午後5時、間も無く、チベット自治区に入って最初の停車駅、アムドに到着します。列車は、降りる乗客が居る車輌の扉しか開きません。青海省から来た、回族の少年です。
「アムドへ何しに行くの?」
「商売を」
「どんな商売?」
「くず鉄の回収」
「歳は幾つだ?」
「16歳」
「学校はどうしたの?」
「1年で辞めた」
鉄道の開通により、チベットに出稼ぎに来る若者も増えつつあります。
■ここに出て来る町の「アムド」は、青海省の旧称「アムド」とは無関係ですから、念のため。この怪しげな少年が、本当に16歳なのかどうかは分かりません。商売の内容も本当かどうか分かりません。表情と服装から、後ろ暗い事をしている雰囲気が漂っております。彼が扱っているのは鉄なのかも知れませんが、それが正規の「屑鉄」なのか、他人が所有している鉄製品なのかも分かりませんし、「回収」なのか盗んで密売するのかも、まったく分かりません。切符を確認して見送る車掌は、学校の事や年齢を問いながら、冷笑的な表情を浮かべています。貧困と教育と犯罪は、現代の大問題なのは確かです。
駅から5キロほど離れた場所にあるアムドの町です。人口は周辺を合わせておよそ3万。そのほとんどが、チベット族の遊牧民です。町では民族衣装を身に纏った人々を、数多く見かけます。アムドの主な産業は牧畜です。帽子は、羊や狼の毛で作られた自家製です。
■画面には綺麗に着飾ったチベットの娘さんの姿が出て来ます。でも、あの帽子は狐の毛皮じゃないのかなあ?と怪訝な思いに駆られましたぞ。狼の毛も使うかも知れませんが、最高級品は狐のはずですぞ。それに、何度も愛用している「自家製」という表現も、服屋さんや帽子屋さんが居るのですから、使い方に無理が有りますぞ。牧民だからと言っても、何でもかんでも「自家製」というわけではありません。どんな草原にも商業取引をする市場は必ず存在しますし、専門の職人や商人が大活躍していますぞ。
町を一歩離れると、広大な牧草地が広がっています。遊牧民の多くは鉄道の建設時に資材の運搬をしたり、開通後は家畜が線路に入らないように監視したりして、牧畜以外にも仕事を得ました。定期収入の有る鉄道に就職を希望する遊牧民も現われています。
■定期的に現金収入を得られるのを喜ぶような社会を持ち込んだのは誰でしょう?鉄道の開通に伴って新しい仕事と雇用が生まれたのは確かですが、強引な土地の収用や放牧地の破壊など、陰の部分も有ることは忘れては行けませんなあ。
アムドを出た列車は、チベット高原を南へと駆け抜けます。
突然、車内がざわめき始めました。行く手に大きな湖が見えて来ました。「青海チベット鉄道」の名所の1つ、「ツォナ湖」です。列車は、「ツォナ湖」の岸に沿って走ります。「ツォナ湖」は、地元のチベットの人達に、聖なる湖として崇められています。面積は400平方キロメートル、琵琶湖の3分の2ほどの大きさの有る淡水湖です。
■大概の湖には、それぞれの神話や伝説が付き物で、聖なる湖とされる場所もたくさん有ります。たまたま、アムドからナクチュに向う途中に沿岸をかすめることになっただけの湖を、取り立てて「名所」にしなくても良さそうなものですが……。少し南に行けば、「ナム・ツォ」という琵琶湖の3倍もある巨大な湖が有りますが、そこはコースから外れてしまう上に、5100メートル以上の峠を越えねばならない場所ですからなあ。まあ、列車の中から高地の湖を見物できるのですから、何処でも良いのでしょう。風景はとても綺麗です。
「初めて見ますか?」
「初めてです。とても綺麗です」
「あなたも初めてですか?」
「初めてです。とても美しいです」
■開通したばかりなのですから、こういう質問は時間の無駄でしょうなあ。こういうインタビューが多過ぎるようです。
湖と線路の間は、短いところでは20メートルしか離れていません。車窓の景色は、まるで舟からの眺めのようです。
「聖なる湖」ならば、もう少し距離を取って欲しいものです。苦労して巡礼に来た人は湖の周りを五体投地したり礼拝したりしながら歩くでしょうから、目の前を列車が轟然と通過したら宗教的な雰囲気が台無しですぞ。
列車は、「ツォナ湖」を20分かけて通過します。次の停車駅ナクチュに近付くに連れ、放牧された家畜の数が増えて来ました。標高4000メートルのなだらかなチベット高原が広がります。
■チベット高原ばかりでなく、青蔵高原にも、四川省にも美しい草原がたくさん有ります。でも、「青海チベット鉄道」の路線では、この辺りでしか草原は見られないのでしょう。逆にラサからの列車なら、青海湖周辺の草原が見られるでしょうなあ。