旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の四

2007-01-08 16:23:38 | チベットもの

駅前には列車が出る何時間も前から、乗客が大勢集まって来ます。

■ここで、感動的なナレーションを読み上げている「宮本隆治」アナウンサーの名前が画面の右下に出ます。駅舎の階段に所在無げに坐っているチベット服の人々をカメラは追いますが、どうして11月の寒空に駅舎に入らないのだろう?と視聴者は不思議に思うでしょうなあ。最大の理由は駅舎内の待合室に置かれている椅子の数が圧倒的に不足している事。それから、人と荷物が集まっている場所には泥棒が必ず居るからです。隠れた理由としては、民族融和が実際には成功していないという悲しい事情も有ります。

■駅舎の近くには長距離バスのターミナルが有りまして、本当は許可証が必要なラサ行きの客を、「いろいろな工夫」をして運んでくれる業者が熱心に呼び込みをしていまして、駅舎向って右側にある降車口前では、激しい客の取り合いが演じられていたものですが、撮影時には到着列車が無かった模様です。


青海省や四川省で暮らすチベット族の人達です。

■何だか「珍しい生き物」の撮影に成功したかのような言い方が気になりますが、画面を注意深く観ますと、若い夫婦はチベット服を着ているのに、連れている幼い2人の男の子は、日本のガキンチョと変わらない服装をしています。さっぱりした服に見えますから、一張羅のはずですが、民族服ではない所に注意して頂きたい!それから若い父親は子供を放り出して、右手に持った携帯電話でメールをやっている様子にも御注目!牧民や農民が暮らしている広大な地域のほとんどは、今でも「圏外」なのに、不思議と無理してでも購入するチベット人が増えているようですなあ。


観光だけでなく、巡礼や出稼ぎなど、さまざまな目的を持った人々がこの列車を利用します。

■極当たり前のナレーションです。まさか、窃盗犯罪や密輸などの話は出来ないでしょうし、「出稼ぎ」にしても合法か不法かに関して深入りする訳にも行かないでしょうなあ。画面は社会主義国の名物、薄暗い駅舎内に変わります。高い天井に貧弱な照明、作りっ放しのメンテナンス知らずの設備ですから、化粧直しをしてからまだ4年程なのに、あちこち支障が出ている事でしょうなあ。薄暗い場所ですから、回族が被っている白い帽子が目立ちます。ちらりと画面の隅に映る灰皿付きのゴミ箱は、「禁煙」エリアなのに平気で置かれているものです。うっかり愛煙家がぬか喜びすると大層に怒られますぞ!駅舎内は以前に増して、座席が少なくなっているようです。画面には、公安警察の姿もちらりと映っています。駅舎でも列車内でも、拳銃を携行した警察官が居ますから、利用者は行儀良くして下さい。

■是非とも、駅舎内の最新式「トレイ」にもカメラが入って欲しかったですなあ。何処も同じようなものなのですが、駅のトイレは乗降客の数をまったく考慮しない設計になっていて、殺気だった利用者が喧嘩していることも多いようです。伝統的なチャイナ・トイレにはドアや仕切りの無いので、駅舎が新しいからと言って気楽に入ると仰天する場合が有りますから、ご用心願います。西寧駅の改装工事が終った直後、折角の水洗式なのに排水口が異物で塞がれて、男子トレイ内は大変な惨状になっていましたが……。
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NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の参

2007-01-08 16:23:07 | チベットもの

国や民族が異なる多彩な乗客を乗せ、列車は走ります。
目指すは「チベット仏教の聖地」、ラサ!
開通から間もない、2006年11月、青海チベット鉄道の全容を、外国のテレビ局としては初めて、本格的に撮影しました。
「世界の屋根 2000キロを行く」旅が始まります!

