旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

ゴテゴテの後手後手 其の四

2006-06-22 12:26:08 | 政治
X氏 政治家はたくさん知っているがA(政権中枢に極めて近い自民党議員)といちばん親しい。Aの最初の選挙のときに、最初に応援に行ったのは俺だよ。

X氏 全学連で活動してました。当時はB(民主党参議院議員)が委員長で、C(元大蔵省主計局長)が副委員長、そして私が常任委員長でした。

■Aは加藤紘一さんで、Bは江田五月さんじゃないでしょうか?大東亜戦争の後始末も中途半端で、全学連も単なる「青春の思い出」にしてしまっている日本は、どんどん後続の世代が負わねばならない宿題が大きくなって手に負えませんぞ!「昔は共産党員だったんじゃあ」などと、トンデモない地位に付いている人が好々爺然として喋り出されては、本当に困るのです。このA氏にしても、高級官僚から国会議員にまでなりながら、生まれ故郷の朝鮮半島にはただならない思いを寄せているのですから、核関連技術にしても外交戦略にしても、日本は穴だらけだということです。

■1990年9月に税金使ってチャーター機で平壌に乗り込んだ自民党13人、社会党10人の国会議員と、両党関係者だの政府関係者だの報道陣などの「金魚のウンチ」が36人、合計90人の名前など調べる気になればずらずらと列記出来るのでしょうが、マスコミが大喜びした小泉さんの前置きの長かった「電撃訪問」にくっ付いて行った外交音痴軍団に負けないピンボケ集団だったようです。「鴨が葱背負って」とは言いますが、「アホがチャーター機で」という新しい慣用句を作った方が良さそうな、「タラップ上で手を振る訪朝団」写真が残っていますぞ。仲良くするにも喧嘩するにも、もう少し格好つけないと行けませんなあ。その後も我も我もと平壌詣でが続きましたが、その滑稽譚は別の機会に……。

■世の中はバブル、財界も政界もバブル、金丸爺さんは、外交交渉の場と銀座のクラブを間違えて、「チップをはずめ!」とトンデモない大盤振る舞いをやらかそうとして顰蹙を買ったのですが、選挙となれば炊き出しのオニギリの中にラップに包んだ1万円札が入っていると言われた山梨県の政治風土?をそのまま半島に持ち出しては行けませんなあ。バブルのあだ花だった東海道リニア・モーターカーをぐにゃりと北に曲げて山梨の山深い所に引っ張り込んだのは御愛嬌でしたが、慣れない外交などにまでしゃしゃり出ては行けません。当時の自民党には金丸さんを止める政治家が居なかったのです。それからの北朝鮮外交の「失われた10年」は大きな意味を持ちました。田中派・経世会・橋本派と流れた自民党の主流を根絶やしにした小泉さんが、ぽんと飛び出して「永遠」の外務官僚が書いておいたカビの生えた日朝平壌宣言を持って訪朝したのですから、拉致も核もミサイルも、何一つ解決するはずはないのでした。

■「日々変化する外交情勢」などと、作文にはあっさりと書き込む癖が有る外務省ですが、御仕事は「10年1日のごとく」こなしているようですから、あの宣言文も当時も今も、海外メディアはまったく重視してくれません。ちょっとした情報機関を持っている国なら、北朝鮮の核技術やIT技術が何処から来ているのかは知っているでしょうから、下手な田舎芝居にしか見えないに違い有りません。偏差値の高い大学に入学して、外交官試験にパスした、それがどうした?と生々しい世界の外交の最前線で戦っている連中に聞かれたら、ぐうの音も出ないとも聞きますなあ。日本国内だけで偉い外交官というのは悪い冗談です。

■法律では戦争と一緒に「博打」を禁止しながら日本中の津津浦浦にパチンコ屋さんと「景品交換所」が並んでいる変な捻れ現象を放置している国から、莫大な軍資金が北朝鮮に流れ、工業製品だろうが半軍事製品だろうが、日本から北朝鮮にどんどん流れていたのです。そう言えば、昔は「ココム」などという正体不明の組織が有って、日本も社会主義陣営に軍事転用可能な技術を輸出しない約束を強いられていました。日本から北朝鮮に変な技術が流れているぞ!と米国から怒られた事は一度も無かったようですが、日本の東芝が米国でも作れないスーパーコンピュータとノート型パソコンを開発したら、突然、ソ連の潜水艦のスクリューを滑らかに削る工作機械を輸出した!と濡れ衣を着せられましたなあ。

■米国は、敵が肥え太って世界中が注目するくらいに大きな悪役に育つまでは、自腹を切ってでも育て上げておいて、突如として、「邪悪な敵だ!」と名指しして自国の軍隊がしこたま貯め込んだ武器の在庫整理をするという悪い癖の有る国です。日米関係を機軸とするのは結構ですが、何でもかんでも言う事を聞いていると、また!生贄にされる危険は有りますぞ。ご用心、ご用心。

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ゴテゴテの後手後手 其の参

2006-06-22 12:25:53 | 政治
■日本から核開発に必要な技術が北朝鮮に流出しているという噂は、別のメディアでも度々指摘されていたのですが、週刊朝日はその中心人物を特定しています。

X氏の出生地は日本ではなく朝鮮半島だという。さらに東大在学中には左翼系学生組織「全学連」の主要メンバーのひとりであり、この運動を通してX氏の政治歴が開ける。当時の「同志」ともいうべき別のメンバーはのちにX氏と同じくキャリア官僚となり、政界と深く関係を持つようになった。そしてこの人物が橋渡し役となり、X氏は「政界のドン」こと金丸信・元副総理との人脈を築いたとみられる……

■やっぱり北朝鮮問題と言うと金丸さんの名前が出て来ます。1990年の鳴り物入りで実施された平壌訪問は、55年体制のハラワタを露呈するように社会党副委員長の田辺誠さんと仲良く飛行機に乗って平壌に引っ張り出されたのでした。あの瞬間に社会党の命脈は尽きていたのですなあ。マスゲームに人文字、金日成主席との浪花節会談、色仕掛けや賄賂攻撃などの噂も有った非常に怪しい訪朝団でした。佐川急便事件から脱税事件での逮捕へと発展した金丸スキャンダルの中で、刻印無しの金の延べ棒がごろごろ出て来て大騒ぎになりましたなあ。佐渡に告ぐ金山が有った山梨県のドンだからと言っても、自宅の金庫に刻印無しの延べ棒が転がっているのは奇怪な話です。「新党結成の資金」とご本人は言っていたという話も有りましたが、出所不明の純金を何処で換金するつもりだったのでしょう?


……前出の公安関係者は語る。「金丸関連の史料によると、北朝鮮は国交回復の見返りに支援を期待していたことがわかります。支援の中身は第一に食糧援助。第二にはパチンコ産業の保護。そして第三にエネルギー支援。……コメ支援は周知のとおりであり、パチンコ産業は一時期30兆円規模というわれるほど成熟した。ただ、エネルギー支援がどうなったかだけは不明でした……」

■X氏は金丸訪朝で北朝鮮と接触したのだそうですが、X氏以外にも北京あたりで北朝鮮関係者と多くの民間技術者が接触していたとの話も紹介されていますが、友好の印なのか、多額のオコヅカイが貰えたのだそうです。どうせ日本の在日同胞から巻き上げた悲しい資金なのでしょうが、ぐるりと回って日本のうっかり者の裏金になって戻って来ていたのですなあ。


金丸訪朝当時の北朝鮮の政界工作をよく知る自民党の衆議院議員もこう語る。「金丸は訪朝後、いろいろな場面に北朝鮮擁護の立場で介入するようになった。警視庁の朝鮮総連関係施設への強制捜査が、前日に金丸の鶴の一声でつぶされたこともありました。金丸は訪朝時に“ハニートラップ”に引っ掛かったという話もある。この訪朝を仕掛けた北朝鮮系のある大物は、政財界に広い人脈を持ち、金丸とも眤懇(じっこん)の仲だった。……」

まったく、その容貌から失礼ながら「妖怪」そのものだった晩年の金丸さんは、本物の「昭和の妖怪」岸信介さんほどの見識も知略も無い困った丈夫な年寄りだったようです。『週刊朝日』はX氏を特定していて御本人にインタヴューしているのですが名前は最後まで明かしていません。後のオタノシミなのでしょうか?


