いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

戦争の逆転の論理。 inversive logic of war

2019-08-16 22:12:01 | 日記
 (1)東京で開催されたトライアスロンテスト大会で英国の1,2位選手が手をつないでフィニッシュしたため、競技規則(意図的に一緒にフィニッシュすることを禁止)に抵触して失格となった。

 過酷なトライアスロンレースで同国選手同士が1位を争い最後は手をつないでゴールすることは、互いに健闘を讃えあうスポーツマンシップに優れた行為として賞讃されるされるものだが、もちろん慈善事業ではなく専門的な高度なスポーツレースでのことだから人の手を借りずに優劣ははっきりつけることが求められている。人間性の逆転の論理だ。

 (2)日本の8月15日は「終戦の日」、「終戦記念日」と呼ばれて、毎年政府主催の戦没者追悼式が開催される。1945年8月15日に放送された昭和天皇の「おことば」はどうみても(聞いても)「敗戦」を宣言したものだが、「敗戦の日」とは呼ばれない。

 「敗戦」という言葉の響きは暗く、それじゃ今度は勝ってやろうじゃないかとの戦いとしてやっかいなよからぬ国民感情もわいてくるものだから、「終戦」として戦いは終わったものであり二度と戦争を起こさないという誓いの言葉として受け取られて、それはそれとして理解し誓えばいいことだ。

 (3)今年の8月15日の戦没者追悼式での安倍首相の式辞では「過去の首相が示していたアジア諸国の戦争犠牲者への『加害責任』については、今年も言及しなかった」(報道、『』は本ブログ注)。

 こういう保守思想の強い人たちにとっては「敗戦の日」とは呼びたくないのだろうし、いまだに戦争責任について正当性を主張する声もある。

 (4)戦争は勝者と敗者があり、必ずしも勝者が正当で敗者が不正ということにはならずに力関係で勝つことで正当性が主張されて、敗れることで不正性が押し付けられる側面あり、だから戦争には勝者も敗者もなく戦争被害、犠牲者だけが存在する理不尽(unreasonableness)な悲劇でもある。

 そういう意味でも安倍首相は大戦にかかわる日本の戦争責任としての「加害責任」に言及しない(したくない)ということなのだろう。

 (5)しかし、昭和天皇の「終戦宣言」は(忍び難きをしのび、耐えがたきをたえる)「敗戦宣言」であり、戦争の逆転の論理(inversive logic of war)からいえば正当性を主張することはできずに敗者としての不正性を問われるものであり、戦争の「加害責任」はまぬがれないものだ。

 安倍首相は戦後70年談話では日本のアジア侵略支配にかかわり「おわび」を表明しているのだから、戦没者、犠牲者に対しても当時の軍事政府の戦争加害責任について率直に表明すべきことだ。

 (6)冒頭のようにスポーツの戦いの決着では友情、博愛は規則で否定されているが、誇るべき気高い人間の本来的な行動であり順位を超えた人間性の誉れであるが、戦争は人間性を否定して逆転の論理がまかり通るおろかさの極限であり、それにこだわるのは実におろかというしかない。

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