■ここまでが番組の導入部分で、お決まりの「マニ車」を回す乗客の姿がシルエットになって、明るい車窓の風景が絵になっております。このナレーションが終ると同時に音楽が盛り上がりまして、青と橙色の番組タイトルが浮かび上がります。感動的ですなあ。タイトルの後景は、残雪の荒野を走る列車を小高い丘から撮影した列車の勇姿です。特別なダイヤを組んで貰えない限り、撮影隊は4WDに乗り込んで撮影地点に先回りして居なければなりませんから、吹き曝しの寒い場所に陣取って、2日に1本の列車を待っていたのでしょうなあ。実に御苦労様なことであります。それにしましても、どうしてNHKが「世界のテレビ局として初めて」撮影が許可されたのか?受信料を支払っている人達には知る権利が有るように思えるのですが……。

■「チベット仏教の聖地」というのも、ちょっとわざとらしい決まり文句ですなあ。正確を期すならば、「かつての」を冠するべきでしょう。今もポタラ宮殿は巨大な空き家ですし、町の中心部はすっかり観光地化されているので、とても「聖地」とは言えなくなっております。それから、この1時間弱のドキュメンタリーは、決して「青海チベット鉄道の全容」を尽くしているとは言えませんので、念のため。


「青海チベット鉄道」は、青海省の西寧とチベット自治区のラサを結ぶ、全行程1956キロの鉄道です。
旅は、かつてシルクロードの要衝として栄えた青海省の省都・西寧から始まります。

■シルクロードをチベットが抑えたのは8世紀のことで、西寧が本当に繁栄したのはイスラム教徒の回族が住み着いてからことだそうです。今でもイスラム教徒が多い町で、チベット族やモンゴル族などなかなか複雑な人口構成になっているのですが、もう直ぐ、圧倒的に漢族が多い町が完成します。画面には、すっかり綺麗になった駅前通りが映り、この鉄道の開通に合わせて外見を一新した駅舎が見えて来ます。駅前には、スターリン時代に大流行した「社会主義リアリズム」を象徴する労働者の銅像が、今でもしっかりと立っている様子、その隣に新しく建てた馬の群の像もちらりと映ります。

■蛇足ながら、カメラの位置からすると、モニュメント像の陰に隠れている駅前商店の中に、一人っ子政策を支えている性生活を楽しむための製品を取り揃えた店が有ったのですが、今も有るのかなあ?駅前や観光地には、必ずその種の店が有るのも、チャイナの特徴かと存じますが、そういう物を駅前で買った人は、それをどうするのでしょう?手土産として購入するのかしらむ、などと馬鹿馬鹿しい事をふと考えてしまう駅前の風景であります。


西寧は、中国各地の大都市とつながるターミナル駅です。「青海チベット鉄道」の開通により、チベット自治区への新たな玄関口となりました。

■因みに、西寧は人民解放軍の担当区域では、蘭州軍区に含まれておりまして、この鉄道に沿うように蘭州からラサへと伸びる弾丸道路が通っております。全線開通まではもう少し時間が掛かるようですが、完成しますとラサへ大規模な助っ人部隊を満載した陸軍のトラックがすっ飛んで行けるとか……。「中国各地の大都市とつながる」というのは、少々大袈裟な表現です。乗り換えれば何処へでも行けるでしょうが、直接結ばれている大都市は北京と上海ぐらいなものでしょう。成都や銀川への列車も有りますが、本格的なターミナル駅と言うには、まだまだ規模が小さい田舎の駅です。


NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の弐

2007-01-08 16:22:34 | チベットもの

最新型の列車には、乗客を高山病から守るさまざまな工夫が為されています。構想50年、凍った大地を突き進む工事は、困難を極めました。鉄道の開通は、人々の生活と物流に変化をもたらそうとしています。

