■これを「邀撃漸減(ようげきぜんげん)」と呼んで必殺の「迎撃作戦」と信じていました。つまり、サッカーで言うところの「攻撃的な防御」から一挙に攻勢に出て得点するという戦法と似ているのです。ところが、自分で飛行機をたっぷりと積み込んだ機動部隊をバカみたいに遠い適地に進めて飛行機で主力艦隊を崩壊させてしまったものですから、「大海戦」計画が宙に浮いてしまいます。真珠湾の上空を日本の飛行機が飛び回った数日後に、超弩級戦艦大和が進水しています。当初の計画の目玉になるはずの大戦艦は誕生の時から税金の無駄遣いの巨大な塊(かたまり)だったのです。最後は沖縄特攻作戦に行かせて洋上で大爆発させてしまいましたなあ。
■ジーコ・サムライ日本も、何が何でも正真正銘のシュートを放って追加点を取りに行くのか、虎の子の1点をどんなに卑怯未練で無様な戦いになろうとも死守して勝ち点3をもぎ取るのか?に悩みます。司令官のジーコも腹は決らなかったようです。前半が終了してピッチを去る時に、中田ヒデ君は盛んにFWの選手に檄を飛ばしている姿をテレビ・カメラは捉えていましたなあ。彼は追加得点を取ろう!と言っていたのでしょう。しかし、選手達は中田ヒデ君の言葉に大きく頷くような場面は無かったようです。選手の自主性を信頼するという方針が裏目に出始めていたのを証明するのが、休憩時間に語った言葉です。
「リードしている時のサッカーをやろう」
■このジーコ監督の指示はメンバーにはどんな意味に取られたのでしょう?手段を選ばずに1点を死守してカッコ悪く「勝ち点3」にしがみ付くのか、守りつつもカウンターで追加点を貪欲に取りに行くのか?万一、守りと攻めの間に意思の齟齬(そご)が起きていたのなら、中間地帯にぽっかりスペースが開いて敵が好き放題に暴れまわる事になりますなあ。漏れ聞くところによりますと、敵将ヒディングは日本チームの要は中田ヒデ君と中村俊輔君の二人だけだ!と見抜いていたそうです。これは米軍が「蛙跳び」作戦で沖縄とサイパン島だけを目指して日本列島に肉薄したのに似ています。ラバウル航空隊もシンガポール要塞も戦線の後方に放置して、日本を焦土にする事しか考えていない米軍と、格好良い「一戦後和平」の花道を探していた日本軍との違いが、今回のオーストラリア戦にも見えたような気がします。
■ドイツ戦で2度のシュートを決めた高原君を連日囃し立てていた日本のスポーツ・ジャーナリズムは、ヒディング監督に利用されたようなものです。策士ヒディングの眼中には高原君の影さえ無かったようですぞ。彼が大変な努力家である事は本当でしょうが、勝負師にとって最も大切なのは「運」です。日本海海戦に東郷平八郎が起用された最大の理由は「運が良い男」でした。江戸時代生まれで戊辰戦争を経験していた明治の軍人は実戦での「運」がどれほど重要なのかを知っていたのでしょう。世界レベルで通用する「運」を持っているのは中村俊輔君と中田ヒデ君だけだったという事でしょうなあ。
後半8分、競り合いから着地したDF坪井が右太腿裏を痛める。自ら続行不可能のサインを出して、11分に茂庭君と交代。
「運」という話になると、ジーコに付き纏う「不運」について就任直後から何度も書かれていましたなあ。ピッチに仰向けに寝転んで苦痛に表情を歪めている坪井君の姿は、米国に捕獲された零式艦上戦闘機を思わせました。
