旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

悲しい人ばかりの事件 其の弐

2006-06-10 14:08:30 | 社会問題・事件
■それが自由恋愛なのか売春稼業なのかはどうでも良い事で、女手ひとつで幼い娘を育て上げる手段がどんなものであろうと、それが犯罪でない限り他人がとやかく言うべき事ではないでしょう。しかし、毎月携帯電話に6万円も7万円も使うという不思議な母親は、娘を人間扱いしていなかった節が有ります。

大体、午後6時くらいに男の人がやってきて、翌日の昼頃に帰るパターンでした。可哀想に彩香ちゃんは、その男の人が来ると、しばらく家の外に追い出されて、近くにある児童公園に来て、独りぼっちで時間を潰していました。冬は6時でも暗いし、寒いしでしょ。心細くなったのか、泣いているところを見かけたので“お母ちゃんは何してるの?家に居ないの?”と聞いたら“お母ちゃんは、今、人助けをしているの”と答えたのでびっくりしたのです。

■名作映画の『泥の河』にはダルマ船に乗っている加賀まり子さんが出ていましたが、あの映画では母と子はしっかり生きていましたなあ。『週刊新潮』の特集記事は、何故か畠山鈴香の男性遍歴を詳しく書き立てていますが、これは悪趣味な蛇足でしょうなあ。ずっと「抵抗の跡が無いから顔見知りの犯行」と報道されていましたが、豪憲ちゃんの遺体は「抵抗の痕跡」が生々しく残っていたと記事は書いています。すべての発端になったのが彩香ちゃんの変死だと言われていますが、これが事故なのか事件なのか、事件であれば国から300万円から1500万円の間の見舞金が出るとか出ないとか……。ガスも止めてコンビニ弁当とカップ麺を「餌」にして育てていた彩香ちゃんは周囲から可哀想な子、しっかりしていた優しい子だったとも言われています。

■鬼怒川温泉での接客仕事を1年で止めて地元に舞い戻り、1歳年下の男に声を掛けられて、2対2のグループ交際が始まって遊び歩いている間に知人の目を逃れて同棲する為なのか、土地勘の有る鬼怒川へと逃避行、男はガソリンスタンドで働いて女は温泉旅館の仲居さん、どんな相談をしたのか仲が悪かったのに入籍した二人が故郷に戻って出産。この入籍と妊娠との順番が逆なのではないか?と疑問が湧きます。もしかしたら、妊娠中絶を間に挟んでいた可能性も考えられるような不幸な出産だったようです。彩香ちゃんの妊娠前から互いの浮気遊びを詰(なじ)り合うような愚かな夫婦が子供を持ったのでした。


「鈴香が妊娠したとき、お腹の子供は一体、誰の子なんだ、と、激しい口論があったと聞いています」

この知人が証言するような愚かな父母の喧嘩を彩香ちゃんは鈴香ママのお腹の中で聞いていたんでしょうなあ。「わたしの子供」「俺の子」「私の孫」「俺の姪っ子」「私の生徒」「近所の子供」……という大きな人の網の中に子供は生まれて来るものなのですが、鈴香容疑者を除いて、彩香ちゃんの「親族」らしい声が何処からも出て来ないのが寂しい限りですなあ。

■問題の多い母子家庭だったからでしょうか?担任の先生からも彩香ちゃんの生前の姿が浮かび上がるような話は出て来ないようですし、父親も父方の親族も、「無関係だ」としか言わない。マスコミを集めて開いた記者会見に同席した鈴香容疑者の母や弟から、彩香ちゃんに関する発言が無いのは異様です。鈴香容疑者の実家でも、孫や姪として愛されていた訳ではないようですなあ。そんな事もどうでも良くなる悲しい話が『週刊新潮』出ていますぞ!


