1970年代、風俗第七号営業(現・第四号営業=つまりパチンコ・パチスロ店)で稼働する遊技機に、「アレンジボール」と呼ばれるゲームがありました。これがいつごろから始まったものか、ワタシは詳しくを知りませんが、少なくとも1973年には既に存在していたようです。その多くはパチンコ店に併設されましたが、1970年代の中頃には専門店ができる程度にはポピュラーになっていました。
写真1:業界誌「アミューズメント産業」1973年1月号に掲載されたアレンジボールの広告。筐体には「BingoLet」の文字が見えるが、宣伝文の中では「アレンジボール」と謳っている。なお、広告主の「株式会社さとみ」はその後「サミー」となり、更にその後セガを吸収して現在は「セガサミー」となっている。
写真2:写真1の改良版と思しき機種のフライヤー。いつごろのものかは不明だが、周辺の状況から、1973~1975年の間だと推測される。
アレンジボールは、オリンピア(関連記事:オリンピアというパチスロの元祖についての謎)同様、メダルを使用するゲームでした。メダルの貸出料金は、当初は100円で2枚でしたが、1980年前後頃に200円で3枚に値上げされました。筐体にこのメダルを投入すると、16発のパチンコ玉が打てるようになります。この玉は機械に封入されており、取り出すことはできません。
写真3:アレンジボールで使用されたメダル。メダルゲームの25Φメダルよりもやや大きく、厚い。
ゲームの内容は、1番~16番までの数字による4×4のビンゴゲームです。打ち出した玉が入ったポケットの番号が盤面上部中央のビンゴカード上に点灯し、縦または横1列が点灯するか、または中央の4個が点灯すれば得点を獲得します。ゲーム終了後は精算ボタンを押すことで得点分のメダルが払い出されます。
得点は、縦1列が1点、横1列が2点、中央の4つ(JP)が3点と設定されていました。もし、全ての数字を点灯させることができれば合計得点は15点となりますが、法律による制約で、何点獲得しようとも、1回のゲームの最高払い出しメダル数は5枚までとされていました。
アレンジボールは、ビンゴゲームだけでもゲームとして成立しますが、当初には、盤面中央の穴に入ると7番が点灯するとともにメダルが1枚払い出されるというフィーチャーがあり、プレイヤーにとってはかなり嬉しいオマケでした。しかしこれはそれほどしばしば起きることではありません。そこで、1975年頃、「Buffalo」という後継機種が登場しました。この機種では、天穴に玉が入ると、得点にかかわらずメダルが得られる役物が動作するものでした。
写真4:セガの総合カタログ1975年版より、アレンジボール「Buffalo」の部分。玉が天穴(1)に入ると、下にあるバッファロー役物(2)の角がゆっくりと上下に一往復する。この役物に玉が1個入ると、それだけで直ちにメダルが1枚払い出される。角が作動し始めると、数字を狙うよりも角を狙って玉を打ち出すという点で、本来のビンゴというゲーム性を壊していたと言えるかもしれない。1ゲームの最後の一発がうっかり天穴に入ると、作動中に次のゲームを始めようと急いでメダルを投入するのだが、それで良い思いができた記憶はあまりない。
「アレンジボール」と呼ばれる遊技機のメーカーにはもうひとつ、「太陽電子」がありました。太陽電子は自社の機械を「チャレンジボール」と称し、リングタイプ(円状に並んだ番号ランプが4つ以上連続すれば勝ち)などビンゴタイプとは異なるバリエーションを精力的に開発していたように思います。ワタシがバイトをしていた時のダイエー碑文谷店のゲームコーナー(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)でも、太陽電子製のチャレンジボールを改造したメダルゲーム機の島がありました。
1978年頃になると、アレンジボールは電動役物を取り入れるなどより進化し、またメダルの値上げに伴い1ゲームの最高払い出しメダル数が10枚と緩和されました。しかし、ライバルであるパチンコに、現在の「セブン機」の走りとなる「フィーバー」が登場することにより下火となりかけたため、1980年代になると、アレンジボールでもスリーセブンが揃うことで一気に打ち止めとなる爆裂(当時としては)機が登場するようになりました。ワタシも、この時代まではしばしばアレンジボールを遊んでいました。
しかし、様々なアイディアとテクノロジーを導入してその寿命を延ばしてきたアレンジボールの人気も、1980年代中ころには衰えてきます。この頃にはサミーとなっていたさとみは撤退し、残る太陽電子は「アレパチ」と呼ばれる別の方向に延びて行こうとしたようですが、ワタシはこの面白さが理解できず、ほとんど遊んでいないため、一時はそこそこ支持されていたようだけど現在はもうないんじゃないかな? という程度の理解しかありません。
