旅限無(りょげむ)

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ゴテゴテの後手後手 其の四

2006-06-22 12:26:08 | 政治
X氏 政治家はたくさん知っているがA(政権中枢に極めて近い自民党議員)といちばん親しい。Aの最初の選挙のときに、最初に応援に行ったのは俺だよ。

X氏 全学連で活動してました。当時はB(民主党参議院議員)が委員長で、C(元大蔵省主計局長)が副委員長、そして私が常任委員長でした。

■Aは加藤紘一さんで、Bは江田五月さんじゃないでしょうか?大東亜戦争の後始末も中途半端で、全学連も単なる「青春の思い出」にしてしまっている日本は、どんどん後続の世代が負わねばならない宿題が大きくなって手に負えませんぞ!「昔は共産党員だったんじゃあ」などと、トンデモない地位に付いている人が好々爺然として喋り出されては、本当に困るのです。このA氏にしても、高級官僚から国会議員にまでなりながら、生まれ故郷の朝鮮半島にはただならない思いを寄せているのですから、核関連技術にしても外交戦略にしても、日本は穴だらけだということです。

■1990年9月に税金使ってチャーター機で平壌に乗り込んだ自民党13人、社会党10人の国会議員と、両党関係者だの政府関係者だの報道陣などの「金魚のウンチ」が36人、合計90人の名前など調べる気になればずらずらと列記出来るのでしょうが、マスコミが大喜びした小泉さんの前置きの長かった「電撃訪問」にくっ付いて行った外交音痴軍団に負けないピンボケ集団だったようです。「鴨が葱背負って」とは言いますが、「アホがチャーター機で」という新しい慣用句を作った方が良さそうな、「タラップ上で手を振る訪朝団」写真が残っていますぞ。仲良くするにも喧嘩するにも、もう少し格好つけないと行けませんなあ。その後も我も我もと平壌詣でが続きましたが、その滑稽譚は別の機会に……。

■世の中はバブル、財界も政界もバブル、金丸爺さんは、外交交渉の場と銀座のクラブを間違えて、「チップをはずめ!」とトンデモない大盤振る舞いをやらかそうとして顰蹙を買ったのですが、選挙となれば炊き出しのオニギリの中にラップに包んだ1万円札が入っていると言われた山梨県の政治風土?をそのまま半島に持ち出しては行けませんなあ。バブルのあだ花だった東海道リニア・モーターカーをぐにゃりと北に曲げて山梨の山深い所に引っ張り込んだのは御愛嬌でしたが、慣れない外交などにまでしゃしゃり出ては行けません。当時の自民党には金丸さんを止める政治家が居なかったのです。それからの北朝鮮外交の「失われた10年」は大きな意味を持ちました。田中派・経世会・橋本派と流れた自民党の主流を根絶やしにした小泉さんが、ぽんと飛び出して「永遠」の外務官僚が書いておいたカビの生えた日朝平壌宣言を持って訪朝したのですから、拉致も核もミサイルも、何一つ解決するはずはないのでした。

■「日々変化する外交情勢」などと、作文にはあっさりと書き込む癖が有る外務省ですが、御仕事は「10年1日のごとく」こなしているようですから、あの宣言文も当時も今も、海外メディアはまったく重視してくれません。ちょっとした情報機関を持っている国なら、北朝鮮の核技術やIT技術が何処から来ているのかは知っているでしょうから、下手な田舎芝居にしか見えないに違い有りません。偏差値の高い大学に入学して、外交官試験にパスした、それがどうした?と生々しい世界の外交の最前線で戦っている連中に聞かれたら、ぐうの音も出ないとも聞きますなあ。日本国内だけで偉い外交官というのは悪い冗談です。

■法律では戦争と一緒に「博打」を禁止しながら日本中の津津浦浦にパチンコ屋さんと「景品交換所」が並んでいる変な捻れ現象を放置している国から、莫大な軍資金が北朝鮮に流れ、工業製品だろうが半軍事製品だろうが、日本から北朝鮮にどんどん流れていたのです。そう言えば、昔は「ココム」などという正体不明の組織が有って、日本も社会主義陣営に軍事転用可能な技術を輸出しない約束を強いられていました。日本から北朝鮮に変な技術が流れているぞ!と米国から怒られた事は一度も無かったようですが、日本の東芝が米国でも作れないスーパーコンピュータとノート型パソコンを開発したら、突然、ソ連の潜水艦のスクリューを滑らかに削る工作機械を輸出した!と濡れ衣を着せられましたなあ。

■米国は、敵が肥え太って世界中が注目するくらいに大きな悪役に育つまでは、自腹を切ってでも育て上げておいて、突如として、「邪悪な敵だ!」と名指しして自国の軍隊がしこたま貯め込んだ武器の在庫整理をするという悪い癖の有る国です。日米関係を機軸とするのは結構ですが、何でもかんでも言う事を聞いていると、また!生贄にされる危険は有りますぞ。ご用心、ご用心。

