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遼寧省大連市の政治協商会議では今年1月、大連大学の王禹浪教授らが石碑研究の促進を求める提案をした。旅順市では石碑の展示館建設計画も浮上している。北京の研究者らが04年に設立した「唐鴻ロ井碑研究会」(羅哲文会長)の関係者は、「石碑研究での協力を進め、駐日友好関係を発展させたい」と話し……。
反日運動に利用しようという悪意はまだ見えないようですが、下手をすると一番損な役回りが日本に押し付けられる危険は有ります。
中国側の関心の背景には、歴史的な帰属をめぐる韓国との論争がある。渤海国の前にあった高句麗をめぐる論争は、昨年5月の中韓首脳会談で取り上げられるなど、外交問題に発展した。中国から見れば、高句麗の流れを引く渤海国が唐の藩国であったことを示す石碑は、両国とも中国の歴史に位置づけられるとの立場を裏付ける重要な証拠になる……。
■高句麗時代、楽浪郡や帯方郡を置かれてチャイナの藩国になっていたのは事実ですが、313年には五胡十六国の動乱時代の開始に合わせて完全な独立を回復しています。その全盛期に出現したのが広開土王で、チャイナは南北朝時代へ移る中、高句麗は現在の北朝鮮の2倍以上の国土を北に広げて元気でした。現在の韓国に当たる場所には新羅・百済・加羅(任那)が鼎立して大和朝廷も勢力争いに介入しているという非常に複雑な国際情勢でしたなあ。そんな高句麗ですから、朝鮮半島の人々にとってはチャイナの圧力を押し返した歴史の希望であるわけです。しかし、相手のチャイナ側からすれば、楽浪・帯方郡を置いて呑み込んだ時点から歴史を語りたいわけで、高句麗が元気になったのは北方民族が乱入して起こった天下大乱の五胡十六国から南北朝の「特殊な時代」に起こった一時的な椿事だったと言いたいのでしょうなあ。
■一度呑み込んだからと言って自分の領土だったと言うのは怪しからん!と韓国は怒っているのですが、その舌の根も乾かないうちに竹島ばかりか対馬にまで唾を付けたと偽書を振りまわして興奮しているのは困ったものです。世界は二枚舌で喧嘩するのが常態なのですなあ。日本もこういう図々しさと逞しさを身に付ける必要が有りそうですぞ。渤海国の遺跡は遠くロシア沿海州にも残っているのだそうです。ウラジオストクの西300キロ、その名を「クラスキノ遺跡」と言うのだそうです。昔は「塩州城」という地名で、日本へと向う船が出た港町だったようです。環日本海文化と呼ばれる広大な交易ネットワークの歴史は古く、渤海国もこの伝統の中に出現したのでした。渤海は海上交易によって栄え、唐王朝さえも羨むほどだったのです。
■このロシアのクラスキノ遺跡から発掘された陶器の破片が、福岡県、石川県、山東省、四川省、陝西省、浙江省などでも発見されている湖南省産の物だとか、何とも壮大なネット・ワークを作ったものですなあ。日本海沿岸の地方自治体では、新しい日本海文化を創り出そうと頑張っているところが多いようですから、渤海国の歴史は決して他人事ではないのです。
渤海史を専門とし、99年に石碑を紹介する論文を発表した国学院大栃木短大の酒寄雅志教授は「渤海という国ができた当時を考える史料だ。皇居の奥深くしまい込んでおかないで、まずは開放・公開してほしい」と語る。宮内庁によると、石碑は現在も「国有財産」として皇居内の吹上御苑で保管されている。立ち入り規制があり、写真の提供には応じることはあるものの、公開はしていないという。返還などを求める動きについては、「そういう報道には接していない」としている。
■高熱をおしてシンガポール、マレーシア、タイを歴訪していらっしゃる天皇皇后両陛下がお聞きになったら悲しむような宮内庁のコメントです。こういうのは世が世ならば「君側の奸」と言うのではないでしょうか?宮内庁には新聞も雑誌も届かないのか?海外での武力行使を認めない「憲法9条」を遵守するなら、「戦利品」はどんどん送り返してしまえば良さそうなものですが、縦割り官僚達にとっては国益よりも省庁を守ることが大切なのでしょうか?欧米では平気で「戦利品」を博物館に展示しているのですが、それでも「国民の財産」として全面的に公開していますぞ。皇居内に仕舞い込んでいるのなら、「皇室の財産」なのではないですかな?もたもたしていると「略奪者」の汚名を天皇家に負わせることになるかも知れませんからご注意を願いたいものですなあ。
