旅限無(りょげむ)

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福井さんの福袋 其の壱

2007-01-20 15:23:25 | マスメディア
■1月18日のラジオ・ニュースを聴いていましたら、「日銀は利上げを見送りました」と耳を疑うような話に、一瞬頭の中が真っ白になってしまいました。素人ながらも、まだ利上げには踏み切れないだろうなあ、と特に明確な解釈も付けられないまでも、新聞や雑誌を拾い読みしながら確信に近いものを感じていたのに、1月17日の朝日新聞一面を見て自分の無知を大いに恥じ入って反省すること頻(しり)りであったのでした。米国の市場では、「日本の利上げは無い」との空気が満ちているという報道がちらほらと伝えられていましたからなあ。

「日銀、利上げへ」
政府に容認論広がる
0.5%に延期請求行使せず

横一段に白抜き大見出しと、縦組みの小見出しが自信たっぷりに印刷されていたのが1月17日の朝日新聞紙面です。2面の『時時刻刻』という特集でも、日銀と政府の動きを詳細に?追跡して解説が掲載されていたので、やはりプロの取材は素人には分からない「深部」に及んでいるのだなあ、と感心した読者は多かったのではないでしょうか?


日本銀行が17、18日の両日の金融政策決定会合で、昨年7月のゼロ金利解除後初の利上げを決めることが確実になった。金融政策を決める9人の政策委員(正副総裁3人と審議委員6人)は「息の長い景気拡大が続く」との判断でおおむね一致しており、福井俊彦総裁が利上げを提案すれば賛成多数で可決される。……

■このような断言口調でリードに書かれているのですから、政策委員と福井総裁から何らかの有力な話を聞いていたと、読者は考えてしまいます。米国のアナリストが何を言おうと、自民党の中川幹事長がどんな嫌みや脅しを口にしようと、日銀には日銀独自の判断と決断力が有るんだ!という立派な話になっていると、誰でも思ってしまいます。素直に記事を読めば、「福井俊彦総裁が利上げを提案」する腹を決めているような印象を受けるのは避けられませんぞ!こうした流れの源は、どうやら12日に開かれた日銀の支店長会議での発言であるらしいのですが、「いざなぎ越え」だの「堅調な景気回復」だのと折に触れて日銀は言い続けて来たのを裏打ちするような報告や分析結果が並べられたそうです。

■でも、利上げの追い風になる話のほとんどは、細々とした指標や数値からの推理だったようですから、同じデータでも解釈する人が変わればまったく逆の結論を導くのも可能でしょう。この記事が書かれた17日段階でも、注意深く読めばあちこちに「不透明」という便利な単語が挟み込まれているのです。つまり、数種類の指標の中には景気回復を疑問視せざるを得ない意味を持つ数値が含まれていたのです。誰もが異論を挟めない「客観的事実」として支店長さん達が異口同音に指摘したのが、「全国各地で『福袋』が飛ぶように売れている」という現象だったとの報道が有りました!それが消費者マインドが変わった証拠だと皆が言い出して、そうだ、そうだと安易に追従する意見が続出すれば、誰も別の解釈を出せなくなる程度の会議なのかも知れませんなあ。

教育基本法改正の年 其の壱拾参

2007-01-20 15:21:35 | 教育
■第6条は「学校教育」です。
第6条第1項
法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。


■この条文は、「……は、これを」という時代がかった表現もそのままに、「…地方公共団体の外、法律に定める法人…」の部分を「及び」にしただけで、ほぼ旧法の丸写しになっております。第5条の第2項では神経質に書き換えたのに、不思議に放置されているのは、きっと次の条項の方が手直しすべき多くの問題を抱えていると、誰かさんが判断したからではないでしょうか?政府や地方公共団体が認めない学校は学校ではない!という規定ですから、塾・寺子屋の類は学校ではないのです。時代が荒廃する時には、社会や世界を変革しようとする若者が現われるもので、そういうエネルギーを収束して圧縮し、イデオロギーや宗教的な情熱で加熱して点火する組織も誕生します。戦前の日本にも、今のイスラム社会にも、あるいは民主的な欧米諸国でも同種の教育機関は存在しています。

■戦後の日本では学校が民主化の拠点となったので、昨日までは皇軍の兵士と銃後の守りを要請していた先生方が、翌日からは米国万歳を教えるようになりまして、そこには米国が戦時体制下で作り過ぎた食糧が運び込まれてパンと脱脂粉乳の「給食」という餌まで用意されたので、子供たちは大喜びで学校に集まったそうですなあ。それにしましても、教育行政が行き詰る度に、まるで何処かの独裁者と同じように「共通の敵」を外に作り出そうとするのはお役所の常套手段で、団塊の世代が残した全国津々浦々の塾が標的にされますなあ。

■そう思っていたら、やはり出て来ましたぞ。「塾禁止」の御意見が!