X氏 きっかけは金丸先生。もともとは台湾ロビーで、李登輝が総統に就任するときに一緒に台湾に行ったりして親しくなったのだが、その後、金丸先生が中国・北朝鮮派になったので。

■日本の外交戦略が、派閥選挙の資金源になる利権話の延長でころころ変わる情けない実情がはっきり分かる話ですなあ。角福戦争などと言われて日本の「田舎政治記者」と「田舎陣笠政治家」が蠢(うごめ)く中で、台湾と北京とを両天秤に掛けて東アジア外交の主導権を取れた時に、角栄さんは自分が台湾やインドネシアの利権を取れないものだから、あっさり親日台湾を斬り捨てて北京に乗り換えたのを、日本中の新聞がパンダ騒ぎを利用して「日中友好」を書きたてたのが運の尽きでしたなあ。別に、二者択一など誰も求めていなかったのに、実に勿体無いことをしたものです。そんなアホな外交を伝統にしてしまった自民党には外交戦略など欠片も残りませんでしたなあ。金丸さんも息子を北朝鮮利権の継承者にして、どれほど裏で儲けようと思ったのかは分かりませんが、その後に小沢一郎さんだの、渡辺ミッチーだのが続々と平壌詣でに励んだのですから、角栄さんを持ち上げたマスコミの罪は重いのです。

ゴテゴテの後手後手 其の弐

2006-06-21 15:06:28 | 政治

■こうした隠された時限爆弾を体内に埋め込まれてしまったような事件では、民法の「除斥期間」という難問が有るのだそうです。「不正行為から20年が経つと損害賠償請求権が自動的に消滅する」という時効問題です。発症までに20年以上も掛かるややこしい病気になったら泣き寝入り!危ない話ですが、今回の上告審では、「肝炎発症など実際の損害発生時から20年以内なら損害賠償請求権は消えない」との判断が出たそうです。国会が漫才ばかりやっていて、役人は秘密互助会を作って老後の心配ばかりしているのですから、司法ぐらいは正気で居てくれないと、日本は真っ暗になってしまいますなあ。

■最高裁では、04年に「筑豊じん肺」「関西水俣病」で起算点を後ろにずらして請求権が残っていると判断しているので、これで3本目のヒットになるそうですが、最近の「ドミニカ移民(棄民)訴訟」では、訴えるのが遅過ぎたと門前払いされてしまいましたからなあ。役人は「時効」までトボケ通せば経歴に傷が付かずに老後の心配も無くなるというわけです。鈴木宗男さんが国会で根掘り葉掘り頑張っている外務省の大甘規定で、飲酒運転で人を轢き殺そうと、セクハラ犯罪を起そうと、大使様になったり幹部になったり出来るという実態も暴露されています。福井日銀総裁のインサイダー株商売も、規則に書いていないから無罪なのだそうですなあ。法律を作るのが国会議員の仕事なのですが、法律の素人が集まってわいわい騒いでいるだけなので、役人のお手盛りで法律が書かれるのを党利党略で可決して済ましていると、こんな事になります。

■北朝鮮のテポドン2が引っ張り出されて発射台に立てられたとか、液体燃料が注入されたとか、米国から怖い情報が提供されました。2年前に自前の偵察衛星を打ち上げようとして失敗した日本は、今でも米国からの情報でしか、物騒な隣国の様子を知ることが出来ません。あのロケットを落とした責任者は誰だったのでしょう?同じ布陣で技術開発を続けているのなら、余り大きな期待は持てないのでしょうなあ。武力行使を自ら禁じている日本は情報収集能力と分析能力を磨かねばならない、とずっと言われているのに、その情報の入り口を整えられないのですから、外務省も内閣も米国追随以外の仕事は無いようなものでしょう。安部官房長官や麻生外相がどんなに強面(こわもて)を作っても、手も足も出ない事は見透かされているでしょうなあ。

■『週刊朝日』6月9日号に「『日本版カーン博士』と政治家たち」というスクープ記事が掲載されました。B型肝炎もドミニカ棄民も、マッチ・ポンプか泥縄か、自分の手で自分の首を絞めている間抜けな日本の姿が情けないのですが、世界中が恐れている北朝鮮からの核兵器拡散と長距離ミサイルもメイド・イン・ジャパンだった可能性が有るのだそうです。拉致問題も謀略線に破れて四半世紀も騙され、テポドン1が列島を飛び越えてからびっくり仰天している日本ですから、知らない間に核開発に協力させられても不思議はありませんが……。


……警視庁公安部は昨年10月、東京都内にある在日本朝鮮人総連合会傘下の「在日本朝鮮人科学協会」や財団法人「金万有科学振興会」などへの家宅捜索を行なった。両団体は、いずれも北朝鮮の核開発に深くかかわっていると見られていた……警視庁が捜査の結果特定したX氏は、東京大学工学部を卒業後、通産省の資源エネルギー庁で原子力発電安全管理課長などを歴任する傍ら、母校の東大で講師を務めるほどの原子力専門家だった。また、通産省退官後は国会議員を務めるなど、政界とのパイプも明らかになった。……

ゴテゴテの後手後手 其の壱

2006-06-21 15:05:39 | 政治
■アスベストの危険性を知っていて放置していた旧通産省、HIV汚染血液製剤に続いてC型肝炎ウィルスに汚染されたフィブリノゲンも放っておいた旧厚生省、何がそんなに忙しいのか、さっぱり分かりません。余りに無能で世間知らずな国会議員のセンセイ方に対する「ご説明」で精一杯なのかも知れませんが、自分たちの天下り先の確保と裏金作りには悪知恵を働かせて、てきぱきと対応処理しているのですから、本当は暇が有るはずなのですが……。

■6月17日に最高裁で注文くすべき判決が下って原告が勝訴しております。しかし、世の中は始めから勝算の無いワールドカップ・サッカーと秋田県で逮捕された薄幸の女性を打ちのめす報道に時間が割かれて、それに加えて「ポスト小泉」の勝ち馬予想に血道を上げているので、次々と大問題が押し流されて行っているようですなあ。以下は朝日新聞からの引用です。


多くの人が受けてきた集団予防接種がB型肝炎ウイルスへの感染を引き起こした――。16日の最高裁の判決は、「時の壁」に一度は阻まれた被害者を救済すると同時に、今回の原告だけにとどまらない問題の広がりを示した。「置き去りにされてきた」とも言われるB型肝炎。注射器の連続使用を長く放置した国は、今度、どんな対策をとるのか。

■責任者は「国」ではなく旧厚生省であるのは明らかです。血液製剤事件の時にも、書類が無い資料が無い、責任者は退職しているし大臣もころころ代わって誰が責任者か分からない。そんな「時の壁」に邪魔されて一時はうやむやの泣き寝入りになりそうだったのを、まだ元気だった菅直人厚生大臣が役人を怒鳴りつけて書類を引っ張り出して急転直下、「国の責任」が明らかになったのでした。しかし、血友病関連では医学界のドンだった主犯は裁判が始まったら急に老け込んで病に倒れてきれいに決着は付きませんでしたなあ。HIV感染事件も重大な医療行政の犯罪でしたが、今回のB型肝炎事件は、規模がまったく違いますぞ!


……BCGなどの予防接種は94年まで義務化されていた。注射器の使い回しでウイルス感染する危険は早くから指摘され、世界保健機構(WHO)は53年に肝炎感染の可能性について警告していた。国は88年にようやく使い回しを禁じた。旧厚生省の肝炎対策有識者検討会が01年にまとめた報告書は、B型肝炎の感染経路として母子感染や輸血、性交渉をあげているが、集団予防接種について言及はない。

■1953年にWHOが発した「警告」も知らない阿呆を呼び集めて「有識者検討会」とは片腹痛い!こういう官製会議に呼ばれてほいほい出かけて行く「有識者」には、異常な目立ちたがり屋や勲章マニアが多いそうですが、始めから集団予防接種への言及は禁じられていたことを臭わせる状況証拠が有ります。記事が引用する厚労省幹部の妄言です。


「患者が多すぎるうえに、予防接種だけが原因と言い切れない。対策のとりようがなかった」

これが「幹部」の発言です!「患者が多すぎる」とは言いも言ったり、そんなに大量の患者が生まれたのは「母子感染」「輸血」「性交渉」ではなく、泣いて嫌がる子どもを並ばせて麻薬患者みたいに注射の回し射ちを義務化した結果でしょうが!推計でB型肝炎感染者は120万~140万人なのだそうです。仮に一斉に入院加療となったら日本中の病院は大変な状態になりそうです。既に発症してしまった患者に対して北海道や東京、長野県などが医療補助を出しているのだそうですが、次々に予算がパンクしてしまって「通院費」は補助対象から外しつつあるそうです。フィブリノゲンが原因で広まったC型肝炎でも国は訴えられていて、今月21日に判決が出るそうです。下部組織の社会保険庁は国民から「預かった」年金保険料を数千億円単位で無駄遣いして誰も責任を追求されず、親玉の厚労省は「貧乏人は病院に行くな!」と医療保険制度を改悪中です。

歴史的遺産の利用法 其の四

2006-06-20 22:17:37 | 歴史
韓国に残る2セットは国宝で世界記録遺産にも登録。一方、東大の47冊は研究者には知られていたが、大学トップが存在を知ったのは今年3月だった。五台山の僧らが組織した市民団体・実録還収委員会から返還の要求が届いたからだ。……文化財の不法な輸出入を禁止するユネスコの条約。適用は1970年以前にさかのぼらない仕組みだが、小宮山宏・学長が「ソウル大のものと一体とすることが学術の発展と交流の推進に望ましい」と決断したという。

■五台山のお坊さん達が動いているというのは怪しいものを感じる話ですなあ。この点だけは注意しておかねばなりません。この種の運動が市民レベルから盛り上がるようなことは絶対に無い体制ですからなあ。先の渤海の石碑も、大連市の政治協商会議が口火を切っているので、裏には北京政府の意向が動いているのは明らかでしょう。ですから、本当は相手がやいのやいのと言って来る前に先手を取って善い事をしてしまった方が良いのです。相手から言われたら後手に回って悪者にされてしまいますからなあ。


