拙ブログを始めて1年半くらいになります。もともとコインマシンに関する古い話を記録しておこうと思い立って始めた拙ブログは、これまでに約70の記事をアップしてきました。しかし、このうち、メダルゲームやギャンブルゲームでない、純粋なビデオゲームをテーマとした記事は、「デス・レース 社会から非難を浴びた殺人ゲーム」 と、「任天堂@ゲームセンター」 の2件だけです。
ワタシも以前は熱心なビデオゲームプレイヤーでしたので、語ろうと思えば語れるゲームはたくさんあるはずなのですが、いざビデオゲームについて何か述べようとすると、すぐに筆が止まってしまうのです。
その最も大きな理由は、いかに自己満足のための泡沫ブログと言えども、公開する以上はそのゲームができた当時の社会情勢や業界事情など、なにがしかの歴史資料的価値を多少なりとも含ませておきたいという欲が働くところにあります。しかし、ためしに書いては見るものの、結局は無名の一個人が過去に遊んだゲームのルールと感想を記録しただけのものとなってしまうため、これでは意味がないと没にすることを繰り返しておりました。しかし、現状ではあまりにもバランスが悪いので、ここでひとつビデオゲームの黎明期の記憶を記録しておいてみようと思います。
ワタシが初めて目にしたビデオゲームは米国ATARI社の「PONG」で、おそらくは1973年ころ、東横線都立大学駅近くにあったボウリング場「柿の木坂トーヨーボール」(関連記事:柿の木坂トーヨーボール&キャメル)でのことだったと思います。テレビのブラウン管と思しき画面に、プレイヤーの操作によって動く記号が表示されるゲーム機を見て、「これはいわゆる一つのコンピューターというやつに違いない」と興奮したものでした。何しろ当時はまだ、コンピューターというものはたいへん高価な最先端技術で、限られた場所でしか使われないモノだった時代です。それを自分で触って操作するなんて大変に未来的なことのように思えた時代でした。
PONGの筐体(上・画像出典/wikipedia)と、PONGのゲーム画面(下)。
実は、「PONG」以前に、「コンピュータースペース」(Syzygy Engineering / Nutting Associates 1971)というビデオゲーム機が、史上初のコインマシンとして世に出ていますが、日本には輸入されていないとのことで、ワタシもリアルタイムには見た覚えがありません。
コンピュータースペースの筐体(画像出典・wikipedia)。曲線と曲面を多用したFRPの筐体は、当時の未来的なイメージの典型のように見える。
「コンピュータースペース」は、二人のプレイヤーが、それぞれが操る宇宙船でドッグファイトを行うというゲーム性だったそうですが、画面中央の太陽(ブラックホール?)の引力の影響を受けるなど操作が難しすぎたために人気の方はさっぱりだったとのことです。このゲームは、1977年頃に、米国シネマトロニクス社など2、3のメーカーが「SPACE WARS」などのタイトルでリメイクしており、これらは日本でも見ることができましたが、確かに操作が難しく、少なくとも私にとってはそれほど熱中できるゲームではありませんでした。
「PONG」を開発したのは、コンピュータースペースを開発したノーラン・ブッシュネルという人物です。彼はコンピュータースペース開発の後、自らATARI社を設立して、より簡単なゲーム性の「PONG」というビデオゲームを1972年に世に送り出し、これが世界的な大ヒットとなりました。そのため、PONGが事実上の市場初のアーケード用ビデオゲームと目されています。
二人のプレイヤーが画面上で行うピンポンのようなゲームはたいへん流行し、翌1973年には多くのゲーム機メーカーが類似品を作り、日本でも、セガやタイトーが参入しました。
セガによる「PONG」の類似品(画像は1975年に頒布されたセガの総合カタログより。発行年と掲載されているゲーム機の製造年とは必ずしも一致しない)。タイトーも1973年には「エレポン(フライヤーはこちらで)」「デビスカップ(フライヤーはこちら)」他の類似品を出している。
ところで、今回の記事のタイトルは、アーケードゲーム業界紙の元編集長であった赤木真澄氏が著した「それはポンから始まった」という本から頂いています。同書は、日本語で書かれているという点でも稀有な、ビデオゲームとその業界の発展史であり、ゲームファンなら一度は読んでおきたい名著として、この機会に強くお勧めしておきたいと思います。お求めはAMAZON、または公式サイトからどうぞ。