遼寧省大連市の政治協商会議では今年1月、大連大学の王禹浪教授らが石碑研究の促進を求める提案をした。旅順市では石碑の展示館建設計画も浮上している。北京の研究者らが04年に設立した「唐鴻ロ井碑研究会」(羅哲文会長)の関係者は、「石碑研究での協力を進め、駐日友好関係を発展させたい」と話し……。
反日運動に利用しようという悪意はまだ見えないようですが、下手をすると一番損な役回りが日本に押し付けられる危険は有ります。
中国側の関心の背景には、歴史的な帰属をめぐる韓国との論争がある。渤海国の前にあった高句麗をめぐる論争は、昨年5月の中韓首脳会談で取り上げられるなど、外交問題に発展した。中国から見れば、高句麗の流れを引く渤海国が唐の藩国であったことを示す石碑は、両国とも中国の歴史に位置づけられるとの立場を裏付ける重要な証拠になる……。
■高句麗時代、楽浪郡や帯方郡を置かれてチャイナの藩国になっていたのは事実ですが、313年には五胡十六国の動乱時代の開始に合わせて完全な独立を回復しています。その全盛期に出現したのが広開土王で、チャイナは南北朝時代へ移る中、高句麗は現在の北朝鮮の2倍以上の国土を北に広げて元気でした。現在の韓国に当たる場所には新羅・百済・加羅(任那)が鼎立して大和朝廷も勢力争いに介入しているという非常に複雑な国際情勢でしたなあ。そんな高句麗ですから、朝鮮半島の人々にとってはチャイナの圧力を押し返した歴史の希望であるわけです。しかし、相手のチャイナ側からすれば、楽浪・帯方郡を置いて呑み込んだ時点から歴史を語りたいわけで、高句麗が元気になったのは北方民族が乱入して起こった天下大乱の五胡十六国から南北朝の「特殊な時代」に起こった一時的な椿事だったと言いたいのでしょうなあ。
■一度呑み込んだからと言って自分の領土だったと言うのは怪しからん!と韓国は怒っているのですが、その舌の根も乾かないうちに竹島ばかりか対馬にまで唾を付けたと偽書を振りまわして興奮しているのは困ったものです。世界は二枚舌で喧嘩するのが常態なのですなあ。日本もこういう図々しさと逞しさを身に付ける必要が有りそうですぞ。渤海国の遺跡は遠くロシア沿海州にも残っているのだそうです。ウラジオストクの西300キロ、その名を「クラスキノ遺跡」と言うのだそうです。昔は「塩州城」という地名で、日本へと向う船が出た港町だったようです。環日本海文化と呼ばれる広大な交易ネットワークの歴史は古く、渤海国もこの伝統の中に出現したのでした。渤海は海上交易によって栄え、唐王朝さえも羨むほどだったのです。
■このロシアのクラスキノ遺跡から発掘された陶器の破片が、福岡県、石川県、山東省、四川省、陝西省、浙江省などでも発見されている湖南省産の物だとか、何とも壮大なネット・ワークを作ったものですなあ。日本海沿岸の地方自治体では、新しい日本海文化を創り出そうと頑張っているところが多いようですから、渤海国の歴史は決して他人事ではないのです。
渤海史を専門とし、99年に石碑を紹介する論文を発表した国学院大栃木短大の酒寄雅志教授は「渤海という国ができた当時を考える史料だ。皇居の奥深くしまい込んでおかないで、まずは開放・公開してほしい」と語る。宮内庁によると、石碑は現在も「国有財産」として皇居内の吹上御苑で保管されている。立ち入り規制があり、写真の提供には応じることはあるものの、公開はしていないという。返還などを求める動きについては、「そういう報道には接していない」としている。
■高熱をおしてシンガポール、マレーシア、タイを歴訪していらっしゃる天皇皇后両陛下がお聞きになったら悲しむような宮内庁のコメントです。こういうのは世が世ならば「君側の奸」と言うのではないでしょうか?宮内庁には新聞も雑誌も届かないのか?海外での武力行使を認めない「憲法9条」を遵守するなら、「戦利品」はどんどん送り返してしまえば良さそうなものですが、縦割り官僚達にとっては国益よりも省庁を守ることが大切なのでしょうか?欧米では平気で「戦利品」を博物館に展示しているのですが、それでも「国民の財産」として全面的に公開していますぞ。皇居内に仕舞い込んでいるのなら、「皇室の財産」なのではないですかな?もたもたしていると「略奪者」の汚名を天皇家に負わせることになるかも知れませんからご注意を願いたいものですなあ。