■残念至極と言うべきか、予想通りと言うべきか、何とも脆(もろ)い負け方をしたジーコ・サムライ日本でしたなあ。「全勝だ!」「優勝だ!」などと、テレビ局の制作費を無駄にしたくない業界の人は空元気で暴言を吐いていましたが、旅限無はF組「日本対オーストラリア戦」の前半20分から観戦しつつ、先の日米戦争の歴史を復習していたのでした。サムライ日本の曽祖父が太平洋を舞台にして戦った4年半の激闘が、ドイツのサッカー場に再現されたような気がして仕方がありませんでした。これは日本の精神風土や歴史的な宿命のようなものなのかも知れませんなあ。
■サッカーは人類が背負っている戦争文化の最終的な型だと考えれば、国際連合に加盟している国や地域よりも多い207の国や地域がFIFAに加盟しているという現実も納得できるというものです。そんな中に紛れ込んだ日本は、やはり、良くも悪くも戦う時の癖が出るのではないでしょうか?ところどころ、少々強引な解釈も使いますが、大東亜・太平戦争のアナロジーで対オーストラリア戦を振り返って見ましょう。
前半1分、ゴール正面左から中村俊輔のFK。壁に跳ね返される。
前半6分、FWビドゥカに左サイドを破られ左右のシュート2本を放たれ、GK川口が好セーブ。
1940年1月26日、日米通商条約破棄。
同年9月23日、日本軍仏領インドシナに進駐。
同年9月27日、日独伊三国同盟条約調印。
1941年4月16日、日米交渉開始。
同年7月25日、在米日本資産凍結。
同年8月1日、対日石油禁輸措置。
同年11月22日、日本海軍機動部隊択捉島に集結。
同年11月26日、ハル・ノート提示。
■太平洋戦争は米国政府が対日開戦を密かに決定した段階から始まっているわけで、大陸での戦線が広がり続けて収拾が付かなくなっている日本に対して2年間に亘って米国は、外交交渉という名目で無理難題を押し付ける様子が、FWビドゥカが放った右足と左足の両方を駆使したシュートにちょっと重なりますなあ。こういう時には、相手は本気なのだと日本は早く気が付かねばなりません。先制点を取られないように頑張ったGKの川口君は右に左に大活躍で、これ以降も最後の10分間を迎えるまでは、まるで彼1人がワールドカップに挑んでいるかのようでもありましたなあ。零式艦上戦闘機のような、ミリ単位で調整した特製スパイクと機能性の極地を究めたグラブを使っていたそうです。それに加えて奥さんとお子さんの名前を刺繍したというのですから、「千人針」や国旗の寄せ書きみたいですなあ。
前半13分、福西が中央から放ったミドル・シュートはゴールの枠外。
前半22分、ゴール前中央でMF中村がボールを受けて左にドリブル、切り返して相手DFを振り切る。右足ミドル・シュートはゴール左に逸れる。
前半25分、FWブレンシアーノの右足シュートをGK川口が左に跳んでクリア。
前半26分 右サイドMF中村の左足から40メートルのアーリークロス。FW高原と柳原がゴール前に疾走。GKシュウォーツァーが飛び出し、DFニールとムーア、合計5人がペナルティエリア中央で交錯。高原とシュウォーツァーが接触して転倒する間にゴール!
