二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

秋祭り ー 昨日のこと

2016-10-17 19:14:40 | 徒然に想う

朝電話が鳴って、今日のお祭りの準備を8時から「老人里の家」(集落の公民館のような所)で始めるとのこと。そのとき、干してる稲を濡らすなよとも。時計を見れば、稲架掛けに雨よけをかける時間がある。山に文旦の野囲いに使ったビニールが残ってることを思いだし、早々に家を出た。

「老人里の家」につくと、しめ飾り用の藁と見本が二本おいてある。まっこと、きれいな見本。これまでも、以前貰った稲わらで練習することがあるのだけれど、綺麗に綯えたためしがない。三々五々人が集まり出し、しめ飾り作り講習会が始まる。お? なに? 使うだって? 練習のつもりで作っていたものを使うと?

最近、映画をなんだかんだと見る。街に映画館はないし、市内(高知市)に出かけるわけでもない。家でゆっくりDVDR・アッテンボロー監督の「ガンジー」。映画上のセリフだが、金言の嵐、こんな調子。「神さえ崇められれば、宗教なんてなんでもいい」。「何をされようと、我々は一切抵抗しない。受け入れてください」。「人間の幸福は物品にはない。幸福は労働と仕事に対する誇りからくる」。そうよ、彼は自分の着る服を作るため糸を紡ぐ。他国で作られたものを買うんじゃない。幸福は物になく、自分のものは自分で何とかする。資本主義を否定はしないだろうが、パラダイムの変化後の世界を予想させてないだろうか。それには、糸を紡ぐ、その技術を受け継いでおくことが要るだろうなぁ。

しめ飾りを作ることもだんだん減っている、既成の縄を使うことが多くなってるとか。手間やその技術の継投が難しくなってると思えば、そうなってくんだろう。幸いなことに、この集落ではまだ教えていただける。「あとは年期ぞ」とのこと。何年経てば、お墨付きが下りるだろう。そうか、それに合わせ、他に埋もれていきそうなものを継がせていただくなり、なくさないよう記録するなりをせにゃ、いかんにゃぁ。



今日の一枚:金毘羅様に向かう途中、振り返るとほぼ浅尾と鎌井田の全景が見れる。鎌井田絶景百選に入れよう。昨日の9時半ころ。


もう一枚:芋がら、皮をむいて天日干しにする。収穫してすぐ剥くより、10日ほどしてからの方が、皮をむきやすかった。