超進化アンチテーゼ

悲しい夜の向こう側へ

Syrup16g全曲レビューその50「Inside Out」

2012-03-30 15:57:08 | Syrup16g全曲レビュー





Syrup16g全曲レビューその50「Inside Out」です。




このシリーズも早や50回目・・・って事で後数ヶ月で約3年になるんですけど
3年で50曲っていうのは遅いのか早いのか、それとももっとペースを定めてやっていくべきだったのか
ただ、曲がりなりにもここまで一つの企画を続けられてるのは何気に自分でも嬉しい
途中で計画倒れにならなくて本当に良かったです(笑)。まあ、最後まで頑張りますけど
恐らく五十嵐さんの音楽に関しては
多分これから先もこの企画に限らず、しつこくしつこく書いていくんだろうなあ・・・とは感じています。
だって、未だに一回も飽きた事ないし。それって半永久的に聴ける証拠でもあって。





Inside Out            アルバム「delayedead」収録





この曲は個人的には大好きな曲でして、まずギターの音色がとても新鮮で透き通っていて
その音色を聴いてるだけでも心が動かされる一曲なんですけど
加えて作中のテーマ性が特殊な楽曲でもあって。
世の中の応援歌っていうものは、大体頑張れ負けるな掴み取れっていうものが主流だと感じますけど
この楽曲は頑張らなくて良い無理しなくて良い君は君のままでいい、そのままでっていう
優しく存在を肯定するような歌詞になってて
それはそれでありふれてると言えばありふれてるテーマでもある訳ですが
そこにもう一つ重要な言葉が乗っかっていて、それは作中で執拗に歌われる「空っぽ」という言葉なんですが。
そのままの君でっていうのは大体褒める意味合いもあるとは思うんですけど
そのままの君って言葉の解釈がこの曲では違うと言いますか
要するに下らない、何も無い人間ですよね。
肯定は肯定でも巷の楽曲とは本当に歌ってる意味に差がある曲で虚無を虚無のまま認める
それは一見寂しいようにも思えるけど、考え方によっては勇気になり得る言葉で。

人間は他人と自分との違いやズレに敏感な節がどうしてもあって
自分に無いセンスや生き様を羨んだり、嫉妬したり、それで劣等感を受けたり
気が付けば自分を卑下してたり
どうにもならない無力感に溺れる事もまた日常茶飯事ですけど
この曲はそんな比べたがり屋だったり考えすぎな人間に対する肯定歌といいますか
決してその人生や生き様を肯定している訳ではないのですが、個人個人としての肯定、応援
そして自分自身を受け入れる事への推奨。
他人と比べて虚無でも、無意味無価値を感じても
結局は自分がしたい生き方しか出来ないのならそれはそれでOK、必要以上に頑張る意味はきっとない
そのやり方で、本当に自分が生きたい生き方で、他人の真似をする必要はどこにもない。
そんな全ての除け者、弱者、底辺に対する五十嵐さんなりのメッセージソング、
と同時に五十嵐さん自身も本当に思ってる事
感じたであろう事にも変わりはなく
一見絶望的に思えて、その実「生きろ」とも歌われてるような、そんな真摯な楽曲だと思ってて。
そんな歌を学生の多感な時期に聴いて一種の勇気に出来たっていうのは
自分としても結構に大きくて、一つの糧にもなって。
リリースからは早や今年で8年経ってますが、未だに聴いて感銘を受ける曲の一つでもありますね。名曲です。





【必要なのはきっと愛で それでも人を憎んで】

愛って言うのは一つの調和、ですよね。
誰かと誰かの意思や思想や距離が一つになって
ピッタリはまって
そんな他人に対しての思いやり、情だったり理解が人と人を繋ぐんですけど
そう頭では理解して、これは良いこれは悪い、正しさも間違いも十分頭の中にある筈なのに
気が付けば誰かを嫌って憎んで、離れて、その度に空っぽになって。
そもそも、その前に
ズレや違和感を受けて関係すら成立しない
正論や常識って言葉もありますけど、そんな言葉で全部割り切れるほど人間は利口には出来ていない
それにはきっと限界があって、その限界値が極端に低い人間だって絶対にいて。