彩香ちゃんをイジメていたのは特定の男の子たちです。デブ、ブタとバカにされ、雑巾を顔めがけて投げつけられることもあったようです。死ねとかひどい言葉を浴びせられて、背中を蹴られたり……

■何も知らないバカ餓鬼は何処にでも居るものですが、家にも学校にも居場所が無い9歳の女の子が、どんな気持ちで生きていたのかをバカ餓鬼どももやがては知るでしょう。彩香ちゃんの家庭事情に学校でのイジメが重なって、9歳児の「自殺」説が出ているのだそうです。自分の子供がこんな救いようもないイジメを楽しんでいた事を知った親はどんな思いをするのやら……。そして、人の悲しみを知る年頃になってからか、人の親になって幼い子供の命の輝きを知ってからかは分かりませんが、自分が何をやってしまったのかを後悔する時には、並大抵の苦しさではないでしょうなあ。そんな事などけろりと忘れてバカオヤジになってしまうのでしょうか?それはそれで、バカ親がまた増える事になるので、次の世代が心配にもなりますなあ。

■経済的な余裕が有る人から順にあの団地から去って行くでしょうし、関係した幼稚園や小学校には長くこの嫌な思い出が付着して消えないでしょう。秋田県能代市という地名は池田小学校のように長く記憶に残るのでしょうなあ。自分の家庭と子供を守るのが精一杯だと言われればそれまでですが、畠山鈴香という人を「母親という重責」から解放してあげていれば、彩香ちゃんも豪憲ちゃんも立派に育った事を考えると、日本と言う国が本当に良い日本人を増やそうとしているのかどうか、強く疑問を感じます。パンのみみやカップ・ヌードルのお湯、それくらいしか彩香ちゃんが受けた人の情けの象徴が無いというのが何よりも悲しいのですが、近隣住民、犯人の同級生や同窓生、親族や家族、数千人の人々がこの後味の悪さをずっと引き摺って生きて行くのはやり切れないでしょう。

■宅間守が吐き散らした毒気いっぱいの言葉に負けないような、とても人の言葉とも思えないような「自供」がこれから報道されるのが恐ろしく、同時に増加の一途を辿っている離婚・母子家庭・生活保護の統計数値を考えると、こんなに悲しく救いようの無い事件がこれからも起こるのかも知れないのですから、その覚悟をしておかねばならないのでしょうなあ。合掌

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悲しい人ばかりの事件 其の壱

2006-06-10 14:04:32 | 社会問題・事件
■秋田県能代市の小児殺害事件が解決しそうです。犯人が特定されて裁判が開かれて極刑に近い厳しい判決が下されて……そんな話はどうでも良い、そう思えるような事件です。こんなに多くの人が不幸で悲しくなる事件というのも珍しいのではないでしょうか?和歌山カレー事件と様相が似ているとも言われた「疑惑の一家」をマスコミが取り囲む重苦しい事件でしたが、何処かが大きく違っているような気がしますなあ。近所で浮き上がって交流のない怪しい一家が、保険金詐欺と殺人未遂を重ねて不自然に贅沢な暮らしをしていたのが和歌山カレー事件の構図でしたが、どうやら今回の秋田の事件は和歌山の事件と比べても悲惨で悲しい事件のようです。

■犯人の畠山鈴香という人は、短い期間とはいえ、生命保険のセールスの仕事をしていたのだそうです。和歌山カレー事件は徹底的に保険契約のカラクリを研究し悪用したような、反社会的な知能犯による事件だったのですが、今回の秋田での事件は詐欺も悪巧みも無い無軌道な自己破滅に一直線に向った事件だったような印象が強いですなあ。『週刊新潮』6月15日号で徹底的な「新聞が書けない」特集記事を掲載しています。それは「悲しみの連鎖」としか言い様の無い酷い内容です。