……東大が5月31日に行なった記者会見でも、韓国の報道陣から、東大は「寄贈」と言うが「返還」ではないのか、東大が財産として台帳に載せた根拠は何か、といった質問が浴びせられた。

これは韓国側の方に部が有る話ですから、東大側は相手を論破するのは困難だったでしょうなあ。


東大には、中国や朝鮮で戦前に集めた文化財がほかにも多数眠っているといわれる。昨秋、ソウルにオープンした国立中央博物館にも貸し出し多数展示されているが、東大は「今回の実録のケースを一般化はできない」(佐藤・副学長)という姿勢を見せる。だが、隣国の国宝が書庫に眠っているというような状態は健全とはいえないだろう。過去を清算するために東大は率先してさらに知恵を絞るべきではないか。

■以上が朝日新聞の記事です。最後は「過去を清算」「知恵を絞る」という決まり文句のつるべ打ちなのはご愛嬌です。「隣国の国宝が書庫に眠っている」という状態は決して不健全ではありません。こんな理屈が通るのなら、他国の博物館や資料館の目録を漁って、目ぼしい物をどんどん国宝に指定して返還を要求する大混乱が起こりますぞ。各地の博物館や美術館に収蔵されている品物には、それぞれの入手した経緯と事情が有るのですから、それを十把一絡げに扱うのは乱暴です。まして、過去の文化財に対して所有権を主張する現在の国が本当に後継国としてふさわしいのかどうかも判断できない場合が多いのですからなあ。

■現地ではゴミ同然に放置されていた文化財を他国の探検隊や調査隊が発見して持ち帰り、慎重に調査研究しながら丁重に保管しているような場合は、うっかり返還したら「高松塚古墳の壁画」みたいにぼろぼろになってしまう事も有り得るのですから、何でも返せば良いというわけには行きません。文化的交流の基盤は飽くまでも外交関係ですから、国益に適う「寄贈」や「返還」を行なうべきでしょうなあ。それとは別に、東大に限らず自分の所に収蔵保管している資料の詳細を知らないというのは職務怠慢ですぞ!相手から返還を要求されて調べて見たら有りました、というのでは、間抜けな泥棒みたいではないですか?!収蔵品を知らないという事は、その文化財を入手した経緯も知らないという事ですから、相手に格好の攻撃材料を与えてしまう危険性が高いと言えますなあ。

■日本には「正倉院」という世界最古の博物館と呼べるような施設と伝統が有るのですから、大学や博物館にはしっかりと仕事をして欲しいものであります。

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歴史的遺産の利用法 其の参

2006-06-20 22:17:23 | 歴史
■異常な親日国だった渤海が存在していなければ、多くの遣唐使が命を落としたり貴重な文物を持ち帰れなかったのです。アジア重視というのなら、日本とアジアとの交流史をしっかりと後世に伝えておかねばなりません。「遣唐使」という名前を辛うじて覚えている程度の教養しか学生に授けられない歴史教育では困りますなあ。北はアムール河流域にまで達していた渤海国が存在しなければ、破れたとは言え、満州国の五族共栄の夢は生まれなかった可能性もあります。契丹に亡ぼされたことになっていますが、白頭山の大噴火による大災害が滅亡の原因ではないか?とも言われる謎の多い渤海国は、東アジアのポンペイだったのかも知れませんぞ。そんな面白い歴史を埋もれさせては勿体無いですなあ。

■朝鮮半島では南北統一の浮かれ話が流行しているそうですが、現代の60年は古代の1000年分くらいの大変化をもたらす世界の現状を考えねばなりません。ベルリンという切り込みを入れておいた東ドイツでさえ、統一までの45年の大穴を埋めるのにまだまだ長い時間が必要なのですからなあ。高句麗の歴史問題が中韓でしか議論にならないというのは今の力関係を如実に表わしていると思われます。高句麗も渤海も北朝鮮のルーツだ!と言いそうなものですが、将軍様もおっかなくてそんな不遜な事は言えないのでしょうなあ。もう少し日韓関係が良好ならば、渤海の石碑を韓国に「一時返還」するのも面白い一手かも知れません。チャイナが南の海で好き放題の線引きをしているのは困りものですが、東に押し出して来ては駄目だぞ!というつっかえ棒の代りに石碑を使えれば、日韓共同で「チャイナ外し」の歴史研究が進められるのですが……。

■2006年6月7日の朝日新聞には、別の歴史遺産の記事が掲載されました。『朝鮮王朝実録』という書物です。今度は宮内庁ではなくて、東京大学が舞台です。


東京大の図書館に収蔵されてきた「朝鮮王朝実録」47冊が、ソウル大へと寄贈されることが決った。「存在そのものがドラマ」(佐藤慎一・副学長)と調査に当たった東大関係者も驚くこの歴史書は、日本と朝鮮との間の長く厳しい歴史の生き証人とでもいうべき存在だ。7月中にも、90年ぶりに祖国へと帰る。

うっかり「祖国へと帰る」などと書いてしまっても良いのでしょうか?北朝鮮から文句が出たら、きちんと反論する準備をしておくべきでしょうなあ。


朝鮮王朝の正史である「実録」は、韓国に鼎足山本(848冊)と太白山本(1181冊)の2セットが残る。東大に保管されていたのは五台山本と呼ばれるセットの一部47冊。日本が植民地にして間もない1910年に、東洋史の大家、白鳥庫吉・東京帝大教授がもたらしたらしい。当初は太白山本と同じ冊数だったと考えられるが、東大図書館は関東大震災で全焼。研究者が借り出していた74冊が焼け残り、そのうち27冊が1932年に当時の京城帝大に移され、ソウル大へと引き継がれている。

■大変な史料が眠っていたものです。しかし、天下の東大でも貴重な史料が集められている図書館に地震対策が施されていなかったのは驚きです。これも大切な歴史の教訓でしょうなあ。今の東大図書館はあちこちに分室を造って史料を分散保存したり、消火設備や耐震構造も採用しているようですから、資料保存に関しては長足の進歩を遂げたと言って良いのでしょうなあ。先日の松山訪問で、正岡子規記念博物館のW学芸員から、現代の複製技術について詳しい説明をして頂きましたが、研究者にとっても不自由の無い現物とまったく同じ物を作れるのに驚嘆したのでした。こういう他国の書物は、どんどん精巧な複製品を作って現物はどしどし返却したら良いでしょう。


朝鮮王朝は1445年、実録を保管するための史庫を国内4箇所に設けた。ところが16世紀末に、豊臣秀吉の侵略によって三つの史庫が消失。残った1セットをもとに1606年に復元し、史庫を5箇所に増やし保管していた。

豊臣秀吉まで引っ張り出されると日本の立場は弱くなります。チャイナ側からの度重なる侵略行為を引き合いに出して、「たった1回の侵略をいつまでも問題にするな」という開き直りも出来ますが、ここは素直に反省しておくべきでしょう。

■文禄の役=壬辰の倭乱(1592~96)と慶長の役=丁酉の倭乱(1597~98)は、巨大な歴史ドラマでした。「北虜南倭」に苦しむ明王朝と日本との関係を中心に据えると、東アジアの再編成という大掛かりな企てたが見えて来るのですが、それは織田信長から豊臣秀吉に引き継がれ、徳川家康が清算して鎖国政策へと向います。その大きな分岐点に位置する重要な侵略戦争なのに、何故か日本では大河ドラマでも扱いは粗略に過ぎるような気がします。韓国では大作のテレビ・ドラマや映画も作られているそうですが、「韓流ブーム」の波には乗らないようですなあ。日本の視聴者にとっては不愉快で視聴率が期待できないからかも知れませんが、韓国併合よりは冷静な議論が可能な歴史的事件ですから、もっと興味を持っても良いのではないでしょうか?

歴史的遺産の利用法 其の弐

2006-06-19 10:43:27 | 歴史


遼寧省大連市の政治協商会議では今年1月、大連大学の王禹浪教授らが石碑研究の促進を求める提案をした。旅順市では石碑の展示館建設計画も浮上している。北京の研究者らが04年に設立した「唐鴻ロ井碑研究会」(羅哲文会長)の関係者は、「石碑研究での協力を進め、駐日友好関係を発展させたい」と話し……。

反日運動に利用しようという悪意はまだ見えないようですが、下手をすると一番損な役回りが日本に押し付けられる危険は有ります。


中国側の関心の背景には、歴史的な帰属をめぐる韓国との論争がある。渤海国の前にあった高句麗をめぐる論争は、昨年5月の中韓首脳会談で取り上げられるなど、外交問題に発展した。中国から見れば、高句麗の流れを引く渤海国が唐の藩国であったことを示す石碑は、両国とも中国の歴史に位置づけられるとの立場を裏付ける重要な証拠になる……。

■高句麗時代、楽浪郡や帯方郡を置かれてチャイナの藩国になっていたのは事実ですが、313年には五胡十六国の動乱時代の開始に合わせて完全な独立を回復しています。その全盛期に出現したのが広開土王で、チャイナは南北朝時代へ移る中、高句麗は現在の北朝鮮の2倍以上の国土を北に広げて元気でした。現在の韓国に当たる場所には新羅・百済・加羅(任那)が鼎立して大和朝廷も勢力争いに介入しているという非常に複雑な国際情勢でしたなあ。そんな高句麗ですから、朝鮮半島の人々にとってはチャイナの圧力を押し返した歴史の希望であるわけです。しかし、相手のチャイナ側からすれば、楽浪・帯方郡を置いて呑み込んだ時点から歴史を語りたいわけで、高句麗が元気になったのは北方民族が乱入して起こった天下大乱の五胡十六国から南北朝の「特殊な時代」に起こった一時的な椿事だったと言いたいのでしょうなあ。