■前置きとなるナレーションが、さらっと続きますが、ここには重要な事が幾つも含まれているので、さらっと聞き流すわけには参りません。第一に、「高山病」はどんな薬や治療法よりも、一刻も早く低地に患者を移動させない限りは完治しない病気です。地元のチベット人でさえ、用事で低地に長期間滞在して戻って来ると、数日間は「軽い頭痛」に襲われる事が有りますからなあ。昔は徒歩か馬での移動でしたから、急激な気圧の変化というのは無かったようですが、それがバスになり列車になり、飛行機で一気に「世界の屋根」に降り立とうとする人々が増えましたから、多少の犠牲は覚悟しておかねばなりません。画面で何度も紹介される客車内に備え付けられた酸素吸入装置にしても、発病してから慌てて遣うようだと手遅れになる可能性も有るので、ご用心、ご用心。

■次に「構想50年」が問題です。50年前と言えば、1956年に当たりますなあ。ダライ・ラマ法王がインドに亡命する3年前です。「チベット解放」が始まったのは、朝鮮戦争が勃発したのと同じ50年でした。1951年7月には、チベットを「地方政府」とする奇怪な協定書にラサから派遣された代表団が署名しています。代表団が読まされた内容とぜんぜん違う文言が入った文書だったそうですなあ。一説には、脅迫と虐待を含んだ大歓迎を受けたと言われる北京でのお話です。それから1954年に「話せば分かる」と考えたダライ・ラマ法王とパンチェン・ラマ猊下が招待に応じて北京を訪問します。待ち構えていた毛沢東さんは、既に制定された「チベット国旗」の存続を認めたり、人民解放軍が助けてあげよう、などと親切に語ったそうですが、その舌の根も乾かないうちに「宗教は毒薬だ」というマルクス以来伝承されている共産主義のテーゼを、丁寧に説明してくれたのでした。それから、肝腎の政治交渉はほとんど行なわれず、頼みもしない「観光」に連れまわされている間に、法王の国璽が捺された合意文書が作成されてしまったのでした。

■北京からラサに戻る途中、ダライ・ラマ法王は生まれ故郷の青海省を見聞しています。歓迎してくれた地元の人々は、まるで機械のように共産党に対する賛辞と感謝を、異口同音に繰り返すのを耳にして、法王は衝撃を受けています。そして、いよいよ「50年前」の1956年、青海省や四川省で頻発していた暴動の総決算のような巨大な暴動が東カムの広い地域で起こりました。問題の56年の4月22日には、悪名高い「チベット自治区準備委員会」が発足しています。その3年後にラサ暴動が起こり、ダライ・ラマ法王の亡命事件に発展するという歴史的な流れが有りました。ですから、チベット人が「構想50年」と聞けば、どんな感情に襲われるのかは容易に想像できますなあ。

■第三に、「生活と物流を変える」という恐ろしい予言めいたナレーションが有りました。列車がラサに運び込むのは、物品・商品・人間・資金が代表的なものでしょうが、個人的には真新しい列車が「北京語の缶詰」のように見えて仕方がありませんでした。表向きには、「56民族融和政策」が掲げられていますから、少数?民族の言語は保護されている事になっていて、多民族国家の中華人民共和国には「公用語」や「国語」を強制する法律は無いはずなのですが、北京や上海からやって来る成金チャイニーズが我が物顔で乗り込んでいる列車内の公用語は、間違いなく北京語でしょうなあ。


「こんな風景は、世界中でもほかにありませんよ」
「とても綺麗です」

■画面は先々の風景のダイジェストから、列車内の風景に変わりまして、デジタル・カメラを車窓に向けるチャイニーズの観光客の姿、最初の発言はその内の一人が口にしたものです。世界中には数多くの高山地帯が存在しますし、平気でチベットを自国の領土と勘違いしていることも含めて、意地悪い耳には悪しき中華思想が零れ落ちたようにしか思えませんなあ。二番目の短いコメントは、晴れ着をまとったチベット人夫婦の夫のものです。一瞬の発言なので判然とはしませんが、北京語のように聴こえます。通路に出て歌って踊るイタリア人観光ツアーのわざとらしい様子がそれに続きます。
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NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の壱

