983 我が庵は宮この辰巳 しかぞすむ 世をうぢ山と人はいふなり
題しらず
きせん法師
私の住んでいる、そまつな家は、都からみて南東にあたる方向にあって、鹿が住む山里にあります。世の中の人々から「憂し」(宇治)と嫌われている所です。
喜撰法師:生没年不明。伝不明。この歌は、百人一首にも採録。
古今集の序に挙げられている6人のうちのひとり。
その評価は「言葉かすかにして、初め終わりたしかならず。いはば、秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし」
さらに、「よめる歌多く聞こねば、かれこれ通はしてよく知らず」
喜撰法師が詠んだ歌としては、もうひとつあるだけらしい。
それは「木の間より 見ゆるは谷の蛍かも いさりに海人の海へ行くかも」
失礼ながら、上の2首とも抜群のできとは思えない。
であるのに、どうして、当時「近き世にその名きこえたる人」と認識されていて、古今集にも採録せざるをえなかったのだろうか?
じっくり時間をかけて調べたいものだ。
題しらず
きせん法師
私の住んでいる、そまつな家は、都からみて南東にあたる方向にあって、鹿が住む山里にあります。世の中の人々から「憂し」(宇治)と嫌われている所です。
喜撰法師:生没年不明。伝不明。この歌は、百人一首にも採録。
古今集の序に挙げられている6人のうちのひとり。
その評価は「言葉かすかにして、初め終わりたしかならず。いはば、秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし」
さらに、「よめる歌多く聞こねば、かれこれ通はしてよく知らず」
喜撰法師が詠んだ歌としては、もうひとつあるだけらしい。
それは「木の間より 見ゆるは谷の蛍かも いさりに海人の海へ行くかも」
失礼ながら、上の2首とも抜群のできとは思えない。
であるのに、どうして、当時「近き世にその名きこえたる人」と認識されていて、古今集にも採録せざるをえなかったのだろうか?
じっくり時間をかけて調べたいものだ。