仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

『犬として育たられた少年』②

2015年05月05日 | 日記
以前、少し紹介しました『犬として育たられた少年』(紀伊国屋書店)を、大方読みました。異常行動や殺人という行為をした少年少女の背景に、小さい時のネグレクト(育児放棄)やレイプといった体験があったことを見出し、精神科医として治療に関わる中で、人間の幼児期体験の重大さを見出していくといった内容です。

5章に、2人を殺害した少年(レオン)の話しがあります。

障害を持つ母親が、育児のストレスに耐え切れず、レオンが生後四週間のときから、母親は四歳になっていた長男と一緒に「散歩」をでかけ、赤ん坊だったレオンをたった一人暗い団地の部屋に置いていった。その結果、成長すると両親をがっかりさせても、他の誰かを肉体的に、または精神的に傷つけたときも、まったく相手の気持ちを察することのできない少年になってしまう。両親や教師が彼のしたことを認め、よい意味で注目しても、同じように無関心だったという。


そして自分の望みを通すことを覚える。

レオンは自分以外の人にも物にもまったく関心がなく、通常の人間関係における報酬や結果、つまり両親が誇らしく思ってくれたり、友だちを熹ばせたり、愛する人を傷つげてしまって動揺したり、といったことには、まったく関心を抱かなかった。
そして、通りかかった罪のない女子高生二人を殺害し、裁判にかけられます。
その裁判で、著者が見たシーンがあります。本から転載します。

遺族たちは悲しみにくれ、救命ボートで助けだされた人たちのように固く抱き合い、
その目には涙が流れていた。レオンは私に言った。
「あいつらはどうして泣いてるんだ? 刑務所に行くのは俺なのに」
彼のうつろな心に私はあらためて寒気を感じた。彼は感情的に盲目なのだ。(以上)

たとえば「接触への飢え」という章は、わずか4歳で深刻な拒食症になり、死に掛けているローラの物語です。
彼女の母親はミルクを与え、おむつをかえることはきちんとできるのですが、じつは彼女自身が幼少時のネグレクトのトラウマを持っているために
わが子を抱いてあやすことができないのです。
そこで著者は、彼が信頼を置いている子育てのベテランの肝っ玉母さんに
母親と娘ごと、預けます。
すると、病院でどんな治療をしても現状維持がやっとだったローラの体重が
ぐんぐん増え始めたのです。
それは、脳が愛情を感知し、成長ホルモンを分泌しはじめたから。といった内容です。

そして書写は次のように語ります。

「接触への飢え」の続きですが、本に次のようにあります。

すでに述べたように、脳は使われた分だけ発達する。使われている神経系はよく発達し、使われていない神経系はあまり発達しない。子どもが育つ過程では、脳の多くのシステムが発達するために刺激を必要としている。さらに、こうしたシステムがもっともよく機能するようになるためには、特定の時期に使って発達させなければならない。この「感受性のある時期」を逃すと、発達が途中で止まってしまうかもしれないシステムである。ネグレクトによる障害は一生残ることもある。たとえば、生まれたての子猫の目を生後数週間まで閉じさせておくと、目にはまったく異常がなくても、その猫は目が見えなくなる。脳の視覚回路はものを見た正常な経験をしないとつながることができない。視覚的な刺激を欠くと、閉じられた目のニューロンは重要なつながを作ることができず、見たものや奥行きを理解する力を得る機会を失う。同様に幼児期に言葉に触れる機会がないと、正常に話したり、言葉を理解したりすることができなくなる。

幼児期、当たり前に育つことの重要さを、改めて思いました。
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