読書な日々

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『壊れた魂』

2023年09月30日 | 作家マ行
水林章『壊れた魂』(みすず書房、2021年)

どんどん読み進みたいけれど、終わりが来てほしくないというアンビバレントな感情を引き起こす至福の読書経験をまた味わった。

久しぶりの水林章の本であり、しかも今度はルソーとか18世紀フランスの研究書ではなくて、なんと小説。

いつも難儀しながら読む水林章が、こんなにスラスラ読めていいんだろうかと思いながら、そうだこれは小説なんだと気付く。

水澤礼=ジャック・マイヤール76歳の日本出身のフランス人は、日中戦争開始直後の1938年の東京で、父親が密かに謀議をしていたとして治安維持法犯罪の嫌疑を掛けられて逮捕投獄され、死去するという経験を生きてきた。

その時に踏みつけられて破壊された父親のヴァイオリンを拾い集めた礼は、それを父の形見と思い、ヴァイオリンの製造と修理をする職人となることを目指した。この出来事の直後にフランス人フィリップ・マイヤールに助けられて、養子としてフランスにわたり、そこで成長する。

小説としてはそれほど完成度の高いものとは言えない。なんかこれはどっかで聞いた話だなとか、見た話だなという話の展開が多いこともある。

例えば、弦楽四重奏の練習をしていた父や中国人たちのところへやってきて乱暴狼藉を働いて父のヴァイオリンを破壊し、連行していた軍人の田中伍長と、彼と対照的に文化や音楽に理解がある彼の上官の黒神中尉の対比、これなんかも、映画『線上のピアニスト』のユダヤ人ピアニストを助けたドイツ人の軍人を思わせる。

そして彼らが練習していた四重奏曲がシューベルトの『ロザムンデ』だとか(ユーチューブで聞こうとしたら、「いまAkira Mizubayashiを読んでいるところ」とか『壊れた魂」を読んでこれを聞きにきた」というコメントがいっぱいで思わずニヤリとした)、父の悠が黒神中尉に聞かせたのがバッハの無伴奏パルティータ第3番というみんな知っているやつだとか。

フランス人の養子になった礼が父のヴァイオリンの修復に一生をかけるつもりでヴァイオリン制作の修行の道に入って、知り合ったフランス人女性のエレーヌが弓の職人修業をしていて、せっかく仲良くなった頃に、自分を置いて一人でさらに修行のためにクレモナに旅立つ決心を告げられる場面は、まるで月島雫と天沢聖司の関係を彷彿とさせる。

さらには父が逮捕されたときに一緒に練習をしていた中国人女性のヤンフンが手紙をくれて60数年ぶりの再会を果たし、その時の状況を知ることになる。

そして父に理解を示しながらも軍人として何もできなかった黒神中尉の孫が世界的なヴァイオリニストになって礼と出会うことになり、黒神中尉の慚愧の思いを知ることになり、さらに礼が修復を何年もかかってやっと終えた父のヴァイオリンをこの孫の美都理がコンサートで演奏し、アンコールとして『ロザムンデ』と無伴奏パルティータ第3番を演奏する。

ここで一つの円環が閉じる。あたかも予定調和のごとくに。人間の尊厳を踏みにじる軍国主義への作者の怒りがフツフツと感じられる。

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