第一片倉ビル6階の事務所(37.5坪)ガラクタの整理が終盤にかかっています。
1988年5月、会社設立時からのガラクタや書類、掲載誌があります。
事務所は、1988年、村上ビル5階わずか5坪から出発、その後、村上ビル3階全フロア20坪。馬場ビル3階22坪。ミズホビル3階20坪。そして、第一片倉ビル6階37.5坪。と移動。
今回は、こんにゃく゜会館4階25坪へ。今までの事務所の入っていたビルには、エレベータがありましたが、今回はありません。そのため、重たいものをかついで4階まで持っていくのが大変なので、不要なものを捨てることに。
普通に捨てると、産廃業者にたのまなくてはならないので、無料で引き取ってもらえるところに。
浪速区日本橋には、道端に捨ててある段ボールや空き缶をリヤカーで集めている人、バタ屋を多くみかけますが、それらを買う業者が何社かあります。
文本商店や吉田紙業があります。
日清食品の創業者安藤百福の実娘、呉美和さんは、文本商店からリヤカーを借りて、ゴミ集めをして生計を立てていました。カードカルトの自販機の空き缶を回収してもらっていました。
わたしが撮影したゴミ満載のリヤカーをひく呉美和さんの写真が、週刊新潮のグラビアを飾ったことがありました。
日清食品創業者故安藤百福氏の実娘・呉美和さんの絵画を売るページをつくりました。
私は、文本商店の隣にある吉田紙業に押しかけて、社長と直談判。紙と鉄類を無料で引き取ってもらうことになりました。
本日も、軽トラ3台分の紙(本)を引き取ってもらいました。
仕分けしているとき、昔の私に関する掲載誌・掲載紙を見ていたら、若くてめちゃイケメンの写真が掲載されているではありませんか。
キャプションを読むと、なんと私でした。20数年前は、めちゃイケメンのようでした。