1941年12月8日、日本陸軍はマレー半島上陸開始。海軍機動部隊が ハワイ真珠湾を奇襲。香港とフィリピンへの攻撃 開始。
同年12月10日、マレー沖開戦で英海軍東洋艦隊主力艦撃沈。
グアム島とフィリピンに上陸開始。
同年12月16日、ボルネオ島上陸作戦開始。
1942年1月15日、ビルマ攻略開始。
同年1月18日、ビスマルク諸島ラバウルに上陸。
同年2月4日、ジャワ沖海戦でオランダ海軍を破る。
同年2月8日、シンガポール上陸作戦開始。
同年2月15日、シンガポールとスマトラのパレンバン占領。
同年4月3日、ルソン島バターン半島の米軍を攻撃。
同年4月5日、コロンボ空襲。
■攻守ともに絶好調!机上プランが予想よりも早く実現して、国民(サポーター)は根拠も無いのに勝利を確信してしまいます。虚を衝かれた相手側は、右往左往しているように見えても、必勝の態勢を整えようと裏でも表でも知恵を絞って日本の隙を探している時期に、「タナボタ」得点にすっかり気分が昂ぶって相手を見くびって舐めてかかるのが日本の悪い癖なのかも知れませんなあ。正直に言って嬉しい「タナボタ」得点ですが、外信には納得が行かない疑惑を指摘する声も有りましたし、審判はオーストラリアに対して密かに「誤審」を謝罪していたという話が翌日の新聞には出ていましたぞ。もしも、1対0で試合が終っていたら、相当に大きな問題になって尾を引いたのではないでしょうか?まるで卑怯な真珠湾奇襲で遅れた最後通牒手交みたいに……。
■サッカーは人類が背負っている戦争文化の最終的な型だと考えれば、国際連合に加盟している国や地域よりも多い207の国や地域がFIFAに加盟しているという現実も納得できるというものです。そんな中に紛れ込んだ日本は、やはり、良くも悪くも戦う時の癖が出るのではないでしょうか?ところどころ、少々強引な解釈も使いますが、大東亜・太平戦争のアナロジーで対オーストラリア戦を振り返って見ましょう。
前半1分、ゴール正面左から中村俊輔のFK。壁に跳ね返される。
前半6分、FWビドゥカに左サイドを破られ左右のシュート2本を放たれ、GK川口が好セーブ。
1940年1月26日、日米通商条約破棄。
同年9月23日、日本軍仏領インドシナに進駐。
同年9月27日、日独伊三国同盟条約調印。
1941年4月16日、日米交渉開始。
同年7月25日、在米日本資産凍結。
同年8月1日、対日石油禁輸措置。
同年11月22日、日本海軍機動部隊択捉島に集結。
同年11月26日、ハル・ノート提示。
■太平洋戦争は米国政府が対日開戦を密かに決定した段階から始まっているわけで、大陸での戦線が広がり続けて収拾が付かなくなっている日本に対して2年間に亘って米国は、外交交渉という名目で無理難題を押し付ける様子が、FWビドゥカが放った右足と左足の両方を駆使したシュートにちょっと重なりますなあ。こういう時には、相手は本気なのだと日本は早く気が付かねばなりません。先制点を取られないように頑張ったGKの川口君は右に左に大活躍で、これ以降も最後の10分間を迎えるまでは、まるで彼1人がワールドカップに挑んでいるかのようでもありましたなあ。零式艦上戦闘機のような、ミリ単位で調整した特製スパイクと機能性の極地を究めたグラブを使っていたそうです。それに加えて奥さんとお子さんの名前を刺繍したというのですから、「千人針」や国旗の寄せ書きみたいですなあ。
前半13分、福西が中央から放ったミドル・シュートはゴールの枠外。
前半22分、ゴール前中央でMF中村がボールを受けて左にドリブル、切り返して相手DFを振り切る。右足ミドル・シュートはゴール左に逸れる。
前半25分、FWブレンシアーノの右足シュートをGK川口が左に跳んでクリア。
前半26分 右サイドMF中村の左足から40メートルのアーリークロス。FW高原と柳原がゴール前に疾走。GKシュウォーツァーが飛び出し、DFニールとムーア、合計5人がペナルティエリア中央で交錯。高原とシュウォーツァーが接触して転倒する間にゴール!
1941年12月8日、日本陸軍はマレー半島上陸開始。海軍機動部隊が ハワイ真珠湾を奇襲。香港とフィリピンへの攻撃 開始。
同年12月10日、マレー沖開戦で英海軍東洋艦隊主力艦撃沈。
グアム島とフィリピンに上陸開始。
同年12月16日、ボルネオ島上陸作戦開始。
1942年1月15日、ビルマ攻略開始。
同年1月18日、ビスマルク諸島ラバウルに上陸。
同年2月4日、ジャワ沖海戦でオランダ海軍を破る。
同年2月8日、シンガポール上陸作戦開始。
同年2月15日、シンガポールとスマトラのパレンバン占領。
同年4月3日、ルソン島バターン半島の米軍を攻撃。
同年4月5日、コロンボ空襲。
■攻守ともに絶好調!机上プランが予想よりも早く実現して、国民(サポーター)は根拠も無いのに勝利を確信してしまいます。虚を衝かれた相手側は、右往左往しているように見えても、必勝の態勢を整えようと裏でも表でも知恵を絞って日本の隙を探している時期に、「タナボタ」得点にすっかり気分が昂ぶって相手を見くびって舐めてかかるのが日本の悪い癖なのかも知れませんなあ。正直に言って嬉しい「タナボタ」得点ですが、外信には納得が行かない疑惑を指摘する声も有りましたし、審判はオーストラリアに対して密かに「誤審」を謝罪していたという話が翌日の新聞には出ていましたぞ。もしも、1対0で試合が終っていたら、相当に大きな問題になって尾を引いたのではないでしょうか?まるで卑怯な真珠湾奇襲で遅れた最後通牒手交みたいに……。