水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(79)

2011-06-27 10:05:25 | 論語
恥躬之不逮也(里仁第四の22)

躬(ミ)の逮(オヨ)ばざるを恥じてなり。

孔子様がいいました。
「昔の人はペラペラ口が軽くはありませんでした(古者、言之不出)。
それは、言うことと躬(=身体、つまり実行力)とがつりあいがとれないことが恥ずかしいことだ、とわかっていたからです」


 孔子が、昔、という昔はどれほど昔のことだろうか。
と考えると、これは、常に今の話、と理解すべきだ。いつの世も口先だけで生きている人間がゴマンといるということ。
と考えると、マスコミが報じる、某国政界の状況も、さもありなん、と達観できるかも。


我々は「不言実行」と習うが、本来、かの国では「不言躬行」(フゲンキュウコウ)と言うらしい。どちらの表現が優れているか?
「不言」とバランスさせ、「身体を動かせ」と直接的に表現する後者のセンスを買いたい。
「実行」は、虚実の実、つまり「本当に行うこと」の意で、「不言」の言と合わない、と感じるのだが。