仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

言葉が現実をつくる①

2015年05月13日 | 日記
2年ほど前に、「人間が未来を考えことができるのは、おそらくそれは言語能力を獲得して得た機能であり、脳卒中などで失語症になると、最初に「未来時制」(日本語にはないが英語のウイルと使う語法)が話せなくなる。」ということを紹介したことがあります。

「未来は言葉によって概念化されるので、言葉を失うと未来を思うということがなくなるといわれている」ということです。なぜ言葉を失うと未来を考えることを失うのか。そのことについて、図書館から借りてきた『面白くて眠れなくなる社会学』(爪橋大三郎著、PHP)に、その回答らしきものが掲載されていました。

言葉によって人びとは同じ意味を共有することができ、物を指し示すことばによって、実際のそのものがなくても感がることができます。下記は、『面白くて眠れなくなる社会学』より転載です。

言葉が現実をつくる
 
 言葉には、執行(パフォーマテイブ)という性能があります。 どういうことかと言うと、言葉は、世界を記述しているだけではなくて、世界をつくり出し、現実をつくり出すというはたらきがあるのです。 …
 例その一、命令。「あっちへ行ってろ。」
 「あっちへ行ってろ」つていう言葉に対応する現実は、ないわけです。あんたはここにいて、私はここにいて、記述だったら、「二人がここにいます」です。「あっちへ行ってろ」つていうのは、それと違って、命令です。
 命令というのは、発話者の意思なんですけれど、命令である以上、まだ実現していません。それを意思として相手に伝え、それをきいたら、新しい現実(あんたがあっちへ行くということ)が、生み出されます。世界かある→言葉かおる、のではなくて、言葉かある→世界かある、なのです、命令の場合。(続く)
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