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eラーニングの現状と展望

ネットラーニングHD、ネットラーニング、WIWIW、Phoenix Consulting、各代表取締役 岸田徹

ヨイトマケの唄

2010-07-04 20:42:04 | 読書/新聞/映画など
昨日、美輪明宏のテレビを見ました。

丸山明宏として、キャバレーなどで歌っていた華やかな彼が、もういらないといって、どこでも仕事をもらえなくなったのは、反戦歌もうたっていたためなのでしょうか。

そんな、生活にも苦しむ中で、1966年、自分で作詞作曲した「ヨイトマケの唄」が、ひろく共感をえて、大ヒットしました。

「土方」という言葉が、放送禁止用語だとして放送されなかった時期もあったようです。

「ヨイトマケ」、「土方」という言葉が、差別用語とみられるような現実がありました。母親が土方をして、学校で差別されからかわれ、逃げてきた道で、母親が汗みどろになりどろだらけで働く姿を見ます。

その子どもは、
「帰っていったよ 学校へ
勉強するよと 云いながら」

美輪明宏は、それを学校で見た友達のことと話していますが、自分の体験ではないかと思われるほど、実感がこもっています。戦争で父親が亡くなった母子なのでしょうか。

この歌が原点になって、美輪明宏がよみがえる。美輪明宏は自分の生き方の方向をしっかり定めました。かれが長崎で被爆し、自分が被爆者であり、その日の街のようすを自分の目で見たということは知りませんでした。子どもを包むように抱きかかえ、真っ黒に焼き焦げた人の塊を何人も自分で見たのだそうです。

放送の最後に、番外編のように、楽屋に消えるかれのインタビューがある。やっと少し理解されるようになってきた、「まだまだ戦いはこれからよ」。これが最後のセリフでした。プロの芸人として、きびしい努力をしながら、原点をしっかり守っている姿がありました。年に150日も公演があるそうです。

「帰っていったよ 学校へ
勉強するよと 云いながら
勉強するよと 云いながら」









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