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ネットラーニングHD、ネットラーニング、WIWIW、Phoenix Consulting、各代表取締役 岸田徹

『トゥイーの日記』

2008-11-04 20:51:00 | 読書/新聞/映画など
もう、ベトナム戦争を知らない若者が多いベトナムで、50万の大ベストセラーになった本です。

2005年4月、突然アメリカから送られてきたのは、35年前に南ベトナムで米軍と戦って戦死した娘の日記だった。

ダン・トゥイー・チャム。

日記は、テト攻勢から2か月後の1968年4月8日にはじまっています。当時、彼女は25歳。志願をして、家族が住む北ベトナムのハノイをはなれて、ベトナム中部の山岳地帯で野戦病院の医師として戦争に参加していました。まさに激戦地です。

恋にこころがゆれる若い女性の日々の日記です。知り合いや同僚が、つぎつぎに殺され、緊迫した日々の様子もつたわってきます。

1970年6月20日、日記は突然最後となります。

「1968年4月22日
フーン!なんで死んじゃったの? 知らせを聞いて、悪い夢を見ているようにあ然とする。こんな悲しみはいつまで続くんだろうか。今日も、明日も誰かが死ぬ。」「いったいいつまで?ねえ、みんな? いつになったら残忍なアメリカ軍を私たちの国から追い払うことができるのだろう」

「1968年11月26日
敵の一斉攻撃の銃声の中で誕生日を迎えた。」

「1968年11月27日
寂しさ、切なさに押しつぶされそう!」

「1969年1月18日
彼から送られてきた何通かの手紙を読んで、彼をいとおしく思いつつも、おかしくてひとりで笑ってしまった。彼の愛情は本当に不思議だ。とてつもなく素朴で、激しい。こんなにも単純で実直な手紙はいままで読んだことがない。」

「1970年2月21日
またしても危機一髪。偵察機やヘリが旋回し、1時間あまりも爆撃がつづいた。私たちのいるところからわずか10メートルのところで火の玉が炸裂し、耳をつんざく爆音がつづく。・・・・触れるほどの近さに死を感じた。」

「1970年5月7日
南ベトナムはもう25年間も戦火の中だ。ベトナム!私たちの国は今でも、屈することなく果敢に戦いつづけている。
 足跡が真紅の血に染まる戦いの道!この世界で私たちの国ほど多くのつらい思いをしてきた国は他にあるのだろうか?」

「1970年5月19日
母からの手紙を受け取る。母さん、母さんの書く文字の一つひとつ、言葉の一言ひとことは、渇き切った心臓に血が巡ってくるように、私を慰めてくれた。ああ!家族のもとに帰りたい。ほんの一瞬でもいいから。戦地へ向かう車に乗り込んだときから、こんな気持ちになることはわかっていた。それでも私は理想のために出発した。」

「1970年6月20日
・・・・
今、目の前に広がる果てしない空と海
ホーおじさん、私たちの不安をわかってくれますか・・・
・・・・・」
(最後の日の日記)






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