入居ビルに車椅子専用トイレ。
ネットラーニンググループが入居しているビルに、車椅子専用のトイレができた。エレベーターにも専用のボタン。階段にも手すりがついた。
そういえば、ネットラーニングの中国語講師の方も、車椅子で通われている。
なぜ、3年ほど前にこのビルの入居を検討したときに、車椅子専用の設備がないことに気がつかなかったのだろうか。ないのが当たり前と考えていたといえる。設置を要求することもなく入居を決めてしまった。
まだまだ、われわれの考え方がたちおくれていることにあらためて気がつかせられた。
同じように、まだ何か考えがいたっていないことがないだろうか。
ネットラーニンググループが入居しているビルに、車椅子専用のトイレができた。エレベーターにも専用のボタン。階段にも手すりがついた。
そういえば、ネットラーニングの中国語講師の方も、車椅子で通われている。
なぜ、3年ほど前にこのビルの入居を検討したときに、車椅子専用の設備がないことに気がつかなかったのだろうか。ないのが当たり前と考えていたといえる。設置を要求することもなく入居を決めてしまった。
まだまだ、われわれの考え方がたちおくれていることにあらためて気がつかせられた。
同じように、まだ何か考えがいたっていないことがないだろうか。
わたしをふくめて、健常者はそれを自覚していない。
松葉杖で通勤したときにはじめてきがついたことがたくさんあります。エスカレーターもそれぞれ速度がかなりちがう。松葉杖では危険な速度のものもありました。
駅の階段の手すりに点字があるのもそのときはじめて気がつきました。
電車にすわれても、停車時間の間に立ち上がって降りるのは時間がたりません。
井の頭線で渋谷駅についた。
改札を出ると左にエレベーターを見つけた。
そこが何階だか忘れたが車椅子用のボタンを押した。
そこで現実を知ることになった。
エレベーターは上からも来る。下からも来る。
でも、乗れない。
上からも下からも常に普通の人たちも含めていっぱい乗ってて
途中の階にいた僕たちは乗れない。
しかもなぜだか扉が開いて車椅子の僕たちを見て
“すみません。”とか“いっぱいだから次のに乗って”とか言う。
なんであやまるのか。
絶対に譲れって言ってるわけじゃない。
そして、なんで謝るのかわからない。
“譲らなくてはいけないと思うけど譲らなくてごめんね”と言ってるのだろうか。
年配の人だって元気に歩ける人はたくさんいる。
若くったってみえない障害を持ってる人だってたくさんいる。
結局、その時誰一人譲ってくれる人なくエレベーターに乗れず
危険を承知でエスカレーターで外へ出た。
息子との渋谷散歩からは
高度経済成長等で日本人がなくしたもの(忘れてしまったもの)に
寂しさを覚えながら帰宅した。
障害はきっと人の気持ちによってつくられるんでしょう。
車椅子でもいつか気持ちよく歩ける日が来ることを祈ってるし
尽力したいと考えている。