2007-01-08 16:22:04 | チベットもの
■以前にも取り上げた「青海鉄道」が、いよいよ本格的に稼動したというので、日中友好の老舗?本家本元を自負する皆様のNHKが、「世界で初めて!」と力が入る特集ドキュメント番組を、新年早々の正月2日に放送しました。北京政府が是非とも放送して貰いたい内容と、NHK側が取材したかった内容とが、どのように刷り合わされたのかはまったく不明ですが、少なくとも番組中に流されるナレーションは、北京語で用意された台本を丁寧に日本語に写したような印象が濃厚でしたなあ。

■大金を投じて苦労の末に開通させた高山鉄道ですから、観光という表の目的を存分に宣伝して外貨をどしどし稼ぎ出したいところでしょうから、既に乗客の中に死者が出ているとか、予想外の凍土の融解によって早くもあちこちに狂いが生じている事などのネガティブ情報は一切出て来ませんでしたなあ。環境対策に関する情報が、少々多過ぎるくらいに盛り込まれ、高山病対策の設備についても、「気分が悪くなった乗客」を見つけ出して、これまたたっぷりと時間を取って取材していましたぞ。と言うわけで、このブログ記事もたっぷりと時間を掛けて読んで頂かねばならない物になってしまったのでした。


2006年7月、初めて鉄道が開通しました。
青海チベット鉄道!
列車が行くのは、標高5000メートルを超す、天空の世界です!

■出だしのナレーションが流れる中、レールの間に置かれたテレビ・カメラに向って、列車は画面の中央に小さく現われ、一直線に突進して来てカメラを跨ぐようにして画面いっぱいになって通過して行きます。まあ、定番の映像から始まります。撮影現場というものは、何処でも大変な苦労があるのでしょうが、このドキュメンタリーは青海高原とチベット高原で制作されたのですから、走行する列車を山の上やら線路脇やら、感動的な画面を構成しようとカメラを苦労しながら運んだスタッフの御苦労が偲ばれます。それにしましても、「天空の世界」の決まり文句はどうにかならないものでしょうか?!画面の左下には、「青海チベット鉄道」の文字と、その下には「世界の屋根2000キロを行く」との副題が出ます。あのコースは「世界の屋根」とは無関係ではないか?と疑問も感じますが、チベット高原全体の呼称だと考えれば大した問題ではないでしょう。


車窓には、チベット高原の雄大な風景が次々に姿を現します!
雪煙舞う、万年雪の山々。ここでしか見る事が出来ない、貴重な野生動物。チベットの人が崇める、聖なる湖。
そして、鉄道としては、世界で最も高い場所を駆け抜けます。最高地点5720メートル!

■他の場所で撮影された「雄大な自然」を紹介するドキュメンタリーでは、こんなに高い調子のナレーションは付かないような気がしますなあ。何だか、ツアー会社のパンフレットに載っていそうな文句が、臆面も無く並んでいます。ウソは無いのですが、何分(なにぶん)にも列車の旅なので、ここに羅列されている風景が、必ず見られるというわけではありません。新幹線から見る富士山みたいなもので、本当は「見えたらラッキー!」というお話なのです。1日の中に1年分の天候が現われるとも言われるほど、変わり易い天気が特徴の場所ですから、白い山々がくっきりと見える日は、それほど多くはないはずですなあ。

■従いまして、番組中に詰め込まれた数々の名シーンはスタッフの努力と粘りの賜物でしょう。「昨年11月」に撮影したとナレーションが流れますから、2日に1本の単線列車の中と外、そしてパンフレットに紹介されている「名所」の映像をカメラに収めるのに、一体、何回乗ったのでしょう?撮影期間内にとらえられなかった映像は、別の手段で入手して編集でつないだ可能性も無いわけではありませんが、神々の恩寵(おんちょう)で冬の晴れ間に全ての被写体が、ほぼ予定通りに手に入ったのかも知れません。まあ、北京からは直行便は毎日走っているようですし、成都や重慶からの便も有るそうですから、それらを上手に利用したのかも知れませんなあ。


