いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

子どもの自尊死。 self respect death of children

2016-01-08 19:59:17 | 日記
 (1)新年早々から中学生が自ら命を絶つニュースが途絶えない。いじめを示唆するものや成績不振、悩みなど周囲、家族に漏らしての悲劇だ。家族と成績不振に悩む相談をしたあと家を出てそのまま自らの命を絶った例も報道されている。

 まるで連鎖反応(chain reaction)を引き起こしたかのような新年早々、連日の悲劇の報道だ。今年は特に新年早々からの連鎖反応的な中学生の悲劇のくり返しが続くのが目に付きいたたまれない。

 実は春休み、夏休み、冬休み明けの子どもたちの心理、感情不安定感が増すことは以前からも指摘されており、社会、家庭はこれに適正、適切に対応できない、してこなった間違いをくり返している。

 (2)名古屋市では昨年末の中学生いじめ自殺問題で河村市長が市内の全中学校にカウンセラーを配置する方針を示して、10億円対策に乗り出した。担任教員がいながら、いじめ悩みに適切に対応できない学校管理統括力の低下、教員資質能力の低下は今に始まったものではないが、そうだからこそこれまでこの問題を見過ごし、有効な手を打ってこなかった国、自治体、社会、学校、家庭の責任不履行、責任は大変重い問題を含んでいる。子どもの重い命にかかわる重大問題だ。

 (3)いじめ問題は確かに学校生活の中での問題原因は大きく学校の管理体制の責任を批判、批難する被害者家族はほとんどだが、その親、家庭、家族にしても毎日の生活の中で最も身近に接していてわかる、察知する時間はどこかにあったはずで、すべてを学校管理責任に押し付けるかのようなこれまでの捉え方では、この問題の解決には向かわないことを自覚、察知、認識しなければならない。

 わが子を守るのは国、自治体、社会の共有の責任であるけれど、その最大の擁護者は親、家庭であり家族であることをまず自覚、認識することがこの問題解決へのスタートだ。最近では、親が察知して子どもを学校に行かせない対応の必要性も言われている。

 (4)大体、この問題では親、家庭が自らの責任を度外視して学校の管理責任が問題だとばかりに批難する姿勢ばかりが強調されるのは、最も心痛で落胆している親の責任を責めることはできない感情論の中で問題の本質が正され見直されることはなく放置されてきたことが、いじめ、悩みに苦しむ子どもの救済に結びつかない根本原因だ。

 心苦しいところはあるが、いじめ、悩みによる子どもの自尊死(self respect death of children)の悲劇には親、家庭、家族がまず自らの保護責任の欠如を率直に認めて問題、責任を自覚、認識することから見直さなければ、本質的な問題解決に向かわない。

 (5)スマホ、ケイタイ媒体の情報化社会の中で親子の対話、接触は格段になくなっており、これが常態化して見直し、改善努力もしてこなかった親、家庭の責任は大きく、子どものいじめ、悩みの悲劇の解決に向かわない問題原因だ。

 担任教員がいながらのカウンセラーの配置をしなければならない学校管理体制には何もしないよりは有効だろうが、パラドックス(paradox)としてそれは学校管理能力の限界を示すもので、親、家庭の責任自覚こそが問題解決の核心でなければならない。

 (6)自治体、学校、親の三位一体となった連携強化、対応が欠かせないと書いてきた。世界はテロ、内戦、核実験強行でカオス(khaos)状態だ。これを止めるのは教育の充実だとの声も世界的に大きいが、日本ではその教育が一向に問題解決に取り組まないのはやはり深刻だ。

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