仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

妄想を生きる

2014年02月02日 | 苦しみは成長のとびら
「観経疏」に「これ経教はこれを喩ふるに鏡のごとし。しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧を開発す」とあり、またお説教でも鏡の話を良く聴きます。

人は“自身を見る”という精神的な成長は、人から知らされたり経典を読んだりという外部要因によってもたらされるのだなーとある本を読んでいて回想しました。

ある本とは『情緒発達と看護の基本』(MCメヂィカ出版)で、その本の中に、次のように説かれていました。

欲求不満という苦痛

 母親は,成長に伴って人きくなる赤ん坊の要求に,いつまでも応えられるわけではない.時には,母親の乳房は空っぽになってしまい,赤ん坊が望むだけの乳が出ず,赤ん坊の空腹が満たされないということもある.このような経験は,乳房は自分の思いどおりになるという万能感をもっていた赤ん坊にとっては,人生で初めての挫折体験となる.
 白分の空腹感を満たしてくれる乳房に,赤ん坊は満腹感とともに至福感を投影し、それを[良い乳房]として経験する.ところが,思うように自分の空腹感を満たしてくれない空っぽの乳房が現れるとき,この満足感を与えてくれない乳房に,赤ん坊は怒りや不安を投影レ[悪い乳房]として赤ん坊の中にイメージ化される.この[悪い乳房]は,空腹感が引き起こす苦痛や不安と結びつき,赤ん坊を脅かし迫害するものとして体験されるのである.しかも赤ん坊は,白分かおっぱいを求めれば求めるほど,良い乳房が空っぽになり悪い乳房に変わってしまうことを知る.そこで,赤ん坊は自分の愛が対象を破壊するという不安を抱くようになる.これが妄想分裂態勢の不安の特徴である.

スブリッティング(分裂)

 赤ん坊にとっては,一つであるはずの母親の乳房が、その時々によって,良いにゅ乳房になって現れたり悪い乳房になって白分の目の前に現れる.赤ん坊は,「良い乳房」を体験しているときには快い感情を,「悪い乳房」を休験しているときには不快な感情を抱いている.このように,同一の対象に対して異なる二つの感情が同時に存在する状態をアンビバレンスというが,まだ未熟な赤ん坊は,アンビバレンスが引き起こす不安に耐えることができない。その結果,赤ん坊は本来一つであるはずの母親の乳房を,実は良い乳房と悪い乳房のとつがあるのではないかと錯覚してしまうのである.この状態をスプリッティングという。この時期の赤ん坊は,良い乳房が与えてくれる万能感,悪い乳房が与える被害的な不安や無力感との間を行き来する.いずれも錯覚に基づいているため,このような状況を体験している心理状態を,クラインは妄想分裂態勢と呼んでいる(以上)

この赤ん坊の体験、外部に「良い乳房」と「悪い乳房」あるという体験からくる不安や妄想を、大人になっても、その思いに引きずられて過ごしているのが人間のようです。本を読みながら同時に、幼児体験のすごさを思いました。
コメント
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