オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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「きゅぽかの(ボウリング漫画)の単行本を買った話」のフォロー

2016年11月23日 00時31分40秒 | スポーツ・マンガ
昨日、拙ブログの最新記事を読んだ女房から、「ちょっと評価が厳し過ぎじゃない?」との懸念が伝えられました。あ、ちなみに女房も、アベレージは150くらいとあまり上手とは言えませんが、ボウリングを嗜みます。

そう言われて前回の記事を読み返してみると、「ボウリングに関する描写は真面目」と評価する部分もありますが、全体的には女房が心配するのももっともな内容かも、と思い至りました。ワタシとしてはこの漫画を貶して溜飲を下げたいわけでは決してなく、むしろ気持ちとしては応援したいくらいでありますので、ここはひとつフォローしておきたいと思います。

自身もボウリングに嵌まったという作者は、なんとかボウリングの面白さを世に広めたいと考えたことでしょう。それは、ボウリングに目覚めてしまった者によく見られる、一種の宿命のようなものです。そして、作者は、彼ならではの表現手法であるマンガを活かしてそれを語りたかったのだと思います。

しかし、攻撃や防御と言う概念がなく、また、世界記録とか、あるいはオリンピックなどのビッグイベントといった他者の共感を得やすい目標が設定しづらいボウリングという種目は、さぞドラマが作りにくいスポーツだったことと思います。ワタシは、そのような難しいテーマにもかかわらずボウリングの普及に一役買おうと敢えて挑んだ作者の心意気を、大いにリスペクトするものです。

「友情、努力、勝利」の方程式が困難となれば、ボウリングの技術や周辺知識に関する話でその奥深さを正面から伝道するやりかたも考え付きますが、そのような話は、ボウリングに目覚めた「スポーツボウラー」にとっては興味深く面白くとも、世の中の大多数である、ハウスボールとハウスシューズで投げている「レジャーボウラー」にとっては、たいてい、どうでもいい、興味を惹かない話です。

正攻法ではより幅広い読者層を惹きつけることが難しいとなれば、次に考えられる手段として、「萌え」に行きつくことは、昨今のご時勢から考えればむしろ正着、本手と言うべきだったのかもしれません。そして「きゅぽかの」では、ボウリングを、萌えキャラの女子高生3人がじゃれあうための溶媒としたのではないかと想像しています。しかし、それはどうやらミスマッチだったようで、結果として、ボウリング漫画としても、萌え漫画としても、共感を得にくいものになってしまったように思います。

「きゅぽかの」は、残念ながら既に連載を終え、全9話はこの1冊に全て収録されているという事を、今日知りました。もし、またボウリング漫画を描く機会があるようでしたら、主人公は萌えキャラ少女でもいいので、素直な成長物語として描いてみてもらいたいと願ってやみません。