■一度呑み込んだからと言って自分の領土だったと言うのは怪しからん!と韓国は怒っているのですが、その舌の根も乾かないうちに竹島ばかりか対馬にまで唾を付けたと偽書を振りまわして興奮しているのは困ったものです。世界は二枚舌で喧嘩するのが常態なのですなあ。日本もこういう図々しさと逞しさを身に付ける必要が有りそうですぞ。渤海国の遺跡は遠くロシア沿海州にも残っているのだそうです。ウラジオストクの西300キロ、その名を「クラスキノ遺跡」と言うのだそうです。昔は「塩州城」という地名で、日本へと向う船が出た港町だったようです。環日本海文化と呼ばれる広大な交易ネットワークの歴史は古く、渤海国もこの伝統の中に出現したのでした。渤海は海上交易によって栄え、唐王朝さえも羨むほどだったのです。

■このロシアのクラスキノ遺跡から発掘された陶器の破片が、福岡県、石川県、山東省、四川省、陝西省、浙江省などでも発見されている湖南省産の物だとか、何とも壮大なネット・ワークを作ったものですなあ。日本海沿岸の地方自治体では、新しい日本海文化を創り出そうと頑張っているところが多いようですから、渤海国の歴史は決して他人事ではないのです。


渤海史を専門とし、99年に石碑を紹介する論文を発表した国学院大栃木短大の酒寄雅志教授は「渤海という国ができた当時を考える史料だ。皇居の奥深くしまい込んでおかないで、まずは開放・公開してほしい」と語る。宮内庁によると、石碑は現在も「国有財産」として皇居内の吹上御苑で保管されている。立ち入り規制があり、写真の提供には応じることはあるものの、公開はしていないという。返還などを求める動きについては、「そういう報道には接していない」としている。

■高熱をおしてシンガポール、マレーシア、タイを歴訪していらっしゃる天皇皇后両陛下がお聞きになったら悲しむような宮内庁のコメントです。こういうのは世が世ならば「君側の奸」と言うのではないでしょうか?宮内庁には新聞も雑誌も届かないのか?海外での武力行使を認めない「憲法9条」を遵守するなら、「戦利品」はどんどん送り返してしまえば良さそうなものですが、縦割り官僚達にとっては国益よりも省庁を守ることが大切なのでしょうか?欧米では平気で「戦利品」を博物館に展示しているのですが、それでも「国民の財産」として全面的に公開していますぞ。皇居内に仕舞い込んでいるのなら、「皇室の財産」なのではないですかな?もたもたしていると「略奪者」の汚名を天皇家に負わせることになるかも知れませんからご注意を願いたいものですなあ。

歴史的遺産の利用法 其の壱

2006-06-19 10:43:11 | 歴史
■日韓、日中間には「歴史認識問題」が出たり引っ込んだり、偶には暴動になったりしてテレビ・ドラマや映画などの交流に水を差します。面倒臭くなると、歴史など何も知らない素人が最近の歌手や俳優を気に入ったという単純な理由で「交流」が進めば良いのではないか?と考えたくもなりますが、それは所詮は「商売」の話という限界が有って、下手をすると新たな幻影が生まれて歴史自体が歪んでしまう危険が有ります。

■対馬では韓国からの観光客を抜きにしては地域経済が成り立たなくなっているという報道も有ります。それも草の根交流の一種なのですが、釣り人の違法行為やゴミ問題が深刻化しているとの話も有るようです。テレビ・ニュースによりますと、韓国からの団体客のガイドさんが参加者を喜ばそうと、「竹島も対馬も韓国領です」などとメチャクチャな説明をしてお客さんから拍手喝采を受けているようですぞ!地元の人にとっては大切なお客様ですから、何を言おうと放って置くしかないでしょうが、目に余るようになると抗議に出向いて暴力沙汰を起す元気な日本人が現われるかも知れませんなあ。戦後、韓国も中華人民共和国も、現政府の正当性を前面に押し出すために無理な物語で歴史を書き換えてしまっていますから、そんな教育を受けて育った人達が観光客になって日本に来ると面倒臭いことになりますなあ。


皇居の中に、中国から運ばれた一つの石碑が眠っている。7~10世紀に東北アジアにあった「渤海国」と、唐王朝の関係を伝える史料で、日露戦争後、「戦利品」として当時の日本軍によって持ち出された。中国の研究者らの間でいま、この碑の公開や返還を求める声が出始めている。……  以下 朝日新聞2006年5月28日記事

■記事の中でも言及されていますが、同時期に朝鮮半島から持って来た「北関大捷碑」が、置かれていた靖国神社の境内から今年3月に北朝鮮に返還されています。「日本は歴史的遺産も拉致した!」とでも騒ぎ立てるつもりなのか、と思っていたら案外静かに返還されたようです。戦争中の石碑と言えば、高句麗時代の「広開土王」を日本軍が改竄したのしないのと変な騒動が起きたことが有りましたなあ。朝鮮半島とチャイナとは、長い「押し競饅頭」の伝統が有りますから、高句麗VS隋だの高句麗VS新羅VS百済VS唐だの、朝鮮半島は分裂と統一を繰り返しながら、チャイナの歴代王朝とも対立と臣従とを繰り返していましたなあ。騎馬民族の雄だった高句麗は、隋の大遠征を3回に亘って撃退し、その莫大な戦費が原因で隋は滅亡したとさえ言われています。その高句麗の跡を継いだのが渤海国です。

■講談社現代新書1104『渤海国の謎』上田雄著が、コンパクトにまとまっていて読み易い渤海の入門書です。日本との関係がどれほど濃密だったのかが分かって楽しい本です。


石碑は「鴻ロ井碑」と呼ばれ、横3メートル、高さ1.8メートル。713年、唐朝が渤海国の国王に「渤海郡王」の位を授け、唐朝と渤海国が君臣関係を結んだ事を記している。現在の中国遼寧省旅順市に設けられた。日本と直接関係のないこの碑が皇居に移されたのは1908年。防衛研究所図書館収蔵の「明治37、38年戦役戦利品寄贈書類」などによると、海軍によって、日露戦争の激戦地だった旅順から運ばれ、戦利品として明治天皇に献上された。

■「日本と直接関係のない」と言い切れるかどうかは疑問が有りますが、激戦地だった旅順から手ぶらでは帰りたくなかった日本軍の気持ちは分かります。しかし、韓国が独立し満洲国も無くなったのですから、いつまでも日本が持っているのは問題が有ると言えるでしょうなあ。しかし、高句麗の跡を継いだ多民族国家の渤海の跡目はどこの国が継ぐべきなのか?と問われれば、非常にややこしい事になります。

日本敗れる時 其の伍

2006-06-18 10:50:07 | 歴史
■暑さと疲労で守備陣はへとへとになっていた所に、試合前日まで休養を充分に取っていたオーストラリア軍が攻め込んで来ます。最長でも6ヶ月の軍務が終れば戦線を離れて休養を取っていた米軍に対して、召集されたら最後、ずっと戦線に貼り付けられていた旧日本軍の心身ともに追い詰められて行く状況に似ています。自殺説さえ囁かれる山本五十六大将の最前線での戦死は、始めから罠を仕掛けられたも同然の中田ヒデ君の疲れ果てた姿に重なります。楽勝を予感しつつ中途半端な守勢に入る事を言い訳にして疲れている仲間達は、邀撃漸減策と一度の大海戦を計画して最後まで全力の出撃を躊躇って終った旧海軍と重なり、間断なく積極的な攻撃を主張して受け入れられなかった山本五十六の悲劇が、「走らないとサッカーは勝てない」と言い続けた中田ヒデ君に重なります。

■ワールド・カップの会場に立てたサポーター達が眠りも忘れてはしゃぐのは許されても、選手が試合本番に疲れを残してしまうほどの直前練習に励むのは褒められたことではありません。同点に追いつかれた時、既にヒディング作戦に翻弄されてしまった中盤組は実力を発揮できないほどの疲労に襲われていたようです。それはまるで旧海軍が永久に実現しない大海戦を夢見て戦力を温存しながら徐々に保有艦船を無駄に沈められて行った姿に似ています。選手達は変なプレッシャーを感じて不安に陥ってしまったのでしょうか?練習せずに休養を取ったりすると無責任なマスコミが「怠けている!」「緊張感が足りない!」などと「撃ちてし止まん」の伝統を振り回すと心配したのでしょうか?


