二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

おいしい!!

2014-03-18 21:41:29 | 徒然に想う

「今日、明日のことなんて解りっこない。解りっこないことを気に病むなんて、無駄なこと。時間の無駄。だから今を考える」ってちょっと違った。こうだった。「今日、明日のことなんて解りっこない。明日のこと考えるなんてぞっとする。もし覚醒していれば、そんな時間の無駄使いなどせぬ。第一、明日があるなんてどこにも確証ない」。

何度もミスを重ね、何度も指示に従わなかった。ついに、ジェラルディン、2月21日、あまりにも庵主の足が地についていないのを見かねて堪忍袋の緒を切ってしまった。「お前は解った、解ったというが、何も解っちゃないじゃないか。今回お前の英語は酷い、酷過ぎる」。言い訳はしない。今回着いた時から、彼女は何かを見抜いていた、から…。で、渡されたのが、ルバイヤートの英訳版。「いつまででもいいから、明日の朝寝坊してもいいから、読んでごらんなさい。きっと、今のお前の抱えている問題の解決への糸口があるから…」。

翌朝 “カウ”プチーノの時間にこの話を彼女に。「随分遅くまで読んでいたわね。ポールとも話してて、ちょっと酷い言い方をしたけど」。過去5回を含んだ今までの滞在中一番おいしい “カウ”プチーノだった。おいしい、そう! 畑から菜の花を積んで帰った。お浸しにして頂く。その美味かったこと。

≪菜の花に 一献捧げし 夕餉かな≫

 

 

今日の一枚:その菜の花のお浸し。19時過ぎ、食卓にて。

 

 

 


後悔、先に立たず

2014-03-18 18:13:01 | 徒然に想う
いきなり朝から出鼻を挫かれ、お昼から畑に向かう。風強く、春一番かと思い、調べたら吹いたとのこと。花粉なんだか土埃なんだか、車窓の風景は気持ち黄色がかって見える。いや、春霞、か…。

タスマニアへの旅で途中になっていた子規句集を読み終えた。春一番とか春霞だとか春真っ盛りにもかかわらず、印象に残ったのが次の二句。

「棕櫚の葉の ばさりばさりと みぞれけり」

「森濡れて 神鎮まりぬ 秋の山」


後悔はしたくないよなぁ。あの時やりたかった…などといつ何時たりとも思いたくない。今を生きる、か。今は過去でもないし未来でもない。しかし、今がなければ、過去も未来もない。だから今なのだそうだ。「今日、明日のことなんて解りっこない。解りっこないことを気に病むなんて、無駄なこと。時間の無駄。だから今を考える」んだとか。ルバイヤートだかに書かれてる。

先ほどの二句、どちらも明治二九年の作。実に、これ以降めっきり句の数が減る。さすがの子規でさえ気力がなえていったのか…。三五年に亡くなっているから晩年に近い。「もし」を考えたところで仕方ないが、もし彼がもっともっと長生きしてたら…。いろいろやりたかっただろうに。






今日の一枚:オオイヌノフグリの花を蟻たちが巣に運び込んでいる。15時頃、畑にて。