(つづく)
ワタシも以前は熱心なビデオゲームプレイヤーでしたので、語ろうと思えば語れるゲームはたくさんあるはずなのですが、いざビデオゲームについて何か述べようとすると、すぐに筆が止まってしまうのです。
その最も大きな理由は、いかに自己満足のための泡沫ブログと言えども、公開する以上はそのゲームができた当時の社会情勢や業界事情など、なにがしかの歴史資料的価値を多少なりとも含ませておきたいという欲が働くところにあります。しかし、ためしに書いては見るものの、結局は無名の一個人が過去に遊んだゲームのルールと感想を記録しただけのものとなってしまうため、これでは意味がないと没にすることを繰り返しておりました。しかし、現状ではあまりにもバランスが悪いので、ここでひとつビデオゲームの黎明期の記憶を記録しておいてみようと思います。
ワタシが初めて目にしたビデオゲームは米国ATARI社の「PONG」で、おそらくは1973年ころ、東横線都立大学駅近くにあったボウリング場「柿の木坂トーヨーボール」(関連記事:柿の木坂トーヨーボール&キャメル)でのことだったと思います。テレビのブラウン管と思しき画面に、プレイヤーの操作によって動く記号が表示されるゲーム機を見て、「これはいわゆる一つのコンピューターというやつに違いない」と興奮したものでした。何しろ当時はまだ、コンピューターというものはたいへん高価な最先端技術で、限られた場所でしか使われないモノだった時代です。それを自分で触って操作するなんて大変に未来的なことのように思えた時代でした。
PONGの筐体(上・画像出典/wikipedia)と、PONGのゲーム画面(下)。
実は、「PONG」以前に、「コンピュータースペース」(Syzygy Engineering / Nutting Associates 1971)というビデオゲーム機が、史上初のコインマシンとして世に出ていますが、日本には輸入されていないとのことで、ワタシもリアルタイムには見た覚えがありません。
コンピュータースペースの筐体(画像出典・wikipedia)。曲線と曲面を多用したFRPの筐体は、当時の未来的なイメージの典型のように見える。
「コンピュータースペース」は、二人のプレイヤーが、それぞれが操る宇宙船でドッグファイトを行うというゲーム性だったそうですが、画面中央の太陽(ブラックホール?)の引力の影響を受けるなど操作が難しすぎたために人気の方はさっぱりだったとのことです。このゲームは、1977年頃に、米国シネマトロニクス社など2、3のメーカーが「SPACE WARS」などのタイトルでリメイクしており、これらは日本でも見ることができましたが、確かに操作が難しく、少なくとも私にとってはそれほど熱中できるゲームではありませんでした。
「PONG」を開発したのは、コンピュータースペースを開発したノーラン・ブッシュネルという人物です。彼はコンピュータースペース開発の後、自らATARI社を設立して、より簡単なゲーム性の「PONG」というビデオゲームを1972年に世に送り出し、これが世界的な大ヒットとなりました。そのため、PONGが事実上の市場初のアーケード用ビデオゲームと目されています。
二人のプレイヤーが画面上で行うピンポンのようなゲームはたいへん流行し、翌1973年には多くのゲーム機メーカーが類似品を作り、日本でも、セガやタイトーが参入しました。
セガによる「PONG」の類似品(画像は1975年に頒布されたセガの総合カタログより。発行年と掲載されているゲーム機の製造年とは必ずしも一致しない)。タイトーも1973年には「エレポン(フライヤーはこちらで)」「デビスカップ(フライヤーはこちら)」他の類似品を出している。
ところで、今回の記事のタイトルは、アーケードゲーム業界紙の元編集長であった赤木真澄氏が著した「それはポンから始まった」という本から頂いています。同書は、日本語で書かれているという点でも稀有な、ビデオゲームとその業界の発展史であり、ゲームファンなら一度は読んでおきたい名著として、この機会に強くお勧めしておきたいと思います。お求めはAMAZON、または公式サイトからどうぞ。
(つづく)