仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

問いの発見

2015年05月12日 | 苦しみは成長のとびら
『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』と問われると、その流れで答えを考えてしまします。

しかしこの問いには、すでに問い自体が持っている主張があります。この問いを丁寧に言うと、次のようになります。
「どうせ死んで何もなくなるのだから、無くなってしまう生を、なぜ生きるのか」ということです。
反論としては「死んだら何もなくなると、だれが決めたんだ。あんたの価値観を押し付けないでくれ」ということです。
しかしそれはそれとして「生きるってことは、どういうことか」という問いかけは意味があります。

20代の頃、築地本願寺に勤務していて、宗派の事務処理資格試験を受けたとき、同じような設問がありました。小学生から『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』と問われました。その問いに回答せよという内容でした。

その時私は、「君はすごいこと問うたなー。その問いは、お釈迦さまが問い、親鸞さまが持った問いです。それほど深い内容をもっている。安易の答えを見つけずに、その問いを持ちながら生きていくことが大事だ」、そんな答えを書いた記憶があります。問いを発見する。それが重要なのだと思います。
コメント
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