仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

感謝の集い

2014年02月14日 | 都市開教
一昨日(26.2.12)“新門様感謝の集い”が築地本願寺(式典)とザ・プリンスパークタワー東京(懇親会)が開催されました。

350人参集され、賑々しく開催されました。その折、参加者に「築地本願寺新報特別号“”明日に向かってー新門様の確かな歩みー」(カラー38頁)が配られました。これは後日、広く配布されることだと思います。新門主の個人的な考えや思いが前面に出ていて、読みやすく意味のある特別号です。

その中から、言葉をピックアップして記録にとどめます。

それに対して現代の日本では、私のいのちがいつどうなるかわからないということは親鸞聖人当時と同じですが、そのことが実感されにくくなっています。そして、少子高齢化社会や格差社会といわれる社会構造の中での孤独や孤立というように、まったく違った問題を抱えています。そうした中で、親鸞聖人の説かれたみ教えも、受け止め方が違ってきているのではないかと思います。み教えをどのような言葉で伝えれば、現代の問題を抱えて生きる人に届くのかを問わなければなりません。現代は、親鸞聖人の時代とは状況が大きく違います。人間の本質は変わらないとしても、生きている社会が違うのですから、時代に即応した形で、丁寧に伝えることに留意しなければなりません。


どうすればまだ浄土真宗にご縁のない人に、お寺へ足を運んでいただけるか。いろいろな行事、イベントを通してきっかけを作ることがまず大事です。そして、だんだんに来ていただいた人がご法話を聴くように導いていくのです。そのためには、お寺が、そこに来た人が安心できる場所、居心地が良い場所であってほしいと思います。


首都圏ではお寺の絶対数が少ないといわれます。私もその通りだと思いますが、例えば若い世代に多いのですが、家というのは、夜帰って寝るだけの場所というケースもあります。そうした人々を対象にした施設お寺の機能の一部を持った施設を職場が多くある都心部に設けることも必要だと思います。
 同時に、年配の方、身体が不自由な方、小さな子どもさんがおられる方などは、あまり遠くへは行けませんので、従来型の地域のお寺・布教所も必要だと思います。人々の働き方、生活の仕方が多様化していますので、それに合わせて多様な方策が必要だと感じています。



 お寺とご門徒のあり方を考えますと、家の宗教ではなく個人の宗教として考えなければなりません。その上で、家庭の中で代々相続されていくことが望ましいでしょう。社会が多様化している中で、若い方から高齢の方まで同じご法話を聴いていただいて、全員がよくわかりありかたいと感じる、というのは無理だと思います。一つの行事に三世代揃ってお参りくださいというのも、難しくなっていると思います。時代に合わせた世代別の取り組み、いろいろな方を対象にした取り組みが必要です。
 
一つの行事にたくさんの方に来ていただくのではなく、少人数向けの行事を数多く行うことが必要になってきます。そうなると主催する側も少人数ではできません。僧侶と寺族だけでなくご門徒も含め、多くの方の協力が不可欠となります。結論としては、多様な方法で個人個人への働きかけをしていくことしかないと思いま


ご門徒の家に生まれても、出身地を離れてしまうと、お寺とのご縁が切れてしまう方が少なくないのではないかと思います。無宗教の人が多いといわれる原因は、檀家制度というか、お寺との関係が個人ではなく家だったことにあると思います。今後は、個人への働きかけを強くしていかなければ、と考えています。
(以上)

こうしてお言葉をピックアップしてみると、当然といえば当然ですが、檀家制度の強い地域であっても、都心でも、個人に対しての働きかけが重要であるということです。
コメント
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