政府の教育再生会議の野依良治座長(ノーベル化学賞授賞者)が8日に開かれた「規範意識・家族・地域教育再生分科会」(第2分科会)で、「塾の禁止」を繰り返し提唱……しかし、21日にまとめた第1次報告の原案には「塾の禁止」は盛り込まれていない。……野依氏は「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだ。公教育を再生させる代わりに塾禁止とする」と再三にわたって強調。……
06年12月25日 朝日新聞

■既に、年が明けて1月18日の段階で教育再生会議から「教育再生のための当面の取り組み」が提出されています。その中には野依さんが頑張っていた分科会からの提案がぞろぞろと並んでいるようですが、「塾禁止」の文字は見当たりません。どんな議論が有ったのかを確認しておきましょう。


野依氏は「昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」と訴えた。JR東海の葛西敬之氏は「日本の数学のレベルは学校ではなくて、塾によって維持されている、という面もある」と反論したものの、事務局側は「公教育が再生されれば、自然と塾は競争力を失っていく。結果的になくなる」と同調。国際教養大学長の中嶋嶺雄氏も「野依座長のおっしゃったように塾禁止ぐらいの大きな提言をやらないと」と野依氏に賛同するなどひとしきりの盛り上がりを見せた。
06年12月25日 朝日新聞

■小さな記事でしたが、再生会議という場所の雰囲気が良く分かる話だと思いましたなあ。野依さんが言う「塾の商業政策」というのが意味不明なのですが、もしかしたら「商業主義」と言いたかったのかも知れません。ノーベル賞受賞者でも年齢には勝てませんし、一般の高齢者と同じで、「自分が分かった頃」の経験が肥大化して美化されてしまうのは仕方が無いのでしょうなあ。「事務局側」と呼ばれているのは文科省のお役人なのでしょうが、塾業界は文科省の管轄ではありません。教育は国家が独占的に仕切るんだ!という明治政府以来の伝統を墨守している関係上、塾を教育産業とは絶対に認めないのです。困った業界は当時の通産省に泣きついて「サービス産業」として認知を受けるような騒ぎが有りましたなあ。埼玉県から噴出した「業者テスト追放令」の大騒ぎの頃でした。鳩山弟議員が文部大臣をしていた時の話です。

■この事務局側が「塾の淘汰消滅」を能天気に予言している気持ちは良く分かります。でも、自分の管轄下で起こりつつある無駄な大学の淘汰についてはどう考えているのでしょう?中嶋先生も無関係ではない某大学で発覚している研究費の不正受給よりも、遥かに巨額の予算が動く大学への補助金についても早急に再検討が必要なのに、「諸悪の根源は塾」というステレオ・タイプの議論が老人の茶飲み話レベルで取り沙汰されるのは如何な物でしょう?中嶋先生がおっしゃる「大きな提言」が必要ならば、日本中の子供たちから睡眠時間と視力と皮膚感覚を猛烈な勢いで奪っているゲーム産業に対して強権を発動した方が、世間をあっと言わせる効果は有るでしょう。暇な生徒がたむろして、地べたに坐ってカップ麺をすすっているコンビニ店を学校周辺から一掃するのも結構でしょうし、全国の書店から有害図書?を追放するのも面白い反響が出るでしょうなあ。

■テレビ業界に対する検閲制度も有効でしょうし、午後10時以降のテレビ放送を禁止してしまうのも効果は有りそうですなあ。そんな冗談めいた話よりも、野依さんが「我々は塾に行かずにやって来た」と啖呵を切っている事に関して、この教育再生会議のメンバーを指名した安倍総理自身が、塾よりも割高になるはずの「家庭教師」に指導を受けていたという事実をどう考えているのでしょう?良心的な料金で補習や受験指導に努力している塾業界は禁止の対象で、金持ち相手に大学ブランドを利用して馬鹿高い料金を請求する家庭教師は野放し?大昔の貴族みたいにお抱え教師を雇ったり、書生を住まわせて子供の勉強を見させるのは野放しなのでしょうか?
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