仏も泣くチャイナの公害 其の弐

2007-01-08 16:19:13 | 健康
■海通禅師は、遠くアフガニスタンのバーミアンに巨大な石窟大仏が存在している事を知り、更に、大規模な治水工事も同時に進める計画を構想したのだそうです。大仏と石窟寺院を作る時に掘り出される膨大な石材を、仏の足元を流れている長江の難所に投げ込み、仏教信仰という聖なる仕事と世俗の治水工事とを一挙に完成させるという大計画だったのです。日本の行基菩薩など、奈良時代の僧達は社会福祉に深く関わって土木・医療・福祉に関する確かな知識と技術を持っていたいそうですが、それはチャイナで発達した仏教の特徴のようです。

……複数の地元の研究者の話では、高さ71メートルの全身のあちこちに亀裂が走り、くぼみや穴が多く見られ、30年前と比べて体が小さくなった。地元の成都理工大学と日本の山県大学理学部の柳澤文孝教授(環境化学)らの研究チームは98年から、省都・成都付近の大気汚染や酸性雨の調査を続けて来た。……大仏を形づくる砂岩には炭酸カルシウムの量が多いうえ鉄分も含まれる。酸性雨にあたると化学反応を起こしてカルシウムが溶け、強度が落ちて剥落しやすくなる。剥落箇所に粉塵などの汚れが付着。さらに鉄分も溶け出し、汚れが付着して黒ずんだらしい。

■朝日新聞が紹介している「大仏の涙」の正体に関する分析です。大仏が溶けて痩せているのですなあ。


四川省は、石炭を利用する発電所や工場が多いことなどから全国でも酸性雨が多い地域とされる。ここ数年、中国では酸性雨は改善したと言われるが、柳澤助教授は「建設ラッシュによって舞い上がる粉塵の中に含まれたカルシウムを通じて中和され、見かけ上は良くなっているが、大気汚染はひどくなっている」とみる。「酸性の霧の中に大仏がうかんでいるようなもの」という。

■文末は何とも恐ろしい表現になっています。巨大な石仏を溶かすほどの酸性雨と霧が漂っているのですから、生命や植物に及ぼす影響は明らかでしょう。『三国志』の時代から穀倉地帯と言われて来た蜀の巨大な盆地が、酸性霧の容器になっているとしたら、土壌の酸性化が進んで食糧生産も落ちて行くでしょうし、住民の中に呼吸器系の病気も増えて行くでしょうなあ。「環境」「医療」という名目が出て来ると、経済発展と軍事費増加によって廃止が決定している対中国ODAが復活する可能性が高まります。日本列島の酸性雨は実質的には根絶されているそうですから、環境対策の技術は世界一なのでしょう。そうした宝の山を、無料で手供するような愚かな事はせずに、軍事費を削ってでも「適正な価格」で買わせるように、しっかりと準備しておくべきでしょうなあ。まさか、「宗教は阿片だ!」と叫びながら国内の宗教勢力を弾圧し、チベットに雪崩れ込み、恐ろしい事を繰り返した北京政府が、「仏教遺産」を守るために援助を要請して来るのを受け入れるのではないでしょうな?!

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仏も泣くチャイナの公害 其の壱

2007-01-08 16:18:41 | 健康
■12月15日の朝日新聞に「楽山大仏」の写真が掲載されました。チャイナの有名な大仏様です。世界遺産にも登録されているので、多くの人がその四角い御尊顔を拝していることでしょう。今回の写真は決して観光名所の紹介を目的とするものではありません。記事のタイトルは「酸性雨のしわざ?楽山大仏黒い涙」というのですから、何ともやり切れない悲しい話が記事になっていました。