後半43分、投入された小野によって補強された中盤からパスが出て、ゴール前の福西に繋がるがシュートは不発。

後半44分、MFカーヒルがゴール前20メートルからのミドル・シュートがポストを直撃してそのままゴール左隅に決まり勝ち越しの2点目。その3分後ロスタイムに入って、FWアロイージがゴール前に突入して左足シュートで駄目押しの3点目。

1944年7月7日、サイパン島玉砕。
 同年7月21日、米軍がグアム島上陸開始。
 同年8月3日、米軍テニヤン島占領。飛行場建設。
 同年10月24日、レイテ沖海戦。神風特攻隊出撃。
 同年11月24日、サイパン島を発進したB-29が東京を初空襲。
1945年3月10日、東京大空襲。
 同年3月26日、沖縄上陸作戦開始。
 同年8月6日、広島に原爆投下。
 同年8月9日、長崎に原爆投下。

■一度だけ完成した縦パスの連携で福西君にシュートのチャンスが訪れましたが、敵陣ゴール前で足がもつれて自爆同然の不発シュートになってしまったのは、レイテ湾を目前にして反転した栗田艦隊の姿と重なりましたぞ。可哀想なのは川口君で、勝っている話ばかりを聞かされていた銃後の国民が焼夷弾の雨の下で、疎開だの灯火管制だのと追い詰められていった悲惨な姿とGK川口君の切なそうな顔が重なりました。後半44分に投入された大黒君は神風特攻隊みたいなものでした。健気(けなげ)に走り回ってもシュートのチャンスはやって来ませんでした。それは戦闘機として戦えなくなった零戦達に似ていました。

■そして、ロスタイムの3点目は、(誠に不謹慎な比喩になってしまいますが……)戦後のソ連との対立を見越した長崎への「無駄な原爆」投下みたいなものです。得失点差を有利にすると同時にブラジルとクロアチアに向けて怒涛の得点力を見せ付けるためのデモンストレーションのように見えましたなあ。既に日本の姿はオーストラリアの眼中に無かったのではないでしょうか?初出場のオーストラリアを韓国を率いて駆け上がったベスト4よりも上に押し上げようとする気迫がヒディング監督には満ちていましたなあ。

■日本側の敗戦の弁には、旧日本海軍が愛用した「米国の物量」神話によく似たものが漂っているようでした。自分の作戦ミスを相手の有利な条件を言い訳にして誤魔化しては行けません。始めから石油資源を遠方の求めねばならなかった日本軍が当然のエネルギー不足で自滅して行ったように、暑さと緊張と言う敵も味方も同じ条件下で、スタミナ温存に失敗したばかりか、選手交代に逡巡したジーコ監督の失敗は誰の目にも明らかです。出場選手を発表した記者会見で、監督交代というサプライズが必要だったという冗談が冗談ではなくなってしまいましたなあ。日本が戦争(サッカー)に勝てるようになるには、まだまだたくさんの苦労を経験しなければなりません。サポーターの皆さんはプロ野球界の阪神ファンや横浜ファン、或いは最近の楽天ファンを見習って粘り強く応援し続けねばならないでしょう。

■日本社会ぜんたいの問題として、小さな子供達が走り回ったりボール遊びが存分にできる「空き地」を確保しない限り、ワールド・カップのピッチを90分間疾走する馬力の有る強靭な足腰を持つ選手は出現しない事も考えるべきでしょう。テレビ・ゲームと自動車遊びが大好きな若者の中からサッカー選手など生まれるはずはないでしょうし、元々、スポーツの基本になる「走る能力」を軽視している文化にも問題が有ります。イチロー君が出て来るまで、本格的な「走攻守」に優れた選手が居なかった野球界にしても、陸上競技のトラック種目に強力な選手が出現しないのは、設備にも指導者にも制度にも、大きな欠点があることの証拠でしょう。文科省あたりに主導権を預けている限り、ワールド・カップは「参加することに意義が有る」世界的なお祭で有り続けるのでしょうなあ。

■クロアチア戦に望みを懸けて応援するのは当然ですが、オーストラリア戦に感じた悔しさは絶対に忘れては行けません。今大会の結果がどうであろうと、「打倒オーストラリア」が当面の目標になるのでしょうなあ。因みに韓国チームは初戦を勝利で飾って士気が高まったそうです。ヒディング監督の教え子達ですなあ。ジーコ監督を選んだのは誰なのでしょう?

※FIFAの広報から「誤審」の発表が有ったそうです。憎っくきMFカーヒル選手がペナルティ・エリアでファウルを犯していたのを見過ごしたのだそうです。本来なら、イエロー・カードを貰っていたカーヒル選手は退場で、日本は貴重なPKの権利を得られたのだそうです。歴史と試合に「もしも」は禁物ですから、これで2対2になっていたはずだ!と言うのは止めましょう。高原君のファウルと相殺だ!と言われたら困りますし、日本チームは攻撃力を失っていたことに変わりは無いのですからなあ。でも、ちょっと悔しい!

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日本敗れる時 其の四

2006-06-18 10:49:28 | 歴史
■元気者の坪井君ですが、04年7月のスロバキア戦で負傷し、半年間の戦線離脱を強いられたのと同じ箇所の故障なのだそうです。単なる筋肉の痙攣(けいれん)ではなかったの?という厳しい指摘も有るようですが、本人が駄目だと言っているのですから仕方が有りません。自陣ゴール前を元気に走り回っていた坪井君は、無敵の零式戦闘機みたいでしたなあ。坪井君は故障で退場、零式戦闘機は構造を徹底的に調べ上げられて対抗兵器が大急ぎで開発されて時代遅れになって行き、最後は爆弾を抱いて特攻が始まるのです。

後半16分、DFムーアに代えて1メートル92センチの大型FWケネディを投入。

■この長身の選手は敵陣ゴール前にも攻め寄せて来て、ただでさえ高い身長に加えて抜群の跳躍力を持っている手強い相手です。何だか巨人機を思わせますなあ。1942年9月21日、米国で超空の要塞B-29が初飛行します。南太平洋ではガダルカナル島の奪い合いが激しくなって、日本軍が第二次奪回作戦に失敗した頃の話です。敵は重爆撃機を投入して来たというのに、日本側にはそれに対抗する大型爆撃機も無ければ、撃墜する対抗機も充分には揃っていませんでした。後は焼夷弾で主要都市が灰燼に帰すのを待つばかり……。


後半8分、DFエマートンが中央からミドル・シュートを放つがゴールの枠外。

後半14分、GKがクリアしたボールを高原がカット。ドリブルで攻め込みシュートしたが相手DFに跳ね返される。

後半24分、ゴール前18メートルからFWビドゥカの低空FKをGK川口が右手一本で阻止。

■戦力の差が隠しようも無く露になり始める流れですなあ。1942年4月18日午前7時20分、銚子沖1200キロ地点に進出した空母ホーネットから陸軍機B-25爆撃機16機が発艦。帝都初空襲と言う大事件の始まりです。この日は「防空演習」の日になっていて、朝から帝都東京上空では模擬空中戦が行なわれていたそうです。ラジオも新聞も「勝った、勝った、また勝った」と連日報道していましたから、国民は暢気に空を見上げていたようです。日本軍は油断無く海上哨戒をしていて、ちゃんとホーネットを発見していたのですが、まさか長距離爆撃機を空母から発進させるとは想像もしていないので、発見場所が700海里(1296キロ)地点だった事から艦載爆撃機が発進するには翌日まで空母は航行しなければならないだろう、と考えたのでした。

■防空訓練している日本の飛行機の群の中に見た事もない巨大な機影が混ざっているのに気が付いた人はほとんど居なかったそうですし、高射砲が射撃を始めた音も訓練だと思っていたそうですなあ。御丁寧にもこの日、東條英機首相は宇都宮と水戸を視察する予定になっていて、宇都宮師団司令部と宇都宮飛行学校の視察後、水戸に向って陸軍機で飛行中に、見慣れない変な飛行機と擦れ違っているのだそうですなあ。水戸市の視察をしている時に県庁職員から「帝都空襲」を知らされて真っ青になったのだそうです。ビドゥガ選手が見せた唸りを上げる低空シュートは、B-25爆撃隊の轟音を思わせる迫力が有りましたなあ。


後半30分、ヒディング監督はFWアロイジを投入して前線を厚くする。

■零式艦上戦闘機と対抗するために新型戦闘機が投入された時期に重なります。1943年10月6日、中部太平洋のウエーキ島上空でグラマンF6Fヘルキャットと零戦が初の空中戦を行なって苦戦します。その後は銃撃されても堕ちないムスタングやライトニングなどの化け物は、空の戦車として日本の飛行機を次々と撃ち落して行くのです。ジーコ監督の手には交代カードが3枚しか無いのに、坪井君の交代で1枚使ってしまったのが敗因とも言われますが、相手が攻勢に出て来たのを傍観したのは大失敗です。旧日本軍には対抗兵器が無かったけれど、ジーコ・サムライ日本には控えの選手が居たのですからなあ。ここで小野君でも大黒君でも即座に投入しておけば、追加点を奪いに行くぞ!という意思が選手にも伝わったはずなのですが……。

■ヒディングの悪魔の戦術で中田ヒデ君も中村俊輔君もぼろぼろに疲れ切っていたのでした。ピッチ上の温度は摂氏38度だったとの情報も有ります。前日までボーリングやらゴルフやらで、一見暢気に過ごしていたオーストラリア軍は、この猛暑に耐えるスタミナを温存していたのかも知れませんなあ。日本のマスコミは連日、日本チームの練習風景を報道しており、特に中田ヒデ君が居残り特訓をしていると頼もしげに伝えていたのでした。疲労を心配する報道は皆無だったのではないでしょうか?大本営発表の提灯記事を書き散らしていた戦時下の新聞社と何処が違うのでしょう?「気持ちだ」「気合だ」「応援だ」などと、戦時中の馬鹿馬鹿しい標語みたいな報道をしているセンスを疑わねばなりませんぞ!


