仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

障碍者は可哀想な人?

2014年02月17日 | 現代の病理
宗教業界新聞『中外日報』(2014.2.8号)にお関西大文学部総合人文学科比較宗教学専修教授の小田淑子氏が、“イスラームと障碍者”というタイトルと、イスラーム社会において障碍者がどのように社会から見られているのかを書いておられました。


日本では、伝統的に障碍を因果応報の結果と捉えたり、家の恥として人目に触れることを避けたり負の人間として見られる文化が際立っています。イスラームにおける障碍者の捉え方は次の通りだそうです。(以下紙面より転載)

1.宗教によって違う苦悩の捉え方

 イスラームでは抻の予定が神、天使、啓典、預言者、来世(終末)と並ぶ六信の一つである。幸運も日々の無事も不運も、事故や訶、非業の死もすべて神の予定として受けとめる。障碍もまたしかりである。輪廻を認めないイスラームでは、不幸や障碍を前世の因縁とすることはなく、また神の罰の結果だとも考えない。当事者も周りの人々も障碍などの原因を追及せず、孤児の境遇も障碍を負う人生も神の予定の出来事として受け入れる。そのように受けとめれば、障碍を恨み、恥ずかしく思う必要はない。ムスリムのすべきことは、彼らの社会生活を支援することである。イスラーム社会では民衆にもそのような意識が根づいていて、まったく差別がないとは断言できないが、障碍者が自らを恥じて卑屈になることはない。日本人の感覚からすれば、自分自身や身近な人が病を苦しみ、障碍を負い、悲惨な事態に陥った場合に、それを神の予定として淡々と受け入れるのは優れた宗教者には可能でも、普通の人にはできない、なぜそうなったのかと問わずにいられないと思う。だが、ムスリムはそうしない。悲惨や苦悩に面した人間の感情は古今東西変わらないと思いがちだが、苦悩をどう捉えるかは宗教により説明が異なり、対応の仕方にも相違が生じる。(以上)

日本では障碍者自身、また周りの人が障碍者をかわいそうな人とみる文化が確かにあります。この文化が問題です。これは死についても同じです。死ぬことは敗北であり可哀想な人という視線が、その人自身の死を受け入れなくさせてしまうのです。死は自然なことであり、尊敬に値する出来事でも有り得る。
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なぜ葬儀をするのか

2014年02月17日 | セレモニー
『月刊住職』(2014.2月号)で武田至氏が葬儀の役割を5つ上げたおられました。この5つは、葬儀社の、あちこちのHPにも掲載されているところを見ると、すでに常識的に扱われているようです。その5つの役割は、次のものです。

1.社会的な処理(社会的な役割)
2.遺体の処理(物理的役割)ん。
3.霊の処理(文化・宗教的役割)
4.悲嘆の処理(心理的役割)
5.さまざまな感情の処理(社会心理的役割)
(以上)

5つの役割の出どころは、「葬儀概論」 碑文谷 創 著(表現文化社)で、これに右に倣えをしているようです。

「葬儀概論」によると、3番目の「霊の処理」とは、死の意味づけと故人と残された者との新しい関係づけのことで、多くは儀礼を通して行われます。

5番目の「さまざまな感情の処理」とは、社会的な意味の祟りや死者の鎮魂のようです。

「葬儀概論」では、この5つは、「葬儀はなぜするのか」の項目にあり、次に項目に「葬儀の教育的役割」、そして「葬儀と文化」「葬儀の意味の再構築」と続いています。

「葬儀概論」は、葬儀社向けの本なので、“葬送を司る者のこころえ」的な視点で書かれていますが、各宗派の視点で、「葬儀はなぜするのか」の項目にあり、次に項目に「葬儀の教育的役割」、そして「葬儀と文化」「葬儀の意味の再構築」を考え、伝道や聞法の機会とすべきでしょう。

ちなみに本願寺派法式規範には次のようにあります。
 
葬儀は「人生の終わりに臨んで、永年お育てにあずかったご本尊にたいするお礼の勤行である」とそして、「人生最後の大切な別離の儀式であるから、厳粛に執行すべき」であり、「故人に対する追善回向の仏事や、単なる告別の式ではなく、遺族・知友があいつどい、故人を追憶しながら、人生無常のことわりを聞法して、仏縁を深める報謝の仏事」として、「これを主宰する僧侶は、生死出ずべき道を自らに問い、威儀をととのえ、正規の勤式を実践して、衆目の範を示すべき」とあります。また「いたずらに華美に流れず、清楚簡略のうちにも荘重になすべき」で、「各地に行われている誤った風習や世俗の迷信にとらわれないように心がけねばならない」。
「葬儀の勤式は、第八代蓮如宗主の葬儀次第に準拠し、伝承されてきたものであり、他宗で言う、引導をわたすことではない。道俗ともに、念仏読誦して故人を偲び、これを縁として、仏恩報謝の懇念と、哀悼の意を表す儀式」と規定されています。

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