「鈴香はお金をよく友達に借りていました。けれど、借りたお金を返さないことで有名でした」

■中学時代の借金踏み倒しは、高校時代には「盗癖」へと進んだのだそうですが、山間の小さな集落から一家で町中に転居した幼少期と書かれていても、その理由は書かれていません。お金を返したくても返せない事情が有ったのかも知れませんなあ。それなら借金などしなければ良いのでしょうが、後の事を考えないで衝動的に浪費したい心が制御できない人だったのかも知れません。ご両親もパチンコが大好きで折角起した建材会社も無謀な投資と相俟って、何もかもが行き詰ってしまう。


5年前に鈴香の弟が、その翌年には母親が、そして3年前にには、独り身になっていた鈴香までもが自己破産……会社はついにタイヤ代100万円も払えなくなり手形の不渡りを出す。父親が昨年9月に脳梗塞で倒れて半身不随になると、生活は一層困窮。雪かき機まで手放した為、昨冬の大雪の際は自宅前の除雪すらできませんでした。

■人災なのか天災なのか、あの大雪の中にこんな家族がどれほど居たのでしょう?自己破産の後、生活保護を受けるには実家に同居するわけには行かないそうで、テレビですっかりお馴染みになった一見小奇麗な市営団地で暮らしていた母と子は、布団も洗濯物も外に干す事も無く、回覧板を回す事さえしないカーテンを閉め切った生活をしていたのだそうです。この母と弟と本人が3人並んで彩香ちゃんの49日に「記者会見」を開いたのだそうです。仕事とは言え、家に上がり込んでホラ話を取材したマスコミ関係者の皆様には同情するばかりです。


皮肉なことに、そんな団地内で唯一、彼女と親しく付き合っていたのが、豪憲ちゃんの米山家だ。

集合住宅や分譲住宅の最大の欠点は隣人を選べない事かも知れません。近隣住民同士のトラブルが深刻化してワイドショーの格好の材料にされるくらいに日本の人付き合いは殺伐としたものになっているようですから、畠山鈴香という人と隣人となって同じような年齢の子供を授かった米山さん一家は不運だったのでしょうか?あの団地は人口流出を防ごうと市が人工的に作った施設だそうですから、互いに過去を知らない似たような「年齢」の家族が突然集まって暮らし始めたことになります。


他の住人には、扉を固く閉ざしたままの鈴香の家を訪ねたのは、どこからともなく現われる車に乗った男性たちだったという。

6月12日の前に 其の四

2006-06-10 13:50:59 | 日記・雑学
■サッカーならば、キック・オフやセット・プレーが始まる瞬間が空中戦の開始と同じでしょう。この「読み」の深さと正確さが、体格や筋力の差を越える真のチカラになるのではないでしょうか?日米航空戦は両国の工業力の違いで説明されますが、自家用車を乗り回している若者の人口比から見るのも大切なようです。飛行機パイロットは確かに特殊な能力と資質を持っているエリートには違いないのですが、その裾野がどれだけ広いか?それが消耗戦に耐える人員補充能力を決定します。日本の少年達が野球よりもサッカーに興味を持っているそうですが、少子化と「空き地」の消滅は決して裾野を広げてはくれないでしょうなあ。さき程の練度が上がったパイロットの話に関連するセルジオ越後さんの発言が有ります。

僕はジーコがGKから始まるカウンターアタックの練習をさせるのを見たことない。ミニゲームが多くて、セットプレーといった自分の得意な練習が多い。この前、ブルガリア戦でシュートをたくさんはずしましたから、シュート練習をしていたけど、代表の練習はあんなことをしなくてもいいんです。監督がボールを転がしてシュート打たせても、あれは高校生の練習だよ。

■確かに「シュート練習」は射撃練習と同じですから、実践的な練習ではなくて初心者用の基礎訓練でしょうなあ。坂井三郎さんの言葉の中に、実戦での撃墜王が基礎訓練をすると「ぜんぜん当たらない」というのが有ります。変だなあ?と思いますが、要は「安全距離」の問題なのだそうです。基礎訓練は敵機との衝突を避けるために遠くから撃たせるので、衝突を恐れずに相手のパイロットの表情まで見える距離まで突っ込んで撃墜するという実戦で鍛えた猛者達には、安全距離からの「シュート」は難しいという話です。つまり、大口径の20ミリ機銃やら、6挺も8挺も翼の全面に7.7ミリ機銃を並べた武装などよりも、「バカでも当たる」距離まで接近して2挺の7.7ミリによる必殺の一掃射を浴びせるのが撃墜王だという事なのですなあ。

