仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

謹賀新年

2024年01月01日 | 浄土真宗とは?

例年のことですが、6時からの勤行後、世話人の車に乗車して我孫子市手賀沼大橋からの初日の出見・午前7時、初日の出(写真)、帰りは歩いて1時間20分、毎年のことですが、今年は寒風のなかの1時間20分、くたびれました。昨夜の飲み過ぎか加齢かさだけではありませんが、毎年同じことをしていると。自分の側の変化に思いが及ぶということがあるようです。

 

本願寺新報正月号、4編、私の法話が掲載されました。順次ご紹介します。

 

  • 帰ってゆくべき世界は 今遇う光によってしらされる

 

父は、島根県に生まれた。当時島根大学の教授であった川上清吉(1896~1959)先生から教えを受けている。東京へ出てきてからも、励ましの手紙を何通ももらっている。
 最後のハガキは、お連れ合いの川上ミツさんからの死亡通知だ。「川上清吉儀、去る6月1日午後4時、無事浄土往生いたしました」とある。

 清吉師の直接の死亡原因は、がん疾患だった。告知を受けた日の清吉師の日記に、次のようにある。
【今日、胃の調子が悪いので友人の医者の所へ行った。そしたら友人いわく、見るなり「こりゃ癌じゃ」。友人だからまったく遠慮がない。私は聞いた。「あとどれくらい生きられるか」。「まあ、半年だ」といった。「まあ、そらあ忙しくなったなあ」といって帰った。夜、日記を書く時思った。まるで人ごとのように思って私は受け止めている。世間では癌というとショックを受けるというが、私はなんとも思わなかった。家内に言ったら泣くだろうから、家内には言うまいと思った。お寺さんだけにはいおうと思った。
 なぜ、こんなに平生でいられるのかと思った時、やっと今、寝る前に気がついた。日頃、長い聴聞のお蔭がここに出たんだなあと。嬉しさに涙が出た。】

「嬉しさに涙が出た」とある。「帰ってゆくばき世界がある」ことへの信心の喜びだろう。

「帰るべき世界がある」と思える。ここに阿弥陀さまがはたらいている証がある。その阿弥陀さまは、無量光仏とも讃えられ、如来の存在を知らせる光の仏さまだ。この一年、この光の仏さまを聴聞できることを慶ぶ。

コメント
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