後半30分、柳沢の力を失ったシュートはゴールを外れる。

後半34分、中盤強化のために小野を投入し柳沢を下げる。

後半39分、オーストラリアの左サイドからロングスロー、GK川口が飛び出し、ゴール前にこぼれたボールをMFケーヒルの右足がネット中央にシュート!

1942年6月5日、ミッドウェー海戦始まる。空母4隻喪失。
 同年8月18日、ガダルカナル島第一次反攻作戦失敗。
1943年2月7日、ガダルカナル島撤退完了。
 同年4月18日、山本五十六連合艦隊司令長官戦死。
 同年7月29日、キスカ島撤退作戦成功。
 同年11月1日、米軍がブーゲンビル島に上陸開始。
1944年2月17日、米軍がトラック島基地を攻撃。
 同年3月8日、地獄のインパール作戦開始。
 同年6月15日、米軍がサイパン島上陸開始。

日本敗れる時 其の参

2006-06-16 12:46:34 | 歴史
■これを「邀撃漸減(ようげきぜんげん)」と呼んで必殺の「迎撃作戦」と信じていました。つまり、サッカーで言うところの「攻撃的な防御」から一挙に攻勢に出て得点するという戦法と似ているのです。ところが、自分で飛行機をたっぷりと積み込んだ機動部隊をバカみたいに遠い適地に進めて飛行機で主力艦隊を崩壊させてしまったものですから、「大海戦」計画が宙に浮いてしまいます。真珠湾の上空を日本の飛行機が飛び回った数日後に、超弩級戦艦大和が進水しています。当初の計画の目玉になるはずの大戦艦は誕生の時から税金の無駄遣いの巨大な塊(かたまり)だったのです。最後は沖縄特攻作戦に行かせて洋上で大爆発させてしまいましたなあ。

■ジーコ・サムライ日本も、何が何でも正真正銘のシュートを放って追加点を取りに行くのか、虎の子の1点をどんなに卑怯未練で無様な戦いになろうとも死守して勝ち点3をもぎ取るのか?に悩みます。司令官のジーコも腹は決らなかったようです。前半が終了してピッチを去る時に、中田ヒデ君は盛んにFWの選手に檄を飛ばしている姿をテレビ・カメラは捉えていましたなあ。彼は追加得点を取ろう!と言っていたのでしょう。しかし、選手達は中田ヒデ君の言葉に大きく頷くような場面は無かったようです。選手の自主性を信頼するという方針が裏目に出始めていたのを証明するのが、休憩時間に語った言葉です。


「リードしている時のサッカーをやろう」

■このジーコ監督の指示はメンバーにはどんな意味に取られたのでしょう?手段を選ばずに1点を死守してカッコ悪く「勝ち点3」にしがみ付くのか、守りつつもカウンターで追加点を貪欲に取りに行くのか?万一、守りと攻めの間に意思の齟齬(そご)が起きていたのなら、中間地帯にぽっかりスペースが開いて敵が好き放題に暴れまわる事になりますなあ。漏れ聞くところによりますと、敵将ヒディングは日本チームの要は中田ヒデ君と中村俊輔君の二人だけだ!と見抜いていたそうです。これは米軍が「蛙跳び」作戦で沖縄とサイパン島だけを目指して日本列島に肉薄したのに似ています。ラバウル航空隊もシンガポール要塞も戦線の後方に放置して、日本を焦土にする事しか考えていない米軍と、格好良い「一戦後和平」の花道を探していた日本軍との違いが、今回のオーストラリア戦にも見えたような気がします。

■ドイツ戦で2度のシュートを決めた高原君を連日囃し立てていた日本のスポーツ・ジャーナリズムは、ヒディング監督に利用されたようなものです。策士ヒディングの眼中には高原君の影さえ無かったようですぞ。彼が大変な努力家である事は本当でしょうが、勝負師にとって最も大切なのは「運」です。日本海海戦に東郷平八郎が起用された最大の理由は「運が良い男」でした。江戸時代生まれで戊辰戦争を経験していた明治の軍人は実戦での「運」がどれほど重要なのかを知っていたのでしょう。世界レベルで通用する「運」を持っているのは中村俊輔君と中田ヒデ君だけだったという事でしょうなあ。


後半8分、競り合いから着地したDF坪井が右太腿裏を痛める。自ら続行不可能のサインを出して、11分に茂庭君と交代。

「運」という話になると、ジーコに付き纏う「不運」について就任直後から何度も書かれていましたなあ。ピッチに仰向けに寝転んで苦痛に表情を歪めている坪井君の姿は、米国に捕獲された零式艦上戦闘機を思わせました。

1942年6月5日、艦上攻撃機9機と零式艦上戦闘機6機が空母龍驤を発艦してダッチハーバー攻撃に出撃。古賀忠義一飛曹が操縦する零戦の一機が地上砲火で被弾。潜水艦による救助を期待して不時着予定地のアクタン島に向かうが、湿地帯の泥に車輪を取られて機体は一回転し古賀一飛曹は首の骨を折って即死。一部始終を見ていた僚機は銃撃して機体を消失させるのは忍びないと機体を放置して帰還。その5日後、米国哨戒機によって機体は発見されて分解梱包されて8月12日にサンディエゴ海軍航空基地に届けられ、1ヵ月後には星マークを付けて飛行試験が始まる。

日本敗れる時 其の弐

2006-06-16 12:46:21 | 歴史
■日露戦争の体験から「開戦劈頭、敵主力を撃滅」の方針が出ていたにしても、奇襲を禁じるハーグ条約が発効していたのですから、日本は戦争の始めから大間違いをして自分から「悪役」になってしまった過去を思い出せば、あの「タナボタ」得点を大喜びするべきではありませんでしたなあ。黙って次の「本物のシュート」を貪欲に狙いに行かなければ駄目です!ファウルであろうとなかろうと、どちらにしても、あれは「シュート」ではなかった事だけは確かです。スポーツ紙が掲載した外電は以下の通り。

オーストラリアのGKシュワルツァーは柳沢に邪魔されたように見えた。(ロイター)

高原がGKを妨害したように見えたが、エジプト人主審はオーストラリアの講義を受け付けなかった。(AP)

■1点は1点ですから、これを切り札にして勝ち点3を取っていれば「勝てば官軍」原爆も東京裁判も許される!と言っていられるのですが、それには勝利に対する獣じみた執念と手段を選ばぬ迫力が必要で、それは和風の文化にはそぐわないもののような気がして仕方が有りません。生活を犠牲にし、詐欺にカモにされながらも現地のドイツまで出かけて応援している人や、明日の勤務や授業を放り出してでも声援を送っている人達がぬか喜びするのは結構なことです。しかし、ピッチに立っている選手たちの喜びようは異常でした。始めから中村俊輔君がフェイント気味のシュートを狙い、それを柳沢と高原が承知の上でファウル覚悟の突進をしたのなら良いのですが、どう見ても中村俊輔君のクロスが長過ぎ、高原君と柳沢君が間に合わなかった所に、うっかりしたGKシュワルツァーが飛び出して柳原君と接触、その直後に飛び込んで来た高原君と衝突。後から飛び込んで来た高原君の手の動きも「微妙」なものが有りましたなあ。

■ファイターならば、こんな得点に大喜びなどせずに、敵陣のゴール・ネットを突き破るようなシュートを叩き込んでやる!という殺気立った表情になって唸り声を上げて欲しかったですなあ。まるで優勝でもしたかのように大喜びしているサムライ日本を観ていて、何故か戦争中の草鹿参謀長という変な人の事を思い出したのでした。真珠湾攻撃の作戦立案をしたり、ミッドウェー海戦には「運命の10分間」の大チョンボの現場、旗艦赤城の艦橋に居た人です。この人は「無刀流」とか言う剣の使い手で深遠な剣の奥義を近代総力戦に応用しようとしたオカルティックな人物です。敗戦後は有機農法か何かに熱中して明るい戦後を過ごしたようですが……。

■草鹿参謀長が鍛えていた剣術には「金翅鳥王剣(きんしちょうおうけん)」とか言う奥義が有るそうです。名人の一撃を加えたらさっと引く戦法なのだそうで、悪く言えば自己満足の美学に凝り固まった話のようなものです。格好良く引き上げる後ろから卑怯千万な飛び道具が飛んで来たら騙まし討ちに合って無様に殺されるだけでしょうに!時代劇のチャンバラ映画ならば、抜き手も見せずに鞘走った白刃が一閃したと思ったら目にも留まらぬ速さで剣は鞘に納まって、悠然とその場を立ち去る主人公が居て、それを呆然と見送った相手の髷(まげ)がぽろりと落ちる……。そんなイメージで近代的な消耗総力戦をやっていたのですから、トンデモない話です。

