旅限無(りょげむ)

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日本敗れる時 其の参

2006-06-16 12:46:34 | 歴史
■これを「邀撃漸減(ようげきぜんげん)」と呼んで必殺の「迎撃作戦」と信じていました。つまり、サッカーで言うところの「攻撃的な防御」から一挙に攻勢に出て得点するという戦法と似ているのです。ところが、自分で飛行機をたっぷりと積み込んだ機動部隊をバカみたいに遠い適地に進めて飛行機で主力艦隊を崩壊させてしまったものですから、「大海戦」計画が宙に浮いてしまいます。真珠湾の上空を日本の飛行機が飛び回った数日後に、超弩級戦艦大和が進水しています。当初の計画の目玉になるはずの大戦艦は誕生の時から税金の無駄遣いの巨大な塊(かたまり)だったのです。最後は沖縄特攻作戦に行かせて洋上で大爆発させてしまいましたなあ。

■ジーコ・サムライ日本も、何が何でも正真正銘のシュートを放って追加点を取りに行くのか、虎の子の1点をどんなに卑怯未練で無様な戦いになろうとも死守して勝ち点3をもぎ取るのか?に悩みます。司令官のジーコも腹は決らなかったようです。前半が終了してピッチを去る時に、中田ヒデ君は盛んにFWの選手に檄を飛ばしている姿をテレビ・カメラは捉えていましたなあ。彼は追加得点を取ろう!と言っていたのでしょう。しかし、選手達は中田ヒデ君の言葉に大きく頷くような場面は無かったようです。選手の自主性を信頼するという方針が裏目に出始めていたのを証明するのが、休憩時間に語った言葉です。


「リードしている時のサッカーをやろう」

■このジーコ監督の指示はメンバーにはどんな意味に取られたのでしょう?手段を選ばずに1点を死守してカッコ悪く「勝ち点3」にしがみ付くのか、守りつつもカウンターで追加点を貪欲に取りに行くのか?万一、守りと攻めの間に意思の齟齬(そご)が起きていたのなら、中間地帯にぽっかりスペースが開いて敵が好き放題に暴れまわる事になりますなあ。漏れ聞くところによりますと、敵将ヒディングは日本チームの要は中田ヒデ君と中村俊輔君の二人だけだ!と見抜いていたそうです。これは米軍が「蛙跳び」作戦で沖縄とサイパン島だけを目指して日本列島に肉薄したのに似ています。ラバウル航空隊もシンガポール要塞も戦線の後方に放置して、日本を焦土にする事しか考えていない米軍と、格好良い「一戦後和平」の花道を探していた日本軍との違いが、今回のオーストラリア戦にも見えたような気がします。

■ドイツ戦で2度のシュートを決めた高原君を連日囃し立てていた日本のスポーツ・ジャーナリズムは、ヒディング監督に利用されたようなものです。策士ヒディングの眼中には高原君の影さえ無かったようですぞ。彼が大変な努力家である事は本当でしょうが、勝負師にとって最も大切なのは「運」です。日本海海戦に東郷平八郎が起用された最大の理由は「運が良い男」でした。江戸時代生まれで戊辰戦争を経験していた明治の軍人は実戦での「運」がどれほど重要なのかを知っていたのでしょう。世界レベルで通用する「運」を持っているのは中村俊輔君と中田ヒデ君だけだったという事でしょうなあ。


後半8分、競り合いから着地したDF坪井が右太腿裏を痛める。自ら続行不可能のサインを出して、11分に茂庭君と交代。

「運」という話になると、ジーコに付き纏う「不運」について就任直後から何度も書かれていましたなあ。ピッチに仰向けに寝転んで苦痛に表情を歪めている坪井君の姿は、米国に捕獲された零式艦上戦闘機を思わせました。

1942年6月5日、艦上攻撃機9機と零式艦上戦闘機6機が空母龍驤を発艦してダッチハーバー攻撃に出撃。古賀忠義一飛曹が操縦する零戦の一機が地上砲火で被弾。潜水艦による救助を期待して不時着予定地のアクタン島に向かうが、湿地帯の泥に車輪を取られて機体は一回転し古賀一飛曹は首の骨を折って即死。一部始終を見ていた僚機は銃撃して機体を消失させるのは忍びないと機体を放置して帰還。その5日後、米国哨戒機によって機体は発見されて分解梱包されて8月12日にサンディエゴ海軍航空基地に届けられ、1ヵ月後には星マークを付けて飛行試験が始まる。

