルに思い描くことができる。

根雨の町は南北に伸びていて、町の真ん中を出雲街道が通っている。その一番北側に今はJRの根雨駅がある。その少し北側の踏切を渡ったところに日野川があり、その向こう岸が「舟場山たたら」として小説にでてくる舟場がある。その道を上がっていったところが二部の「福岡山たたら」になる。

根雨駅に戻ってくると、その向かいに私の卒業した根雨小学校があった。ここは現在は町役場と文化会館になっている。この小学校の裏手には生田弘治(長江)が漢籍を習っていたとして小説にも出てくる延暦寺がある。大きな銀杏の木があるのが目印だ。木造二階建てだったこの根雨小学校にもいろんな思い出がある。

ここから南に下がると山陰合同銀行の支店(これは文化財として登録されている)があり、さらに南に下がると町に唯一の本屋(窪田書店)がある。ここは私が中学生の頃にはたびたび出入りしていたが、いまはどうなっているのだろうか?

さらに南に下がるとかつてはバスのロータリーのような広場があり、その東側の裏筋あたりには、これまた唯一の映画館があった。頻繁に映画に行ったわけではないが、祖母に連れられて何度か観に行った記憶があるから、私が小学校に上がるころには閉館になったのかもしれない。

出雲街道に戻って南下すると生協の店があり、その横の坂を上がると公会堂がある。これはこの小説の最後あたりで嘉一郎が根雨にいろんな文化を育てる活動を行なった例の一つとして挙げられている。公会堂の横には保育園があったのだが、いまは空き地になっている。

公会堂は、私が子供の頃は、赤痢が集団発生したときに隔離所になっていたというような記憶しかないのだが、今では「日野町歴史民俗資料館」となっている。こちらでその紹介を見ることができる。近藤家9代目当主の登志夫さんが紹介している。

出雲街道に戻ると生協のすぐ南には模型屋があって、文字通り狭い通路の両側いっぱいにプラモデルやその道具類などがぎっしり詰まった店があった。私には宝の山のように見えた。

この前を直角に西に折れて進むと、私の叔父さんがやっていた魚屋があり(毎朝一番列車で米子まで買い出しに出ていた)、そこを通り過ぎて橋をわたると、根雨神社がある。昔は秋祭りなども行われ、私も小道具をもってねりあるいたものだ。

さらに南下すると多武峰がある。私はずっとこれを「塔の峰」と思っていたのだが、この小説でも多武峰と書かれているからそうなんだろう。小高い丘の上に日露戦争の犠牲者の慰霊塔がたっている。私の母も終戦直後にここにハイキングに来た時の写真をもっているくらいだから、年に一・二度はハイキングに来たのだろう。

出雲街道に戻って南下すると私がいつも髪の毛を切ってもらっていた散髪屋さんがあり、その前のY字路を入ると根雨中学校があった。いまはもうなくなって介護施設の敷地になっているようだ。

そうそう肝心なことを書き忘れていた。この小説のたたらの近藤家の屋敷は、先ほどの生協の店の前を南下したところにある。もちろんこれは現在でも残っている。私が小学生のころは毎日この前を通って通学していた。一度、突然の雨と雷で、ちょうど近藤家の屋敷の軒下で雨宿りをしているときに、目の前にに雷が落ちたことがあった。近藤家というといつもこれが思い出される。(どうでもいい話だが)

この小説もNHKあたりで大河ドラマとは言わないまでも金曜夜の歴史ドラマにしてくれたらほしい。

『TATARA』の以前のブログはこちら

根雨を紹介している動画はこちら


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ChatGPTというAI | トップ | こりゃだめだ! »
最新の画像もっと見る

作家マ行」カテゴリの最新記事