いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

提案型政治。 politics of overture style

2016-01-29 19:56:01 | 日記
 (1)経再担当相を辞任した甘利さんが大臣室で表敬訪問した建設会社社長らから現金50万円を受け取っていたことを認めた(報道)ことには驚かされた。本人は記者会見で寄付として政治資金収支報告書で適正に処理したと述べているが、それ以前の政治家倫理観として大臣室で表敬訪問者から現金を受け取るなどとは、金銭感覚が一般社会の常識、倫理観から遊離してしまっている証しとなってしまって、それがどう適正に処理されたかなどとの言い訳以前の人間倫理失格(ethical disqualified person)だった。

 (2)丁度同じ頃、名古屋市では河村市長がかって(10年近く前)就任早々に市長報酬を議会の反対を押し切って特別条例として一般社会並みの800万円(それまでは1千万円超)に減額し、さらに市議会議員の報酬もそれに合わせて800万円に半減してきたが、市議会が元の1600万円に戻したうえでさらに12%以上削減(報道)してそのうえ定数を7以上削減して、その財源を市内全中学校にいじめ対策の専門員を常駐する予算(10億円)などにあてることを提案決定した。

 (3)市長報酬と同じく市議報酬800万円の恒久化を目指していた河村市長もこの「提案型(overture style)」市議会の議員報酬引き上げについては反対していないといわれている。

 河村市長の信条は消費税引き上げなど市民に負担を強いる以上、政治、政治家が身を切る思いで一般社会、市民生活並み報酬で活動を率先垂範することが必要だとの信念で実行し、この政治姿勢、理念は市民の支持も高い。

 (4)国の政治、国会でも同様の国民に負担を強いるからには国の政治、国会が定数削減、報酬見直しで身を切る思いを実践しなければならないと主張はするが、こちらの方は一向にその方向に進まない口先き政治が常態化している。名古屋市の実行政治とは大きな違いだ。

 その中で地方自治体での安倍首相が弱小野党に要求する「提案型」政策論争も取り入れた名古屋市の取り組みは評価できるものだ。

 (5)政治家はいつも政治にはカネはかかるものと言いながら、その政治とカネの全体像、制度設計図について詳細に具体的に政治資金構造を示すこともせずに、結局は政治家に都合のいい政治資金規正法の中でいいかげんな政治資金収支、使途をくり返して疑惑、疑念が持たれて、冒頭のように政治家責任を取らされてきた(中には表から消えて説明責任を果たさずにそのまま議員活動を続ける不貞もいる)。

 (6)名古屋市の河村市長は減税(市民税)政策、市長報酬、市議報酬800万円の市民感覚優先の革新的な市政方針を掲げて市民の支持も高いが、議会対策、政策説明責任の不足など独断先行も強くて市政功罪半ばするところがある。

 安倍首相はデフレ脱却を目指して経済界に2年連続の賃上げに今年も賃上げを要請している中で、名古屋市議の報酬は引き上げ勧告にも800万円恒久化を目指す河村市長は応じてこなかったが、今回の「提案型」市議会の議員報酬引き上げにようやく応じる形になった。一般社会が賃上げ志向の中では反対する理由もなかった。

 (7)提案型政治のいい流れではなかったのか。国の政治も手本とすべきだ。

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