■世界を驚かせた真珠湾攻撃にしても、魚雷が使えないほど水深の浅い湾内に並んでいる軍艦を「着底」させて大喜びしたものの、巨大な燃料タンクもクレーンやドック設備も無傷で残した結果、せっかく撃沈した軍艦は一隻を残して全部修理されて戦線に復帰してしまいます。相手に止(とど)めを刺さずに、大勝利に酔っ払えるのが日本人なのでしょうか?さて、ジーコ・サムライ日本は、この「タナボタ」得点の後、旧日本海軍と同じジレンマに落ち込んだように見えたのでした。日露戦争時の日本海大海戦を教科書で勉強していたエリート達は、対米戦争でも大海戦をやる心算でいたのです。それには、広い太平洋をぞろぞろと軍艦を並べて渡って来る米国艦隊をちびちびと沈めて、決戦場と想定されているマリアナ諸島近海に達するまでに弱体化させておいて、それを迎え撃って撃滅するのだそうです。

日本敗れる時 其の壱

2006-06-15 14:47:13 | 歴史
■残念至極と言うべきか、予想通りと言うべきか、何とも脆(もろ)い負け方をしたジーコ・サムライ日本でしたなあ。「全勝だ!」「優勝だ!」などと、テレビ局の制作費を無駄にしたくない業界の人は空元気で暴言を吐いていましたが、旅限無はF組「日本対オーストラリア戦」の前半20分から観戦しつつ、先の日米戦争の歴史を復習していたのでした。サムライ日本の曽祖父が太平洋を舞台にして戦った4年半の激闘が、ドイツのサッカー場に再現されたような気がして仕方がありませんでした。これは日本の精神風土や歴史的な宿命のようなものなのかも知れませんなあ。

■サッカーは人類が背負っている戦争文化の最終的な型だと考えれば、国際連合に加盟している国や地域よりも多い207の国や地域がFIFAに加盟しているという現実も納得できるというものです。そんな中に紛れ込んだ日本は、やはり、良くも悪くも戦う時の癖が出るのではないでしょうか?ところどころ、少々強引な解釈も使いますが、大東亜・太平戦争のアナロジーで対オーストラリア戦を振り返って見ましょう。


前半1分、ゴール正面左から中村俊輔のFK。壁に跳ね返される。

前半6分、FWビドゥカに左サイドを破られ左右のシュート2本を放たれ、GK川口が好セーブ。

1940年1月26日、日米通商条約破棄。
 同年9月23日、日本軍仏領インドシナに進駐。
 同年9月27日、日独伊三国同盟条約調印。
1941年4月16日、日米交渉開始。
 同年7月25日、在米日本資産凍結。
 同年8月1日、対日石油禁輸措置。
 同年11月22日、日本海軍機動部隊択捉島に集結。
 同年11月26日、ハル・ノート提示。

■太平洋戦争は米国政府が対日開戦を密かに決定した段階から始まっているわけで、大陸での戦線が広がり続けて収拾が付かなくなっている日本に対して2年間に亘って米国は、外交交渉という名目で無理難題を押し付ける様子が、FWビドゥカが放った右足と左足の両方を駆使したシュートにちょっと重なりますなあ。こういう時には、相手は本気なのだと日本は早く気が付かねばなりません。先制点を取られないように頑張ったGKの川口君は右に左に大活躍で、これ以降も最後の10分間を迎えるまでは、まるで彼1人がワールドカップに挑んでいるかのようでもありましたなあ。零式艦上戦闘機のような、ミリ単位で調整した特製スパイクと機能性の極地を究めたグラブを使っていたそうです。それに加えて奥さんとお子さんの名前を刺繍したというのですから、「千人針」や国旗の寄せ書きみたいですなあ。


前半13分、福西が中央から放ったミドル・シュートはゴールの枠外。

前半22分、ゴール前中央でMF中村がボールを受けて左にドリブル、切り返して相手DFを振り切る。右足ミドル・シュートはゴール左に逸れる。

前半25分、FWブレンシアーノの右足シュートをGK川口が左に跳んでクリア。

前半26分 右サイドMF中村の左足から40メートルのアーリークロス。FW高原と柳原がゴール前に疾走。GKシュウォーツァーが飛び出し、DFニールとムーア、合計5人がペナルティエリア中央で交錯。高原とシュウォーツァーが接触して転倒する間にゴール! 

1941年12月8日、日本陸軍はマレー半島上陸開始。海軍機動部隊が        ハワイ真珠湾を奇襲。香港とフィリピンへの攻撃        開始。
 同年12月10日、マレー沖開戦で英海軍東洋艦隊主力艦撃沈。
        グアム島とフィリピンに上陸開始。
 同年12月16日、ボルネオ島上陸作戦開始。
1942年1月15日、ビルマ攻略開始。
 同年1月18日、ビスマルク諸島ラバウルに上陸。
 同年2月4日、ジャワ沖海戦でオランダ海軍を破る。
 同年2月8日、シンガポール上陸作戦開始。
 同年2月15日、シンガポールとスマトラのパレンバン占領。
 同年4月3日、ルソン島バターン半島の米軍を攻撃。
 同年4月5日、コロンボ空襲。

■攻守ともに絶好調!机上プランが予想よりも早く実現して、国民(サポーター)は根拠も無いのに勝利を確信してしまいます。虚を衝かれた相手側は、右往左往しているように見えても、必勝の態勢を整えようと裏でも表でも知恵を絞って日本の隙を探している時期に、「タナボタ」得点にすっかり気分が昂ぶって相手を見くびって舐めてかかるのが日本の悪い癖なのかも知れませんなあ。正直に言って嬉しい「タナボタ」得点ですが、外信には納得が行かない疑惑を指摘する声も有りましたし、審判はオーストラリアに対して密かに「誤審」を謝罪していたという話が翌日の新聞には出ていましたぞ。もしも、1対0で試合が終っていたら、相当に大きな問題になって尾を引いたのではないでしょうか?まるで卑怯な真珠湾奇襲で遅れた最後通牒手交みたいに……。

ただ今、新築中

2006-06-15 14:45:54 | 日記・雑学
■集中豪雨に襲われた沖縄では、斜面に盛り土して建設したマンションが崩壊の危機を迎えているそうです。裏金はしっかり抜き取って天下り先と手を結んだ上で、政治家の依頼を受けて選定した建築業者さんに注文する公的建築物には、世界で一番売れていて、一番安くて一番物騒なエレベーターが据え付けられているそうですなあ。大金持ち御用達の脱税天国スイスに本社を置くエレベータ-会社の名前が「シンドラー」で、他国ではカネで静かになるのに高校生がたった一人死んだだけの日本では大騒ぎになってしまったと、渋々出掛けて来た社長の名前がヒスさんとは、ナチス物やらユダヤ物を読んでいる本好きの皆さんは笑ったのではないでしょうか?

■そう言えば、6月11日の日曜日、田原総一郎さんの『サンデー・プロジェクト』は妙に大人しかったような印象が有りましたが、やっぱり、「世界一を目指します!」と亀田兄弟みたいな事を具志堅さんが宣言しながらシャドー・ボクシングやら走り込みをして見せる、とても威勢の良いCMが突然無くなったからでしょうか?あの会社は「SEC」というのでしたなあ。エレベーターのメンテナンスと製造をしている会社だそうです。今回高校生を圧殺した殺人エレベーターのメンテナンスを落札していた会社と同じ名前ですなあ。『サンプロ』というテレビ朝日の看板番組は、わざと怪しげな企業をスポンサーに選んでいるとしか思えないような不祥事が起こります。

■ヒューザー事件が起こるまでは番組のスポンサーになって貰っていたそうですし、アスベスト犯罪のクボタもスポンサーだったような記憶がありますなあ。地方のテレビ局は「SEC」の宣伝時間を地元企業のCMで埋めたようですが、メイン司会のウジキ君は、相変わらず周囲の空気が読めないハイ・テンションのままドイツに乗り込んで、空疎で情報量の乏しい「現地報告」などをしていたようですが、スタジオでの番組自体も暇そうな国会議員を並べて実りの無い口喧嘩をしたり、総裁選に出るのか出ないのかまったく分からない与謝野さんを引っ張り出して、どうでも良い話をしていたようですなあ。村上ファンドの事件も取り上げていたのに、何故かシンドラー問題は扱っていなかったようです。来週に回したのでしょうか?いつまでも視聴者をバカにした事をやっていると、一度死んだTBSの二の舞になりますぞ!筑紫さんと手をつないで田原さんも引退というシナリオも悪くはないのですが……。

■枕が少々長過ぎましたが、「新築」しているのは人間ではなくて、燕の若夫婦です。昨年に続いてやって来た第一組は6月始めには一家で旅立って行ったのですが、その後、燕が来ないなあ、と思っていたのです。ガキンチョ燕が飛行訓練を始めると、朝の4時半からギーギー、チーチーと庭先が喧しくて仕方がないのですが、居なくなると妙に寂しいものです。第一陣が4羽の子燕を立派に育てて南の空に飛んで行った後、軒先に並んだ5つの燕の巣はヒューザー物件みたいに空き家になっていました。梅雨前線が活発化して東日本も梅雨入り「した模様」と気象庁が発表した頃、偵察するように燕が何羽も飛来して軒の下でホバリングしたり壁にしがみ付いたりしていました。

