去る22.23日(2014.2月)は、鬼怒川温泉で「仏壮の研修会」でした。といっても23日は日曜で朝10時から法事出勤のため、朝一の帰宅でした。講師は私と宮崎幸枝さん。私に与えられたテーマは。「ご門主のご消息を拝して」の質問に答えるものです。
宗祖の時代(鎌倉時代)は、手紙のことを消息といい、手紙の呼称は、江戸時代初頭前後のようです。蓮如上人の時代(室町)は、「文」(ふみ)と言っていましたが、正式には学文などの通信を「文」といい、動静や様子を伝える私信は「消息」と言っていたようです。
ご門主のご消息について、あらかじめ質問をもらっておいて、それに回答する方、「1時間30分、西原さんの自由に…」と言われていたので、そのつもりで行ったら、基調講演40分と質疑応答で1時間でとのことで、それに近い形で行いました。
頂いた質問に下記のものがありました。
「消息を拝しての」疑問に“『大無量寿経』は本願が説かれているから「真実」の経典、あらゆる者を救いとる教えこそ「真実」の教えである、等、仏教的な「真実」の意味が、現代の常識では推測が難しい。真実の言葉の壁に阻まれ、残念な思いをしています。仏教でいう「真実」について教えて下さい。”
というものです。おっしゃる通り、伝える側(僧侶など)は、真実を自己領解のもとに言葉にしますが、聴いている側は、「真実(?)何のことやら…」です。
真実の用語は、一般社会で使う場合、科学分野で使う場合、哲学、文学、宗教、その分野分野によって意味内容が違うのが現実です。“知っているつもりの言葉”が真宗を不可解なものにしているというご意見です。
先日読んだ『日蓮宗新聞』(2014.1.20号)に、天皇陛下が水俣市でおっしゃっておられた言葉が紹介されていました。良い内容なので転載します。
人権を考える 山田妙眞
昨年10月27日、熊本県を訪問中の天皇、皇后両陛下は初めて水俣市を訪れ水水俣病患者とご懇談された。患者の多くが差別を恐れて病気を隠してきた実態を聞かれた天皇陛下は、「真実に生きることができる社会をみんなで作っていきたいと改めて思いました」と約1分間にわたって思いを語られた。(翌28日付朝日新聞掲載)
このご発言は予定外であり、事前に「お言葉」が用意された行事以外で、天皇陛下がこように時間をかけて思いを口にされるのは異例であると書かれていた。
私は小学校教諭時代、水俣病を公害病の一つとして小学校4年生に教えていた。社会科の授業の中では、患者さんの病状や水俣病の原因が工場から流され続けたメチル水銀であるということを教えていた。教科書には、病に冒されたわが子を「宝子」(たからご)と呼び、大きくなったその子を抱き抱えて一緒に入浴する母親の姿が載っていた。
それから旱30年が経過している。いつの間にか過去の事実のように思い込んでいた。しかし2年前に水俣病資料館を見学したとき、現在も苦しみ続けている方々がおられることを知った。私自身どこまでこの水俣病について理解して、指導に当たっていたのだろうと今更ながら反省させられる。
1956年5月に初めて公式に確認された水俣病が、公害と認定されたのは1968年9月である。
この間にも患者さんたちは奇病や伝染病と誤解され、就職や結婚を拒否されるなどの差別を受けた。また農水産物も水俣の名では売れないなど、水俣を敬遠する風潮が広まった。
(以下省略)
陛下の「真実に生きることができる社会をみんなで作っていきたいと改めて思いました」とおっしゃれる真実とは“誠心誠意生きようとする人が、そのまま受け入れられていく”といったほどの意味であろうと推測しますが、このように真実の言葉が氾濫しているのが現代です。
その中で真実を知っている側になって語るのではなく、浄土真宗の真実と何かを丁寧に語る必要があるのだと思われます。
参加者は310人、私の本も56冊も売れました。
宗祖の時代(鎌倉時代)は、手紙のことを消息といい、手紙の呼称は、江戸時代初頭前後のようです。蓮如上人の時代(室町)は、「文」(ふみ)と言っていましたが、正式には学文などの通信を「文」といい、動静や様子を伝える私信は「消息」と言っていたようです。
ご門主のご消息について、あらかじめ質問をもらっておいて、それに回答する方、「1時間30分、西原さんの自由に…」と言われていたので、そのつもりで行ったら、基調講演40分と質疑応答で1時間でとのことで、それに近い形で行いました。
頂いた質問に下記のものがありました。
「消息を拝しての」疑問に“『大無量寿経』は本願が説かれているから「真実」の経典、あらゆる者を救いとる教えこそ「真実」の教えである、等、仏教的な「真実」の意味が、現代の常識では推測が難しい。真実の言葉の壁に阻まれ、残念な思いをしています。仏教でいう「真実」について教えて下さい。”
というものです。おっしゃる通り、伝える側(僧侶など)は、真実を自己領解のもとに言葉にしますが、聴いている側は、「真実(?)何のことやら…」です。
真実の用語は、一般社会で使う場合、科学分野で使う場合、哲学、文学、宗教、その分野分野によって意味内容が違うのが現実です。“知っているつもりの言葉”が真宗を不可解なものにしているというご意見です。
先日読んだ『日蓮宗新聞』(2014.1.20号)に、天皇陛下が水俣市でおっしゃっておられた言葉が紹介されていました。良い内容なので転載します。
人権を考える 山田妙眞
昨年10月27日、熊本県を訪問中の天皇、皇后両陛下は初めて水俣市を訪れ水水俣病患者とご懇談された。患者の多くが差別を恐れて病気を隠してきた実態を聞かれた天皇陛下は、「真実に生きることができる社会をみんなで作っていきたいと改めて思いました」と約1分間にわたって思いを語られた。(翌28日付朝日新聞掲載)
このご発言は予定外であり、事前に「お言葉」が用意された行事以外で、天皇陛下がこように時間をかけて思いを口にされるのは異例であると書かれていた。
私は小学校教諭時代、水俣病を公害病の一つとして小学校4年生に教えていた。社会科の授業の中では、患者さんの病状や水俣病の原因が工場から流され続けたメチル水銀であるということを教えていた。教科書には、病に冒されたわが子を「宝子」(たからご)と呼び、大きくなったその子を抱き抱えて一緒に入浴する母親の姿が載っていた。
それから旱30年が経過している。いつの間にか過去の事実のように思い込んでいた。しかし2年前に水俣病資料館を見学したとき、現在も苦しみ続けている方々がおられることを知った。私自身どこまでこの水俣病について理解して、指導に当たっていたのだろうと今更ながら反省させられる。
1956年5月に初めて公式に確認された水俣病が、公害と認定されたのは1968年9月である。
この間にも患者さんたちは奇病や伝染病と誤解され、就職や結婚を拒否されるなどの差別を受けた。また農水産物も水俣の名では売れないなど、水俣を敬遠する風潮が広まった。
(以下省略)
陛下の「真実に生きることができる社会をみんなで作っていきたいと改めて思いました」とおっしゃれる真実とは“誠心誠意生きようとする人が、そのまま受け入れられていく”といったほどの意味であろうと推測しますが、このように真実の言葉が氾濫しているのが現代です。
その中で真実を知っている側になって語るのではなく、浄土真宗の真実と何かを丁寧に語る必要があるのだと思われます。
参加者は310人、私の本も56冊も売れました。