1997年9月末にセコムを退職したときには、次に何をするかの計画はまったくなかった。当分、ぼんやりと自然のなかですごそうかと。
しかし、日誌をみていたら、退職から8日目には、もう「岸田徹を囲む会」が友人の会社で開催された記録がある。囲む会には、「(ネット教育研究会)」と記載され、8人が出席している。どなたもキーマンばかりだ。このすばやいアクションは、いまは亡くなった友人が準備してくれたものだった。
退職の前は、少し長い休暇を取って、北米を旅行していた。退職後のことなど、なにも考えていなかったし、準備していなかった。
それからしばらくたって作成された事業計画書がある。いま、その骨子はそのまま実現されている。
30代はじめのころに会社を創業して、5年ほどたって、たまたま創業直前の事業計画書をみつけておどろいたことがある。5年目の会社の状況は、時期までふくめて、計画通りだったのだ。もっとも、計画書の存在をわすれていたのだから、一致は偶然ともいえるかもしれない。あるいは、頭の中にある計画を着実に実現してきたといえるかもしれない。
いずれにしても、現在のネットラーニングは、事業開始前に立てた計画と同じ道筋をあゆんでいる。
しかし、日誌をみていたら、退職から8日目には、もう「岸田徹を囲む会」が友人の会社で開催された記録がある。囲む会には、「(ネット教育研究会)」と記載され、8人が出席している。どなたもキーマンばかりだ。このすばやいアクションは、いまは亡くなった友人が準備してくれたものだった。
退職の前は、少し長い休暇を取って、北米を旅行していた。退職後のことなど、なにも考えていなかったし、準備していなかった。
それからしばらくたって作成された事業計画書がある。いま、その骨子はそのまま実現されている。
30代はじめのころに会社を創業して、5年ほどたって、たまたま創業直前の事業計画書をみつけておどろいたことがある。5年目の会社の状況は、時期までふくめて、計画通りだったのだ。もっとも、計画書の存在をわすれていたのだから、一致は偶然ともいえるかもしれない。あるいは、頭の中にある計画を着実に実現してきたといえるかもしれない。
いずれにしても、現在のネットラーニングは、事業開始前に立てた計画と同じ道筋をあゆんでいる。
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