伸び得る方向性を全て消費し尽くしてしまったアレンジボールが今後復活することは無いでしょう。そして現在のパチンコも似たような状況に陥りつつあると思うのですが、果たしてパチンコ業界は次の一手を生み出すことができるものでしょうか。
写真1:業界誌「アミューズメント産業」1973年1月号に掲載されたアレンジボールの広告。筐体には「BingoLet」の文字が見えるが、宣伝文の中では「アレンジボール」と謳っている。なお、広告主の「株式会社さとみ」はその後「サミー」となり、更にその後セガを吸収して現在は「セガサミー」となっている。
写真2:写真1の改良版と思しき機種のフライヤー。いつごろのものかは不明だが、周辺の状況から、1973~1975年の間だと推測される。
アレンジボールは、オリンピア(関連記事:オリンピアというパチスロの元祖についての謎)同様、メダルを使用するゲームでした。メダルの貸出料金は、当初は100円で2枚でしたが、1980年前後頃に200円で3枚に値上げされました。筐体にこのメダルを投入すると、16発のパチンコ玉が打てるようになります。この玉は機械に封入されており、取り出すことはできません。
写真3:アレンジボールで使用されたメダル。メダルゲームの25Φメダルよりもやや大きく、厚い。
ゲームの内容は、1番~16番までの数字による4×4のビンゴゲームです。打ち出した玉が入ったポケットの番号が盤面上部中央のビンゴカード上に点灯し、縦または横1列が点灯するか、または中央の4個が点灯すれば得点を獲得します。ゲーム終了後は精算ボタンを押すことで得点分のメダルが払い出されます。
得点は、縦1列が1点、横1列が2点、中央の4つ(JP)が3点と設定されていました。もし、全ての数字を点灯させることができれば合計得点は15点となりますが、法律による制約で、何点獲得しようとも、1回のゲームの最高払い出しメダル数は5枚までとされていました。
アレンジボールは、ビンゴゲームだけでもゲームとして成立しますが、当初には、盤面中央の穴に入ると7番が点灯するとともにメダルが1枚払い出されるというフィーチャーがあり、プレイヤーにとってはかなり嬉しいオマケでした。しかしこれはそれほどしばしば起きることではありません。そこで、1975年頃、「Buffalo」という後継機種が登場しました。この機種では、天穴に玉が入ると、得点にかかわらずメダルが得られる役物が動作するものでした。
写真4:セガの総合カタログ1975年版より、アレンジボール「Buffalo」の部分。玉が天穴(1)に入ると、下にあるバッファロー役物(2)の角がゆっくりと上下に一往復する。この役物に玉が1個入ると、それだけで直ちにメダルが1枚払い出される。角が作動し始めると、数字を狙うよりも角を狙って玉を打ち出すという点で、本来のビンゴというゲーム性を壊していたと言えるかもしれない。1ゲームの最後の一発がうっかり天穴に入ると、作動中に次のゲームを始めようと急いでメダルを投入するのだが、それで良い思いができた記憶はあまりない。
「アレンジボール」と呼ばれる遊技機のメーカーにはもうひとつ、「太陽電子」がありました。太陽電子は自社の機械を「チャレンジボール」と称し、リングタイプ(円状に並んだ番号ランプが4つ以上連続すれば勝ち)などビンゴタイプとは異なるバリエーションを精力的に開発していたように思います。ワタシがバイトをしていた時のダイエー碑文谷店のゲームコーナー(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)でも、太陽電子製のチャレンジボールを改造したメダルゲーム機の島がありました。
1978年頃になると、アレンジボールは電動役物を取り入れるなどより進化し、またメダルの値上げに伴い1ゲームの最高払い出しメダル数が10枚と緩和されました。しかし、ライバルであるパチンコに、現在の「セブン機」の走りとなる「フィーバー」が登場することにより下火となりかけたため、1980年代になると、アレンジボールでもスリーセブンが揃うことで一気に打ち止めとなる爆裂(当時としては)機が登場するようになりました。ワタシも、この時代まではしばしばアレンジボールを遊んでいました。
しかし、様々なアイディアとテクノロジーを導入してその寿命を延ばしてきたアレンジボールの人気も、1980年代中ころには衰えてきます。この頃にはサミーとなっていたさとみは撤退し、残る太陽電子は「アレパチ」と呼ばれる別の方向に延びて行こうとしたようですが、ワタシはこの面白さが理解できず、ほとんど遊んでいないため、一時はそこそこ支持されていたようだけど現在はもうないんじゃないかな? という程度の理解しかありません。
伸び得る方向性を全て消費し尽くしてしまったアレンジボールが今後復活することは無いでしょう。そして現在のパチンコも似たような状況に陥りつつあると思うのですが、果たしてパチンコ業界は次の一手を生み出すことができるものでしょうか。