日本敗れる時 其の弐

2006-06-16 12:46:21 | 歴史
■日露戦争の体験から「開戦劈頭、敵主力を撃滅」の方針が出ていたにしても、奇襲を禁じるハーグ条約が発効していたのですから、日本は戦争の始めから大間違いをして自分から「悪役」になってしまった過去を思い出せば、あの「タナボタ」得点を大喜びするべきではありませんでしたなあ。黙って次の「本物のシュート」を貪欲に狙いに行かなければ駄目です!ファウルであろうとなかろうと、どちらにしても、あれは「シュート」ではなかった事だけは確かです。スポーツ紙が掲載した外電は以下の通り。

オーストラリアのGKシュワルツァーは柳沢に邪魔されたように見えた。(ロイター)

高原がGKを妨害したように見えたが、エジプト人主審はオーストラリアの講義を受け付けなかった。(AP)

■1点は1点ですから、これを切り札にして勝ち点3を取っていれば「勝てば官軍」原爆も東京裁判も許される!と言っていられるのですが、それには勝利に対する獣じみた執念と手段を選ばぬ迫力が必要で、それは和風の文化にはそぐわないもののような気がして仕方が有りません。生活を犠牲にし、詐欺にカモにされながらも現地のドイツまで出かけて応援している人や、明日の勤務や授業を放り出してでも声援を送っている人達がぬか喜びするのは結構なことです。しかし、ピッチに立っている選手たちの喜びようは異常でした。始めから中村俊輔君がフェイント気味のシュートを狙い、それを柳沢と高原が承知の上でファウル覚悟の突進をしたのなら良いのですが、どう見ても中村俊輔君のクロスが長過ぎ、高原君と柳沢君が間に合わなかった所に、うっかりしたGKシュワルツァーが飛び出して柳原君と接触、その直後に飛び込んで来た高原君と衝突。後から飛び込んで来た高原君の手の動きも「微妙」なものが有りましたなあ。

■ファイターならば、こんな得点に大喜びなどせずに、敵陣のゴール・ネットを突き破るようなシュートを叩き込んでやる!という殺気立った表情になって唸り声を上げて欲しかったですなあ。まるで優勝でもしたかのように大喜びしているサムライ日本を観ていて、何故か戦争中の草鹿参謀長という変な人の事を思い出したのでした。真珠湾攻撃の作戦立案をしたり、ミッドウェー海戦には「運命の10分間」の大チョンボの現場、旗艦赤城の艦橋に居た人です。この人は「無刀流」とか言う剣の使い手で深遠な剣の奥義を近代総力戦に応用しようとしたオカルティックな人物です。敗戦後は有機農法か何かに熱中して明るい戦後を過ごしたようですが……。

■草鹿参謀長が鍛えていた剣術には「金翅鳥王剣(きんしちょうおうけん)」とか言う奥義が有るそうです。名人の一撃を加えたらさっと引く戦法なのだそうで、悪く言えば自己満足の美学に凝り固まった話のようなものです。格好良く引き上げる後ろから卑怯千万な飛び道具が飛んで来たら騙まし討ちに合って無様に殺されるだけでしょうに!時代劇のチャンバラ映画ならば、抜き手も見せずに鞘走った白刃が一閃したと思ったら目にも留まらぬ速さで剣は鞘に納まって、悠然とその場を立ち去る主人公が居て、それを呆然と見送った相手の髷(まげ)がぽろりと落ちる……。そんなイメージで近代的な消耗総力戦をやっていたのですから、トンデモない話です。

■世界を驚かせた真珠湾攻撃にしても、魚雷が使えないほど水深の浅い湾内に並んでいる軍艦を「着底」させて大喜びしたものの、巨大な燃料タンクもクレーンやドック設備も無傷で残した結果、せっかく撃沈した軍艦は一隻を残して全部修理されて戦線に復帰してしまいます。相手に止(とど)めを刺さずに、大勝利に酔っ払えるのが日本人なのでしょうか?さて、ジーコ・サムライ日本は、この「タナボタ」得点の後、旧日本海軍と同じジレンマに落ち込んだように見えたのでした。日露戦争時の日本海大海戦を教科書で勉強していたエリート達は、対米戦争でも大海戦をやる心算でいたのです。それには、広い太平洋をぞろぞろと軍艦を並べて渡って来る米国艦隊をちびちびと沈めて、決戦場と想定されているマリアナ諸島近海に達するまでに弱体化させておいて、それを迎え撃って撃滅するのだそうです。