読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『聖骸布の仔』

2009年02月23日 | 現代フランス小説
コヴラルト『聖骸布の仔』(中央公論社、2006年)

『片道切符』でゴンクール賞を受賞したコブラルト(コヴラールと表記してあることが多い)の最新作で、あの竹下節子さんが翻訳をしているので、これはこれはと思いつつ読んでみた。竹下さんといえば「バロック音楽はなぜ癒すのか」のことをここでも何度か触れているが、私ももとから音楽が専門の人かなと思っていたのだが、音楽は余技みたいなもので、専門はカトリック史、エゾテリスム史なのだ。だから十字架に磔にされて殺されたイエスが三日目に復活したときに墓の中に残されていた遺体をくるんだ亜麻布についていた血痕から取り出したイエスの血液をもとにしてイエスのクローンが作り出され、そのクローンを政治的に利用していこうとするアメリカの大統領周辺の動きを描いたこの小説の翻訳は、竹下さんをおいてほかにはなかっただろう。翻訳の話はどうも竹下さんが出版社に持ち込んだ話のようでもある。

この小説の元になっている聖骸布というのは、イエスの遺体を包んでいた亜麻布のことで、そこにはイエスが流した血のあとや全身のシルエットが残されていたことから、この亜麻布が聖骸布として、いわゆるキリスト教のさまざまな聖遺物のなかでも最高度に重要なものとみなされている。多くの画家が描いてきたイエスの顔もこの聖骸布に映写されたように残っていたものをモデルにして描かれてきたらしい。この小説の中でもこのシルエットにイエスのクローンとされるジミーの顔を重ね合わせてみているが合わないなどという会話も出てくる。

聖遺物というのはいろんなものがあるようで、たいていの大きな教会や大聖堂にはなにかしらの聖遺物が安置されている。もともとキリスト教は、巨木とか巨岩などを信仰の対象とする日本の神道なんかとはちがって物質崇拝を拒否したところに成り立っているので、聖遺物などを信仰の対象とすることはないのだが、人間というもの目に見えるものを信仰の対象にするほうが楽なのだろう。

で、この小説ではこの聖骸布に残されていた血痕から取り出したイエスの血液をもとにしてイエスのクローンが作り出されるという話が出発点になっているのだが、もちろん結論からいえば、このクローンによってできたジミーは、じつはある負傷した植物人間になった美人女性兵士を看護師がレイプしたことで生まれた子で、彼がイエスのクローンだと思わせるために彼が女性のくじいた足を治したとか自動販売機からドーナツがお金を入れなくても出せたとかそのほか奇跡を起こしたかのように見せかけるための裏工作がなされていた。

まぁ大方の読者はそんなことは現実にはありえないということは承知の上で読んでいると思うのだが、ではなにが面白いのかといえば、2030年頃の近未来として設定されている世界とりわけアメリカが嘘のクローンをつくってイエスの再来を偽造しなければならないほどに終末的な様相をしめしているということだ、あたかも宗教――キリスト教の没落と期を一にするかのように。そこで聖骸布から復活したイエスとしてジミーを利用しようとするアメリカ政府内部の動きが出てくる。

読みようによっては、ダン・ブラウンばりの政治的科学的サスペンス読みものにも見えるが、ほんとうは宗教と科学、宗教と政治といった問題圏のなかに一石を投じようというようなたくらみがあったのだろうと思う。ただ、どうもそういった問題にうとい読者の一人である私にはやはりどこでイエスのクローンという話が嘘だったと暴露されるのかというところにしか興味が向かわなかったのも確かで、上のような問題圏を射程に入れた論評というものも読んでみたいと思わせる小説であった。

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