仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

神のメッセージ

2015年05月06日 | 日記
昨日は子どもの日(27.5.5)、『朝日新聞』天声人語にタゴールの詩が紹介されていました。

 “99年前、大正5年の5月にインドの詩聖タゴールが日本に来た。アジア初のノーベル文学賞詩人は行く先々で歓迎され、求めに応じて短詩や警句をいくつも残した。それらを集めた詩集『迷える小鳥』(藤原定訳)に次の言葉がある▼〈どの赤ん坊も、神はまだ人間に絶望していないというメッセージをたずさえてくる〉。”

この詩を出して「子どもの資質と努力で希望を持てる社会に…」(意趣)といった内容でした。

私もそうありたいと思います。と同時に人間の資質も多種多様であり、競争社会そのものが人間の資質のうえにも組み込まれているようにも思われます。

受胎そのものが、精子の競争の結果であるとも聴きます。受胎しても流産によって、誕生という結果に結びつかない場合もあります。早期流産(妊娠12週前)のほぼ半数は胎児の染色体異常によるとも言われています。

生命体の優劣は固有のもので、誕生そのものが、ご縁が整っていなければ成立しません。

何度か紹介した『犬として育てられた少年』に「ランド症候群」が紹介されていました。ネットで検索しても、あまり出てこないので、一部の人しか知らない症候群のようです。

「ランド症候群」とは、ラットやマウス、犬や猫の子が生まれたとき、一緒に生まれた一番小さくて弱い子ども、それがラントです。そのラントは、外的な要因が何もないのに、生後数週間で死んでしまう。母親はレントに、他の子どもにするような、なめたり、グルーミングしてやるなどの世話をしなくなる。グルーミングをしてもらえないと、たとえなんとか十分な食物を得られたとしても、子供の成長ホルモンが出なくなり、正常に成長することができない。ランドにとってはかなり残酷なメカニズムだか、動物だらけエネルギーをもっとも効率的に活用できるようにと組み込まれているという。

こう考えてくると、タゴールが言う“神はまだ人間に絶望していないというメッセージ”は、ただ単に「可能性を引き出す」というプラス面だけではなく、弱く虚しく成長できずに終わっていった命の上にも、そのメッセージを聞き取っていかなければならないのでしょう。

でなかれば、タゴールの言葉は、強者を讃えるメッセージや、「世の中よ、そうあれ」といった願望の表明になってしまいます。
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