■燕に限らず鳥類はどれも同じ顔をしているので、前日に偵察に来たツガイと、本日来たツガイが同じなのか違うのか、さっぱり分からないのが玉に瑕ですなあ。デザインも声も仕草も同じなので、あとは性格で区別するしかないのですが、本能に従った行動しかしないので、これもなかなか難しいようです。巣を掛ける燕というのは、前年に来て子育てに成功した燕なのだそうで、空き家のままにシーズンが過ぎたら、ツガイの身に何か有ったと考えねばならないそうですなあ。3日ほど軒先を偵察していた燕が、少し間を空けて巣が並んでいる壁にしがみ付いて考え事をするようになりました。垂直の壁にしがみ付いて考え事をするのは大変だろうと思うのですが、チーチー、ジージーと離れの屋根に停まっているもう一羽と相談しているようでしたが、翌日には見事に二つの巣の中間に位置する場所で基礎工事を開始しましたぞ。

■言葉は使えないはずなのですが、立地条件やら生活環境やら、それに加えて安全性や同居することになる人間の性格など、しっかりとリサーチした上で、夫婦で話し合っているような気がしてなりません。あれが新居の相談ならば、どちらが雄でどちらが雌かは分かりませんが、決断は早かったですなあ。基礎工事は近くの田圃から口で加えてきた小さな泥団子を貼り付ける作業から始まるのですが、どうやって水平を割り出すのやら、何度観ても分かりません。上半分がない綺麗な半円を描いて泥団子が貼り付けられると、それが乾き切る前に今度は草や藁(わら)を一本ずつ咥えて飛んで来ますなあ。自分の体よりも長い植物の茎を咥えて来るのは大変なのでしょうが、文句も言わず、嫌な顔もしないで黙々と作業を続けていましたが、よくよく考えて見れば、この藁運びは人間の建築作業の「鉄筋打ち込み」に相当するわけです。

■軒下の壁にちょっとした草叢(くさむら)が生え出したように見えるほど大量の藁やら雑草の茎を貼り付けていますぞ。経営コンサルタントから「経済設計」を教えて貰うこともなく、コンピュータ・ソフトを操作して数値を偽装することなど考えもせずに、何年経っても絶対に落下しない基礎工事をしている燕の若夫婦は、本当に偉いなあ、と思います。昔の日本人も、せっせと竪穴式住居を自力で造ったり、巨大な丸太を組み合わせて立派な茅葺屋根を葺(ふ)いていたのですから、燕に負けずに偉かったのです。火災にさえ遭わなければ石造りの建物に負けない耐久性を持つ傑作も多いのですからなあ。

■拘置所に放り込まれている姉歯さんや小嶋社長は元気なのでしょうか?拘置所の係官も気を利かせて燕の巣作りが間近に見える部屋に入れて上げて欲しいものです。アシジのフランチェスコが小鳥の生き方を観て「回心」したように、燕の巣作りを見て二人が「改心」してくれる事を念願します。「安くて広い」マンションを造ったと鼻息の荒かったヒューザーの小嶋社長も、燕が見栄を張って不必要に大きな巣を作らないのを見れば、少しは考えも変わるのではないでしょうか?

■せっせと藁運びをしていた燕の若夫婦がひと息入れていると、ふいにカラスが舞い降りて来て庭先が大騒ぎになりました。産卵した後に意地悪なカラスや雀が略奪に来ることも有るようですが、夫婦は協力して撃退しますが、その時の必死な様子などは、秋田県や神奈川県で子殺しをしてしまった女性達に見せて上げたい風景ですなあ。先日のカラスを撃退した空中戦を見ていた時、ふいに木村建設を犯罪者に仕立て上げたコンサルタント爺さんの顔が浮かびましたぞ。「そんなにたくさんの藁は要らないよ。もっと楽な巣作りの方法を教えて上げようか?安くしておくよ。」とカラスが言いに来たような気がしたのです。カラスはカラスで必死に生きているのですから、口先三寸でカネを巻き上げて犯罪に引きずり込むような悪徳コンサルタントのような悪人とは違うのですが、一生懸命に手厚い基礎工事をしている燕の若夫婦の剣幕と、ほうほうの態で逃げて行ったカラスの姿を見ていましたら、そんなアテレコを思い付いたのでした。

■自然はいろいろと人間に教えてくれますなあ。

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1.25は他人事? 其の伍

2006-06-15 12:35:40 | 社会問題・事件


松本篤さん(27)が東京・丸の内の日本郵船で海外部門に配属されて間も無く、航路の改変が始まり、月の残業が100時間を超えた。……関西の彼女とはなかなか会えず、結婚を考える余裕はまったくなくなった。長時間残業が3箇月続いた頃、突然、労働組合から呼び出された。残業の理由や今後の見通しを聞かれ、産業医の受診を勧められた。上司も、会社の人事部門から事情を聴かれた。動いたのは「時間の達人委員会」。労使双方からなる組織で01年にできた。残業が月80時間を超す「異常残業者」のリストを会社側が労組に渡し、労組が当事者から、人事部門がその上司から話を聞き取り、改善を促す。……松本さんは業務を減らされ、「異常残業」状態は半年で終った。「定時に退社して太陽が沈んでいない有楽町を歩いたとき、うれしくて涙が出ました」……遠距離恋愛だった彼女と結婚した。共働きなので、子どもが生まれたら社内の保育室を利用するつもりだ。

■「格差社会」が激しく進みそうな証言です。青春のすべてを賭けて一流大学の卒業証書を手に入れて、何が何でも大企業の東京本社に就職しなければ、結婚も子育ても不可能だからです。こんな労働組合も日本に存在しているのか?!と、毎月、無意味なのに問答無用の組合費を天引きされて「異常残業」を続けている労働者がどれほど居ることでしょう。労働組合の無い中小企業、有名無実の労働組合しかない会社の正社員になるのも大変なのに、そこの労働組合は頼りにならず、経営者側も社員の「異常残業」を食い物にしてしまう場合が圧倒的に多いのではないでしょうか?この他にも、三菱重工業の例が出ています。

仕事と子育ての両立を支援する制度自体は、大企業では整ってきた。04年度の厚生労働省の女性雇用管理基本調査によると、育児のための短時間勤務や就業時間変更などを制度化している事業所は、従業員500人以上で89%に達した。従業員規模が小さいほどその割合は減り、30~99人では58%、5~29人では39%だった。


しかし、「中小企業庁の調査で、女性正社員1人当たりの出生数は、従業員規模が小さくなるほど多い傾向が有った」のだそうです。資料を見ると、20人までの企業では0.92人なのに、51人以上は全部0.42人なのだそうです。これは統計のウソかも知れません。男と同じ出世競争をしている大企業の女性社員は出産などして「男に負ける」わけには行かないでしょうから、大企業の女性社員を一律に扱って計算するのは無理が有るような気がします。中小企業の奇跡のような物語が紹介されていますが、これは本当に稀な例でしょうなあ。


繊維の染色などを手がける朝倉染布(群馬県桐生市)は、従業員約120人のうち50人近くが女性、出産を迎えた女性の8割以上は1年間の育児休業を取る。2回使った岡部恵美さん(35)は「職場に復帰した後も、子どもが熱を出して保育園から呼び出されたら、『帰ってあげな』とみんなが言ってくれる。子どもか会社かどっちを取るかど迫るような職場だったら、つらいですよね」という。男性の育児参加も促進しようと、有給休暇を1時間単位に分割して取れる「時間休」も4月にできた。朝倉剛太郎専務取締役は「経営状況は厳しいので給与では応えられないが、働きやすい職場を目指すことはできる。キャリアを積んだ人材が働き続けてくれる事が会社の利益にもなる」

■この朝倉専務の意見が正しいのは誰でも分かっているのに、ほとんどの企業は他人事として無視しているのでしょうなあ。


……中小企業庁の調査では、育児休業制度はあるがあまり利用されていない企業や、制度もなく柔軟な対応もしていない企業が、どの従業員規模でも4~6割あった。

疑うわけではないのですが、この数値は相当に粉飾されているような印象が有りますぞ。微妙な言い回しで、自分の会社の非人間性を誤魔化して回答している困った経営者が沢山いると考えれば、8割以上が少子化を他人事と思っていることになるでしょう。特集の最後には、世界初の試みとして「ファミリー・フレンドリー」という投資ファンドが出来たという話が出ています。少子化問題を真剣に取り組んでいる上場企業に投資を集中して経営感覚を改善しようという話です。たった40億円規模の市場だそうですが、上場していない中小企業にとっては他人事でしょうなあ。

■トンデモない人手不足になって、職場環境で就職先を選べる「売り手市場」になれば、「異常残業」だの「消極的少子化増進」だのを放置している企業は淘汰される可能性は有りますが、「文句を言うなら、さっさと辞めろ!東南アジアから雇って穴は埋めりゃあ良いんだ!」と叫ぶ経営者の方が多くなるのでしょうなあ。社会主義革命幻想でも、自由経済市場主義原理でも、この少子化は解決されないような気がします。だとすれば、国会の不毛な議論(怒鳴り合い)では駄目だということになります。欧米の例を研究しても、戦後の人口大移動という日本の特殊な歴史現象を忘れた研究では役に立たないでしょうし、世代間の文化ギャップや核家族の再考など、年金制度や介護制度の見直しにも直結する研究課題が山積しています。まずは賢くて体力の有る企業から率先して良い例を作ってもらって、徐々に世間の常識を変化させて行くしか無いのでしょうなあ。

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