■セルジオ越後さんが言う、「GKから始まるカウンターアタック」はとても大切な事で、GKになるのは敵に攻め込まれてやっと凌いだ直後だという事なのですから、逆襲に転じて戦局を替える絶好のチャンスでもあるわけです。これに関しても撃墜王が貴重な話をしています。


集中力が違うし、気合が違う。迎撃戦ではいい加減になってしまう。……進撃戦にはいい加減なやつは連れて行きませんから。AクラスかBクラスのいい子を連れて行く。迎撃戦は早いもの勝ちで上がって行く。統制がとれない、めちゃくちゃに上がって行きますから、だから、チーム・ワークがまったくない。ただ烏合の衆みたいに集まってやるだけで、だから、進撃戦のほうがずっと戦果は上がります。……迎撃戦は身の安全がまず確保されているから。

サッカーで言うなら迎撃戦はディフェンスという事になりますが、これは事前にああだこうだとシミュレーションなどしても無駄なのかも知れません。攻め込まれたら臨機応変に動いて、強引に相手のボールを奪うだけですから、フォーメーションだのチーム・ワークだのは邪魔になるのではないでしょうか?巨大な肉体をぶつけるか、相手に見えないような迅速な動きでボールを奪うしかないでしょう。それでも、相手に動きを「読まれた」らどうにもなりませんなあ。最後に、ドイツ戦の後半であっと言う間に2点を失って同点になった時に思い出した話を引用しておきましょう。


海兵出の階級は上でも、大して力のない連中は、それができない。夢中ですから、ところが、先任搭乗員ともなれば、自分の率いる全搭乗員の働きを見ていますから、基地に帰ってきて、まず皆を先任搭乗員が集める。そして、集計を取る。そのときの指揮官にはウソを言えても、先任搭乗員にはウソが言えない。「なにーっ」と言われると、ブルッと震えて「ウソでした」と。騙せない。

三次元で飛び回る空戦の全容を、先任搭乗員は全部再現出きるのだそうです。囲碁や将棋の「棋譜」と同じなのでしょうが、上下左右全部360度に拡がっている空間で、敵味方合わせて6機の動きを全部視認して記憶することなど出来るのか?と疑いたくなりますが、どうやら訓練で出来るようになるようです。サッカーの日本チームには、この役目をする人が居ないような気がしてなりませんでした。それはチーム編成の問題ですが、間抜けに見えてしまう時の日本代表に欠けている資質を、坂井三郎さんの表現を借りて付け加えますと、


……体験豊かならば、どんなに態勢が不利になろうと何しようと、急速な行動でもって、パーンとロールを打たなきゃいかん。ところが若いパイロットは、ダダダッと撃たれて、動かない。何かが起こっているとは感じているが、俺はいま後ろを見たんだから、いま後ろを見てこうなった瞬間に敵の弾が来るはずがないと……

■人間の思い込みが油断を生むわけですなあ。もしかすると、自分は悪くない!という潜在的な自己弁護の気分が隠れているかも知れません。無責任と油断によって生まれる死角と隙間に攻め込まれたら、敵のボールを好き放題にゴールに蹴り込まれるのは当たり前です。本番の試合が始まっても、また坂井三郎さんの言葉を思い出すような体験をするのでしょうなあセルジオ越後さんが最後の希望を語っていますが、それは中田ヒデ君が「これが最後」と思う執念と、中村俊輔君の出世欲、小野君と高原君の「就職活動」に対する意気込みなのだそうです。確かに、中田ヒデ君は会場に飲食店を開いたり、音楽CDを売り出したりして、商売熱心なようですし、高原君もドイツ戦での「棚ボタ」シュートを大いに利用しているようですから、希望が無いとも言えません。