1942年6月5日、艦上攻撃機9機と零式艦上戦闘機6機が空母龍驤を発艦してダッチハーバー攻撃に出撃。古賀忠義一飛曹が操縦する零戦の一機が地上砲火で被弾。潜水艦による救助を期待して不時着予定地のアクタン島に向かうが、湿地帯の泥に車輪を取られて機体は一回転し古賀一飛曹は首の骨を折って即死。一部始終を見ていた僚機は銃撃して機体を消失させるのは忍びないと機体を放置して帰還。その5日後、米国哨戒機によって機体は発見されて分解梱包されて8月12日にサンディエゴ海軍航空基地に届けられ、1ヵ月後には星マークを付けて飛行試験が始まる。
■ジーコ・サムライ日本も、何が何でも正真正銘のシュートを放って追加点を取りに行くのか、虎の子の1点をどんなに卑怯未練で無様な戦いになろうとも死守して勝ち点3をもぎ取るのか?に悩みます。司令官のジーコも腹は決らなかったようです。前半が終了してピッチを去る時に、中田ヒデ君は盛んにFWの選手に檄を飛ばしている姿をテレビ・カメラは捉えていましたなあ。彼は追加得点を取ろう!と言っていたのでしょう。しかし、選手達は中田ヒデ君の言葉に大きく頷くような場面は無かったようです。選手の自主性を信頼するという方針が裏目に出始めていたのを証明するのが、休憩時間に語った言葉です。
「リードしている時のサッカーをやろう」
■このジーコ監督の指示はメンバーにはどんな意味に取られたのでしょう?手段を選ばずに1点を死守してカッコ悪く「勝ち点3」にしがみ付くのか、守りつつもカウンターで追加点を貪欲に取りに行くのか?万一、守りと攻めの間に意思の齟齬(そご)が起きていたのなら、中間地帯にぽっかりスペースが開いて敵が好き放題に暴れまわる事になりますなあ。漏れ聞くところによりますと、敵将ヒディングは日本チームの要は中田ヒデ君と中村俊輔君の二人だけだ!と見抜いていたそうです。これは米軍が「蛙跳び」作戦で沖縄とサイパン島だけを目指して日本列島に肉薄したのに似ています。ラバウル航空隊もシンガポール要塞も戦線の後方に放置して、日本を焦土にする事しか考えていない米軍と、格好良い「一戦後和平」の花道を探していた日本軍との違いが、今回のオーストラリア戦にも見えたような気がします。
■ドイツ戦で2度のシュートを決めた高原君を連日囃し立てていた日本のスポーツ・ジャーナリズムは、ヒディング監督に利用されたようなものです。策士ヒディングの眼中には高原君の影さえ無かったようですぞ。彼が大変な努力家である事は本当でしょうが、勝負師にとって最も大切なのは「運」です。日本海海戦に東郷平八郎が起用された最大の理由は「運が良い男」でした。江戸時代生まれで戊辰戦争を経験していた明治の軍人は実戦での「運」がどれほど重要なのかを知っていたのでしょう。世界レベルで通用する「運」を持っているのは中村俊輔君と中田ヒデ君だけだったという事でしょうなあ。
後半8分、競り合いから着地したDF坪井が右太腿裏を痛める。自ら続行不可能のサインを出して、11分に茂庭君と交代。
「運」という話になると、ジーコに付き纏う「不運」について就任直後から何度も書かれていましたなあ。ピッチに仰向けに寝転んで苦痛に表情を歪めている坪井君の姿は、米国に捕獲された零式艦上戦闘機を思わせました。
1942年6月5日、艦上攻撃機9機と零式艦上戦闘機6機が空母龍驤を発艦してダッチハーバー攻撃に出撃。古賀忠義一飛曹が操縦する零戦の一機が地上砲火で被弾。潜水艦による救助を期待して不時着予定地のアクタン島に向かうが、湿地帯の泥に車輪を取られて機体は一回転し古賀一飛曹は首の骨を折って即死。一部始終を見ていた僚機は銃撃して機体を消失させるのは忍びないと機体を放置して帰還。その5日後、米国哨戒機によって機体は発見されて分解梱包されて8月12日にサンディエゴ海軍航空基地に届けられ、1ヵ月後には星マークを付けて飛行試験が始まる。