『我々はどのような生き物なのか 言語と政治をめぐる二講演』(岩波書店・2023/5/16・ノーム・チェムスキー著)
著者のチェムスキーは、1950年代にまったく新しい言語理論を提案して言語学の世界に革命を起こしたといわれる方です。本書は2014年にチョムスキー教授が来日して上智大学で行った、言語と政治に関する2つの講演と、質疑応答を記録したもの。人物評を本の中から転載します。
人間性の根源としての言語--==科学者としてのチョムスキー
チJムスキーの言語学者としての最大の貢献は、長い問その存在が疑われもしなかった(にもかかわらず、整合性がある概念かどうかさえも実際には明確でない)客休としての言語」から、人間が言語を獲得し話せるようになる能力へと言語学の研究対象を大転換し、そのことによって言語の研究を人間の「心・脳」の研究の中核に位置づけたことにある。
二〇世紀における科学の二大発見として、しばしば(量子力学に代表される)[原子]と(DNAの二重螺旋構造の発見を端緒とする)「遺伝子」と並んで「心・脳」の研究がが挙げられるが、人間の心・脳の科学としての「認知科学」誕生に際してチョムスキーが行なった貢献は決定的であり、このことは、彼がほぼ独力で創始し、数多くの言語学者がその発展に責献してきている生成文法理論のその後六〇年に亘る技術的な展開をどう評価しようとも否定することは出来ないであろう。
(中略) そして、もし生成文法が主張するように、言語学の対象が、人間がその心・脳の内部に持つ言語を獲得し話せるようになる能力(言語機能)であるとすれば、そのような能力は脳において(どの程度の局在性を示すかは別として)何らかの形で実在するはずである。言語学とは、その実在する言語機能が示す特性、その構造と機能に関する学問分野であることになる。つまり、生成文法の基本的想定を認めれば、言語学とは、アメリカ構造主義言語学が想定していたような、データの分析方法をひたすら洗練させる「分析手続」の学問ではなく、人間の外に措定される社会的規約などの研究でもなく、ヒトという生物種がその形質として持つ生物学的特性に関する研究であることになる。
チEムスキーが、言語学とは人間生物学の一部であると主張するのは、まさにこういう意味合いにおいてである。進化の過程で、何らかの原因によってヒトという種の脳内に「人間言語を話す能力」が生じ、それが人間独特の思考の基礎になった。さらに、脳内の言語能力が他の認知機構や感覚運動システムをして人間の
外に外在化されたものが、我々がにする目にする「言語行動」である。
こう考えると、言語本体は脳内に深く埋め込まれており、人間の思考、理性、自然数の概念、等々と根元のところで結びついている一方で、言語の主な機能としてしばしば言及されるコミュニケーシJン(社会的相互作用)などは、言語が外在化された結果の(言語そのものにとっては)副次的現象であることになる。言語の本質とコミュニケーションを結びつける発想は、つまるところ目に見える現象に引っ張られた錯覚に過ぎないと言ってもよい。これは大方の言語観からすると実に意外な構図であるが、チョムスキーが自分の仮説を支持するために用意した周到な経験的議論は極めて説得力に富み、下位仮説の妥当性は別として、少なくとも言語研究を認知研究の一部として位置づける基本的な発想に関しては、もはや公の反論は聞かれなくなっていると言ってもよいと思う。(つづく)