■カトリック信仰を持つラテン系の国々には、涙を流すマリア像やら血を流すイエス像などがあちこちに有るのは有名な話ですが、いよいよ仏様も涙を流す「末法の世」なのかなあ、と考えたくなるお話です。この大仏様は四川省の楽山市に有りまして、大雪山脈から流れ下る長江の源流に近く、成都から重慶に向って南に大きく湾曲して流れる川岸の崖から掘り出されている坐像であります。四川省は霧の名所で、偶に快晴になると犬も驚くそうで、「蜀犬、日に吠えゆ」と言われているほどです。これは「白髪三千丈」と同じで一寸(ちょっと)大袈裟な表現で、愚か者が賢者の言う事をぜんぜん理解しないという喩えとして使われる慣用句となって、人口に膾炙(かいしゃ)しております。

■この名物の霧が経済成長の時代には恐るべき破壊力を持つ凶器になっているのですなあ。米国映画にも『フォッグ』などという気味の悪いオカルト映画が有りましたが、あれは恨みを残して死んだ人々の怨霊が霧となって小さな港町を襲うという荒唐無稽のお話でしたが、現実に四川省を苦しめている霧は怨霊ではなく、豊かになりたいという巨大な「欲望」の塊と言うべきもののようです。日本でも、明治時代の足尾鉱毒事件に始まって1960年代の海洋と大気の大規模な公害汚染を経験しているのですから、決して他人事ではないのですが、歴史と風土と人心がまったく日本とは異なるチャイナで発生している公害は、我々の想像を超えているようです。

■本来なら、支店ブログの『五劫の切れ端』に書くべき事なのですが、「大仏」と呼ばれる巨大な仏像は一種類ではありません。この楽山の高さ71メートルもある仏様は、弥勒菩薩だそうです。日本では広隆寺さんのたおやかなお姿でお坐りの弥勒坐像が有名ですが、断崖絶壁を浮き彫りにした楽山大仏は、ちょっといかついお姿になっております。釈尊が入滅してから56億7000万年後にこの世に生まれて衆生を救って下さるという有り難い仏様です。どうせその頃には仏教の内容はめちゃくちゃになって、人間もろくな者は残っていないだろうと、2000年余り前の仏教徒が心配した結果でしょうが、弥勒菩薩が御降臨になるまでは、まだまだ随分と時間が掛かるようです。お経によりますと、兜率天(とそつてん)でその時をお待ちになっているのだそうです。

■まだ56億6999万7500年ほども待機して居なければならないので、きっと、あれこれと深くお考えなのでありましょう。大体は右足を左足の上に乗せる楽な姿勢で、上品に頬杖をついてお坐りになった姿で表現されている仏様です。でも、楽山の大仏様は砂岩質の崖に彫られているので、そんな微妙なバランスでお姿を表現したら畏れ多いことにぼろぼろと崩れてしまいますから、背筋を伸ばして両足もきちんと揃えて、どっしりとお坐りになっております。それに、少女の姿を写したかのような手足や首が細い、多くの弥勒思惟坐像とも違いまして、柔道か相撲でもやっているような太い頸をお持ちの仏様でありあます。

■記録に依りますと、この大仏は西暦713年に着工されたのだそうです。唐の時代が一時中断して「周」という国名を用いた則天武后の時代が終りまして、楊貴妃で有名な玄宗皇帝が「開元の治」を始めたのが712年ですから、その翌年にこの大事業が始まったことになります。海通禅師という大変な行動力を持った1人の僧侶がこの大工事を思い立ち、延べ1億人とも言われる人員を集めて見事に完成させたのだそうです。とは言っても、13層の楼閣を背負う構造になっているこの大工事が完了したのは90年後だったそうですから、海通禅師は未完性の大仏しか見てないことになります。

フセイン処刑 其の弐

2007-01-08 16:17:43 | 外交・世界情勢全般
■イスラム暦は、ムハンマドがメディナを攻略した622年の聖遷(ヘジュラ)を紀元として、1年を354日とした陰暦ですから、カレンダーに定められている宗教行事は、現行の太陰暦とは日付が一致しません。