【そのまんまでいていいんだよ 君なんだろ】

大体オーソドックスな曲だとそのままの君が素敵~って流れになるんですけど
この曲は素敵とも良いとも絶対に言わない伝えはしない
それを「空っぽ」、
要するに欠如って意味合いで表現してる曲で
それは一般的に良しとはしない部分だと思うんですが
そこで響いてくるのが「君なんだろ」ってフレーズなんですよね。
欠如だとか穴が開いてるだとか、
欠けた部分や開いてる穴を埋める必要って実のところ全く無くて
逆に言えばそういう部分があるからこそ人間だったり個性が生まれてる訳でもあって
最も肝心なのはそんな今の自分自身は自分で選んだ果てなのも間違いなくて
そこから無理に外れる必要も
必要以上に擦り寄る事も擦り減らす事も価値なんてなくて
そのまんまの自分で、その自分を保つ事も一つの生き方の内なんだって。
全然違うように思えても感じても
人間は不安からは逃れられないって以前にも歌ってますから、それを考慮すると
本当は人間自体にそこまで差異は存在してないとも思えるのかも、です。
結局は満たされない生き物ですから。はっきり言って。 だから、そこで背伸びする必要もないですよね。


【世界が今日も君を無視続けても からっぽのまんまでいいんだよ】

本当に大切なのって綺麗事を抜かすと他ならぬ自分自身に過ぎないんです。
だから、そんな自分自身を保てれば、自分の好きなように望むように願うように頑張れれば
頑張った結果が今ならば、別に恥じる必要も嘆く意味合いも本当に無意味で
そんな人生を認めて、褒めはしないけど
でもそういう自分もまた必死に生きて辿り着いた今である事は
疑いようのない事実でもあると思うので
例え空っぽでも、欠如してても、それもまた確かな人生、ここにある人生。無理に合わせる必要もなく
世界と帳尻を合わせる必要もなく、自分らしく楽しく生きて行けるのが一番幸せ
そんな陰で生きてる人々の存在に対する肯定
間違ってないというサイン。
間違えた部分は沢山あったかもしれないけど、そこに居る事は、存在を続ける事は間違ってない
例え世間的に考えて価値の無い人間だったとしても、そこに居る事は絶対に正しいんだ、って一つの声。
きっとこのフレーズで幾らか救われた人間もいるでしょうけど
決してそんな人間性を肯定してる訳ではなく
肯定してるのは人間そのもの。そして、自分自身の気持ちそのもの。
他人と比べて多くを持ってなくたって、許されてなくたって、一番大切なのは自分の気持ち、だけ。
そんな弱者に対する肯定ソングであると同時に、
そういう自分自身を貫く事に対しての応援ソングであるとも言える。
下手に他人の色に染まっちゃって自分を失くす方が考え方によっては不幸ですからね。
自分自身の幸せを決められるのは、自分自身だけっていう話ですよね。そんな曲でもあるかなと。




【そんなの必要ない 見つからない一切doubt】

Inside Outと一切doubt、語感を同じくしてる細かさに感心しつつも
意味もまた結構に似通ってますよね。
自分なりの価値観で世界に抗うって事と
全てに対して疑念を持つって事
自分自身を保ったまま進むっていうのが一番難しいですけど
結局そんな空っぽの自分自身を棄て切れないのなら、そいつと共に一生懸命生きて行こうや、っていう。
ファンタジーの一切存在しないシビアな楽曲感は流石だなあと思うと同時に
確かなメッセージ性なんかも受け取れる、鋭くも沁みるように突き刺さるそんな一曲だと思います。
この曲が好きならART-SCHOOLの「FLOWERS」もまた好きだと思う。多分。