強い相手と戦うときには、相手の1.5倍走ること。だから、ドイツが今年暑くなることを祈らないと。日本人はけっこう暑さに辛抱強いからね。

現地からのレポートでは、30年に一度の「冷夏」だそうですなあ。

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6月12日の前に 其の参

2006-06-10 13:48:43 | 日記・雑学
■サッカーの細かい技術的な話になっていますが、この一節を読んだ時に、まったく関係ない本の一節を思い出しましたぞ!

……まごまごしている間に、私の左下を真っ黒い、見た事もないずんぐりしたやつがグーッと2機通って行った。「おやっ!」と思ったら、何とソ連製のI-16(ポリカルポフ)がバーッと通った。まあー、心臓が破裂するというか、キンタマが喉につまるというか、カーッと……。それでも、指揮官機も何も全部無視して、闘志満々それにかかっていった。リーダーのあとからついて行けばいいんだから、勝手な行動はやっちゃいかんというのを、闘志満々だから、びっくりしながらも、そこにいるやつにかかって行った。……

これは『零戦の秘術』(講談社+α文庫)に出ている『大空のサムライ』坂井三郎撃墜王が漢口上空で初めての空戦に巻き込まれた場面の体験談です。『零戦の秘術』という本は、加藤寛一郎という東大工学部航空宇宙工学科の教授が、坂井三郎さんの著作を工学的に分析するという、ユニークな内容の本です。戦闘機は3機が一組になっていて、どんなに乱戦になってもこの最小単位を崩さない鉄則を守り通した者が生き残るのだそうです。坂井三郎さんはデヴュー戦で冷静さを失って単機でソ連製のポンコツを撃ち落すのですが、親友の宮崎さんも単機で漢口飛行場に襲い掛かって離陸直前の敵機を撃墜したそうです。さて、この大活躍の2人は基地に帰還してからどうなったかと言いますと……


「坂井、宮崎、前に出ろっ!」往復びんた、えらいことやられて、「貴様たちは、……空戦軍規違反。」それで、まあ殴られて殴られて。それで最後には、「2人残れっ」と言われて、今度は野球のバットで17発食らって、3日間、上向いて寝られなかった。飛行機撃墜したんだから金鵄勲章もらえると思ったら、やっていけないことをみんなやったもんだから、顔は傷だらけ、お尻はもう……。「お前は、今日撃墜されたんだ。生きて帰ったのはみんなのおかげだ」と。……

■サッカーでは骨折ぐらいはしますが、殺される心配はあまり無いようです。戦闘機の空戦となると、一瞬の油断と規則破りが自分だけでなく味方も殺されてしまうのですから、単純に比較は出来ませんが、敵機を照準に捕らえて銃弾を撃ち込むのと、敵陣ゴールにボールを蹴り込むのは良く似ているのではないでしょうか?


戦闘機乗りにとって、もっとも重要なことは「先を読む」ことである。……目標機以外の敵機のうち、自分を襲う可能性のあるものを探す。それらが自分を襲う経路を読む。彼らがやってくる前に射てるか。そして彼らから逃れることができるか。大丈夫ならここで射つ。こういう判断が瞬時にできなければならない。そうでないと墜とされる。……練度が進むと、1機の敵を墜としたら次にどれを追うか、そういうことが見えるようになるという。そしてさらに、自分を襲うであろう敵機の未来位置にまで、気を配ることができるようになるという。碁や将棋でも、素人は3手、専門家は200手ほど先を読む。そういうことと同じである。ただし飛行気乗りの場合には、瞬時に判断できることが絶対の条件である。結局先を読むのは、相手を発見した瞬間に遡る。相手を発見したとき「読み」がはじまる。この瞬間に空中戦が始まっているのである。……