1月=ムハツラムの30日間  2月=サファルの29日間
3月=ラビー・ウル・アッワールの30日
4月=ラビー・ウッ・サーニーの29日
5月=ジュマーダ・ル・アッワールの30日
6月=ジュマーダ・ウッ・サーニーの29日
7月=ラジャブの30日  8月=ジャアバーンの29日
9月=ラマダン(断食)の30日  10月=シャッワールの29日
11月=ズ・ル・カアダ  12月=ズ・ル・ヒッジャの29日

■12月=ズ・ル・ヒッジャ月の7日から10日が、メッカの大巡礼が行なわれる期間なのだそうです。カーバ神殿の中庭を反時計回りに蠢く大群衆の姿はテレビでも放映されますが、この時期のメッカでは爪も髪も切るのは厳禁、清浄に保った体を縫い目の無い白い布で包んで『コーラン』の章句を唱えながら7回巡り、隕石じゃないか?と噂される神殿に埋め込まれている黒石に接吻します。この群衆の渦の中にサダム・フセイン元大統領が入った事も有りましたなあ。

■カーバ神殿での礼拝が終ると、サファー丘とマルワ丘の間を駆け足で3往復しなければなりません。今年は200万人が集まっているのですから、丘の斜面で誰かさんが転んだら大変な事が起こるのは誰にでも分かる話です。それでも走らねばならないのだそうです。それが終ったら、今度はアラファトの丘に登って髪を剃る儀式が有り、それからミナー谷という所に建っている「悪魔」に見立てられた石塔が3基有るそうで、これにきっちり7箇ずつの石を投げて御祓いとします。そして、三日間の巡礼の最終日が「イード・ウッ・ゾハー」と呼ばれる犠牲祭になっているそうです。これが先の朝日新聞が言及していた行事です。

■この聖餐(せいさん)の日が、サダム・フセインの死刑執行日になってしまいました。少なくともイラクのスンナ派の人々は、次の「犠牲祭」には必ず米国に刃向かった元大統領を英雄・殉教者として偲ぶのでしょう。その時、まだ米国の大統領はブッシュ息子さんですぞ。仮に、大規模な撤退が進んでいたとしたら、米国本土でのテロが心配されますなあ。サダム・フセインの死刑執行は撮影されていたそうで、直前と執行後の遺体だけでなく、一部始終がネット上で公開されているそうですから、その趣味の有る人達は大喜びかも知れませんが、報道によりますと、フセイン死刑囚は『コーラン』を手に持って、叫んだそうですなあ。


「神は偉大なり。国家は勝利に満ち、パレスチナはアラブのものだ!」

■カーバ神殿への巡礼は、開祖のムハンマドが自ら決めた宗教行事で、元々は同じ神を崇拝する者として仲良くしていたユダヤ教徒と決別した事を示す目的でそうしたのだそうです。カーバ神殿は昔から土着の多神教信仰の聖地とされていて、神々の像が祀られていたとのことです。多神教と偶像を否定するイスラムの教えに従ってカーバ神殿は空っぽの建物にされて現在に至っています。つまり、反ユダヤ感情に火を点けるのには最適の施設となる可能性が高いということです。サダム・フセインが死の直前に「パレスチナ」の地名を叫んだというのですから、カーバ神殿を巡りながら反イスラエルと反米の感情が燃え上がるようになると、非常にややこしいことになりそうですなあ。

■今のイラクを統治していることになっているマリキ首相は、処刑後に「独裁への回帰の道は絶たれた」「暗い歴史に終止符を打ち、イラク建設に前進しよう」と声明を出したそうですが、わざわざ「犠牲祭」の日に死刑執行を決定したのが29日深夜の緊急閣議だったそうですから、憎悪の対象が米国から急速に現政権に向うことになるでしょう。本当に「独裁への回帰」は有り得ないのでしょうか?フセイン時代は本当に「暗い歴史」だったのでしょうか?ブッシュ大統領は、今回の死刑執行について「……イラク国民が法による支配に基づく社会をつくろうという意思がなければ不可能だった」というコメントを出したそうですが、イスラムには立派な法体系は有りますし、米国とは流儀は違っても社会を安定させる技術も存在しているのですから、米軍の力を背景にした「裁判」と「刑の執行」とが、果たして、イスラム信仰とどれほどの摩擦を起すやら……。

