いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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天皇と「日本人」発言。 Tenno and `the japanese' speech

2016-01-28 19:41:39 | 日記
 (1)天皇の第2次世界大戦における海外での旧日本軍がかかわった戦闘の敵、味方関係のない戦没者の慰霊の旅が続く。個人的に相当に強い意思と希望によるかってのアジア各戦闘地域、国への戦没者慰霊の旅といわれている。

 天皇、皇后両陛下は新年26日からフィリピン・アキノ大統領の招へいに応えて国賓としてフィリピンを公式訪問している。27日には無名戦士の墓を訪れ追悼、慰霊し、29日には日本政府が建立した比島戦没者の碑も訪れる。

 (2)27日の公式晩さん会のあいさつで天皇は「(太平洋戦争でのフィリピンの甚大な被害に触れ)私ども日本人が決して忘れてはならないこと」(報道)と言葉を述べられた。

 第2次世界大戦は当時の軍事政権がアジア侵略植民地支配の末に米国を中心とした連合国との戦闘を開始したものであるが、当時の天皇も今と違って統帥権者として大戦にはかかわっていた。
 このことから天皇戦争責任論も言われたことがあったが、連合国による東京軍事裁判でも直接責任を問われることはなかった。

 (3)そういう経緯もあるのか憲法上国民の象徴となった現在の天皇は、冒頭のように自らの強い意思と希望で海外での旧日本軍がかかわった戦闘の戦没者の慰霊の旅を続けている。

 これはこれで自らの強い意思と希望ということで個人的な尊い行動ではあるが、天皇が政治的に利用(political utilization)されることへの懸念も言われることがあり、戦没者の慰霊の言葉として天皇自らが「日本人が忘れてはならない」と言及されるとその懸念、違和感も感じるものだ。

 (4)天皇の国賓としてのフィリピン公式訪問はもとより国事行為であるから、憲法上内閣の助言と承認に基づいて行われるものであり、安倍首相、政府の意向も反映されたものである。

 本来旧日本軍によるアジア侵略植民地支配、第2次世界大戦の現地被害についての当該外国政府、国民に対するおわびと反省は国の政治責任の問題であって、現在は国民の象徴として政治に直接かかわらない天皇の行うものではないのが憲法上の立場だ。

 (5)国、政府としては戦後の戦争一括責任、賠償責任処理による政治的解決で済んだとの立場であり、再度国、政府としてアジア植民地支配、第2次世界大戦による戦争責任に言及することになれば再び国家賠償責任問題にもなりかねずに、安倍政権としては天皇の個人的な強い慰霊の意思、希望を政治的に利用して天皇の言葉として表わしているとも考えられる。

 (6)そういう違和感が天皇が自らの意思、お気持ちではなくて「『日本人』が決して忘れてはならない」という政治的とも受け取られる発言になっているのではないのか。
 天皇と「日本人」発言には国民の象徴としての憲法上の立場と距離感があるように感じる。

 天皇自身の立場、お気持ちは理解できるが、日本の戦争責任にかかわる戦没者の慰霊であまりに全面に出るのは、その憲法上の政治的立場面を考えるとふさわしいものとはいえないのではないのか。

 (7)あくまで天皇自身の個人的な思いとして国事行為、公式訪問とは切り離して達成すべき戦没者の慰霊であったほうがふさわしいのではないのか。
 天皇のフィリピン国賓公式訪問の場での戦没者の慰霊にかかわる「日本人(the japanese)」発言には違和感はある。

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