車で放送大学「死生学入門」を聴いていると、今年一年の講義について主任講師が語っていました。その中に、なぜ今、死生学なのかという理由づけで次のように語っていました。
戦後から場仏期までの時代は、戦中戦前の死を美化したり、死が日常的であった時代.
その反動で、戦後、高度成長もあって、死は敗北といった医療界をはじめ、死をタブーとする時代が続いた。死を考えることは、歴史的にみて日本の伝統であり、前後からバブルまでの時代が、異質であった。(意趣)
とありました。
そう言われれば、そう思われます。バブル期までの日本は、異常に死をタブーとする社会が続きました。
では現代はと言えば、生にも死にも、しっかりとした意味を見出せない時代です。昨日、引用した名越康文氏の本に『どうせ死ぬのに なぜ生きるのかー仏教心理学講座』といった本が流行っていきそうです。
戦後から場仏期までの時代は、戦中戦前の死を美化したり、死が日常的であった時代.
その反動で、戦後、高度成長もあって、死は敗北といった医療界をはじめ、死をタブーとする時代が続いた。死を考えることは、歴史的にみて日本の伝統であり、前後からバブルまでの時代が、異質であった。(意趣)
とありました。
そう言われれば、そう思われます。バブル期までの日本は、異常に死をタブーとする社会が続きました。
では現代はと言えば、生にも死にも、しっかりとした意味を見出せない時代です。昨日、引用した名越康文氏の本に『どうせ死ぬのに なぜ生きるのかー仏教心理学講座』といった本が流行っていきそうです。