■年明けにこんな事を書いて置いたら、フセインの遺体を取り合う小競り合いが起こり、ヨルダンに亡命中の娘は父親の遺体も亡命させようとしたり、身内のスンナ派は出身地のティクリートに埋葬して聖地にしたいと言い、イラク政府はバグダッド市内に埋葬して管理したいと主張。結局はアウジャという名のティクリート近郊の故郷に埋葬されたそうですなあ。死刑執行を隠し撮りした者が居たとて、それをネット上に公開したものですから、もうダメでしょうなあ。
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フセイン処刑 其の壱

2007-01-08 16:17:03 | 外交・世界情勢全般
■キリスト教国はクリスマスから新年に向う一年で最も心安らかに、たとえ形式的であっても世界の平和を祈る時期に、サダム・フセインが死刑判決に対する上告を棄却されて、たった4日しか経っていない12月30日に絞首刑が執行されました。

■奇妙な偶然なのですが、サダム・フセイン元大統領に対してイラク高等法廷が控訴を棄却して死刑が確定した12月26日に、米国ではフォード元大統領が死去しましたなあ。ウォーターゲート事件で辞任したニクソン大統領の副大統領だったフォードさんは第38代米国大統領に就任したのでした。戦後初めて日本を公式訪問した米国大統領でしたし、何よりも泥沼化していたヴェトナムから1975年に「完全撤退」という大変な仕事をやった人でした。毎日毎日、イラクから流れて来る血生臭いニュースは、否応もなく米国の人々に忌まわしいヴェトナムを思い出す効果を上げている中で、フォード大統領が93歳で大往生を遂げる。何だか出来過ぎたドラマのような印象が強いですなあ。

■年も押し迫った時期に、大きく世界が動き出しているというのに、フセイン死刑確定とフォード氏死去の記事よりも、何処の新聞も一面でデカデカと報道したのは、衆議院群馬1区選出の佐田行政改革担当大臣の「辞任」だったようです。何とも寒々とした日本の政治状況を生々しく見る思いであります。12月29日の朝日新聞が、ワシントン・ポストの記事を紹介していました。2004年7月に、ウォーターゲート事件で名を上げたボブ・ウッドワード記者のインタヴューに答えた内容が、死後の公表を本人が認めていたとの事で、追悼記事に一つとして掲載したのだそうです。


……元大統領はインタビューの中で「ラムズフェルド(国防長官=当時)とチェイニー(副大統領)、それから(ブッシュ大統領)は、イラク戦争を正当化するうえで大きな過ちを犯した。……」自分が大統領なら「制裁など、別の答えを探すことに最大の努力を傾けただろう」と強調した。フォード政権で、ラムズフェルド氏は首席補佐官から国防長官に転じ、後任の首席補佐官がチェイニー氏だった。……チェイニー氏は「第一級の補佐官だったが、ずっと好戦的になってしまった」。ラムズフェルド氏については「私は自分で決定を下し、彼の助言を受け入れなかったので、恨んでいただろう」などと振り返ったという。12月

■30年前に政権中枢に入った二人が、二代目大統領のイラク攻撃を推し進めて行く様子を、フォード元大統領がどんな思いで見ていたのでしょう?


イスラム教の聖地、サウジアラビアのメッカで、大祭ハッジ(巡礼)が最高潮を迎えている。世界各地から約200万人のイスラム教徒が巡礼。さらに30日には巡礼に参加しなかったイスラム教徒が各地で羊などを神にささげて会食する「犠牲祭」を迎えるため、あちことの街角で犠牲の羊や牛がつながれている。……交通機関の発達で年々巡礼者が増えているため事故も相次いでおり、今年1月のハッジでは364人が、昨年は251人が押し合って倒れ、圧死した。
2006年12月30日 朝日新聞