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ゴテゴテの後手後手 其の参

2006-06-22 12:25:53 | 政治
■日本から核開発に必要な技術が北朝鮮に流出しているという噂は、別のメディアでも度々指摘されていたのですが、週刊朝日はその中心人物を特定しています。

X氏の出生地は日本ではなく朝鮮半島だという。さらに東大在学中には左翼系学生組織「全学連」の主要メンバーのひとりであり、この運動を通してX氏の政治歴が開ける。当時の「同志」ともいうべき別のメンバーはのちにX氏と同じくキャリア官僚となり、政界と深く関係を持つようになった。そしてこの人物が橋渡し役となり、X氏は「政界のドン」こと金丸信・元副総理との人脈を築いたとみられる……

■やっぱり北朝鮮問題と言うと金丸さんの名前が出て来ます。1990年の鳴り物入りで実施された平壌訪問は、55年体制のハラワタを露呈するように社会党副委員長の田辺誠さんと仲良く飛行機に乗って平壌に引っ張り出されたのでした。あの瞬間に社会党の命脈は尽きていたのですなあ。マスゲームに人文字、金日成主席との浪花節会談、色仕掛けや賄賂攻撃などの噂も有った非常に怪しい訪朝団でした。佐川急便事件から脱税事件での逮捕へと発展した金丸スキャンダルの中で、刻印無しの金の延べ棒がごろごろ出て来て大騒ぎになりましたなあ。佐渡に告ぐ金山が有った山梨県のドンだからと言っても、自宅の金庫に刻印無しの延べ棒が転がっているのは奇怪な話です。「新党結成の資金」とご本人は言っていたという話も有りましたが、出所不明の純金を何処で換金するつもりだったのでしょう?


……前出の公安関係者は語る。「金丸関連の史料によると、北朝鮮は国交回復の見返りに支援を期待していたことがわかります。支援の中身は第一に食糧援助。第二にはパチンコ産業の保護。そして第三にエネルギー支援。……コメ支援は周知のとおりであり、パチンコ産業は一時期30兆円規模というわれるほど成熟した。ただ、エネルギー支援がどうなったかだけは不明でした……」

■X氏は金丸訪朝で北朝鮮と接触したのだそうですが、X氏以外にも北京あたりで北朝鮮関係者と多くの民間技術者が接触していたとの話も紹介されていますが、友好の印なのか、多額のオコヅカイが貰えたのだそうです。どうせ日本の在日同胞から巻き上げた悲しい資金なのでしょうが、ぐるりと回って日本のうっかり者の裏金になって戻って来ていたのですなあ。


金丸訪朝当時の北朝鮮の政界工作をよく知る自民党の衆議院議員もこう語る。「金丸は訪朝後、いろいろな場面に北朝鮮擁護の立場で介入するようになった。警視庁の朝鮮総連関係施設への強制捜査が、前日に金丸の鶴の一声でつぶされたこともありました。金丸は訪朝時に“ハニートラップ”に引っ掛かったという話もある。この訪朝を仕掛けた北朝鮮系のある大物は、政財界に広い人脈を持ち、金丸とも眤懇(じっこん)の仲だった。……」

まったく、その容貌から失礼ながら「妖怪」そのものだった晩年の金丸さんは、本物の「昭和の妖怪」岸信介さんほどの見識も知略も無い困った丈夫な年寄りだったようです。『週刊朝日』はX氏を特定していて御本人にインタヴューしているのですが名前は最後まで明かしていません。後のオタノシミなのでしょうか?


X氏 きっかけは金丸先生。もともとは台湾ロビーで、李登輝が総統に就任するときに一緒に台湾に行ったりして親しくなったのだが、その後、金丸先生が中国・北朝鮮派になったので。

■日本の外交戦略が、派閥選挙の資金源になる利権話の延長でころころ変わる情けない実情がはっきり分かる話ですなあ。角福戦争などと言われて日本の「田舎政治記者」と「田舎陣笠政治家」が蠢(うごめ)く中で、台湾と北京とを両天秤に掛けて東アジア外交の主導権を取れた時に、角栄さんは自分が台湾やインドネシアの利権を取れないものだから、あっさり親日台湾を斬り捨てて北京に乗り換えたのを、日本中の新聞がパンダ騒ぎを利用して「日中友好」を書きたてたのが運の尽きでしたなあ。別に、二者択一など誰も求めていなかったのに、実に勿体無いことをしたものです。そんなアホな外交を伝統にしてしまった自民党には外交戦略など欠片も残りませんでしたなあ。金丸さんも息子を北朝鮮利権の継承者にして、どれほど裏で儲けようと思ったのかは分かりませんが、その後に小沢一郎さんだの、渡辺ミッチーだのが続々と平壌詣でに励んだのですから、角栄さんを持ち上げたマスコミの罪は重いのです。