旅限無(りょげむ)

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NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の弐拾伍

2007-01-13 14:39:40 | チベットもの

3姉妹の一家が、念願の巡礼にやって来ました。仏への帰依を表わす五体投地を繰り返します。チベット仏教を信仰している人々にとって、ラサは一生に一度は訪れたい聖地です。

■そうでしょうか?少しずつではありますが、「今の」ラサには行きたくない!と言うチベット人も増えているような気がします。ディズニーランドのシンデレラ城みたいな空虚感に満ちたポタラ宮になったら、見物に来るのは外国人や漢族の成金だけになるかも知れませんなあ。


「70歳で初めてポタラ宮を見る事ができました」
「ポタラ宮はどんな場所ですか?」
「言葉では言い表わせません」

チベット人の爺さまの目は、「お前はアホか?」と言っているように見えました。「天安門はどんな場所ですか?」と問われたら、二昔前の「人民」ならば「偉大なる毛沢東主席の革命闘争が……」と小学校から叩き込まれた演説をしたのでしょうが、今は複雑な表情で口ごもる人も増えているのではないでしょうか?チベット人にとってのポタラ宮に対する心情を言葉にしたら、大変な事になるのを覚悟して、このインタビューは行なわれたのでしょうか?少なくとも、「言い表わせない」内容には明るく楽しい話は含まれていません。


ポタラ宮をイメージして造られたラサ駅です。このほど開通した「青海チベット鉄道」、そこには様々な人々の思いと、雄大な自然が息づいていました。

■「様々な人々」というのも意味深ですし、「様々な思い」となるともっと意味深長ですなあ。本当にその通りです。でも、「息づいて」いるのか、息を潜めているのかは判断できないでしょう。妙に広々と区画整理が行き届いているポタラ宮の前に広がる空間は、以前はそこに雑然と集まっていた住民の生活を消し去った跡ですし、最新の技術で開通させ運行され始めた鉄道も、ラサの過去を消し去る機能を発揮して行くことでありましょう。


朝9時半、列車は西寧に向け、ラサを出発します。

■ラサ駅で大量に吐き出した漢族と入れ代わりに、ラサを捨てて出て行くチベット人を乗せて行くような時代にならない事を祈りましょうか。大変な苦労をして撮影したスタッフの皆様には、貴重な映像記録を拝見できた事を感謝します。御苦労様でした。(決して皮肉ではありませんぞ)

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NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の弐拾四

2007-01-13 14:39:04 | チベットもの

ラサの町明かりが見えて来ました。午後10時50分。定刻より20分遅れて列車はラサ駅に到着しました。チベット語と中国語で表示された「歓迎」の文字が、列車を出迎えます。

■「定刻より20分遅れ」が、想定内なのか不測の事態なのか、番組はその事実しか述べていません。でも、距離から考えてあの国では許容範囲に十分入るものでしょう。チベット語と北京語の併記は良いことですが、広いチベット人地域に数多く見られる併記看板の中には、チベット語だけが誤記!という物がたくさんあるのは困ります。でも、さすがにラサ駅の表示には誤記は無いようですなあ。


ほとんどの乗客が初めて降り立つラサ駅です。巡礼にやって来たチベット族の一家、この町で新たなチャンスに賭ける経営者達、27時
間の旅を終えた乗客達は、それぞれのラサを求めて駅を後にします。

■「それぞれのラサ」というのは、詩の一節ようなロマンティックな響きが有りますなあ。しかし、聞きようによっては、「本当のラサ」が消滅しているしまったことを表現しているようにも解釈可能ですぞ!


ラサの象徴、ポタラ宮です。
2004年からライト・アップが始まり、ラサの夜を彩っています。

一体、誰がライト・アップなんぞを希望したのでしょう?北京の故宮を参考にしたのでしょうか?どちらも住人が追い出された、という点は共通していますが……。チベット仏教のお寺には、やっぱり、臭いの強いバター灯明のゆらめきが似合いますぞ。市街を見下ろす位置に建つ周囲の寺院からは、ライト・アップされたポタラ宮はどんな風に見えるのでしょう?


ラサは標高3600メートルに位置する、人口およそ40万の古都です。ラサでは、11月になると観光客が減り、替わりに巡礼者が多くなります。収穫を終えたチベット族の農民や、遊牧民達が中国各地から集まります。

■画面には、「サン」と呼ばれる香木の葉や麦焦がし(ツァンパ)を専用の供養台で燃やす巡礼者の姿が映っていましたが、ナレーションでは何も語られません。


ラサ一番の繁華街に、浙江省の経営者達の姿が有りました。商品の売れ筋や値段など、市場調査を行ないます。
「ラサには鉱物資源以外にも、羊や牛の皮など産物が豊富にあります。今後は、加工産業にもチャンスが有りそうです。ラサの人口は40万、ビジネスの可能性は大きいです」

■「ラサ一番の繁華街」というのは、ポタラ宮を一周する「バルコル」通りの事でしょうか?浙江省のビジネス・マンが手にしている商品はチベット人の民族衣装でしたが、現地人の商売を奪う計画なのでしょうか?もしも、彼らが計画している大型のショッピング・モールが、巡礼路になっているバルコルの露天をごっそりと排除して建設されるのなら、大変な事が起こるでしょうなあ。チベットの豊かな産物に関して、別に浙江省のビジネス・マンに褒めて欲しくはないぞ!という声が聞こえて来そうなインタビューであります。加工産業を近代化・合理化して職人を駆逐し、分業化して安価な労働力を集めて単純作業や流れ作業にしてしまうのではないでしょうな?!

■当然のように、そして、まるで自分の財産のようにチベットの「羊や牛の皮」に言及していましたが、大量生産を仕掛けたら、あっと言う間に過放牧となって草原が砂漠化しますぞ!食いしん坊のチャイニーズを満腹させるためにチベット高原を肉の供給地にでもされたら、数千年来の牧畜文化は簡単に崩壊するでしょうなあ。それとも、草原を守るために恐ろしい肉骨粉でも輸入して使うのでしょうか?聞き流してしまうと、希望に溢れる未来を語っているような場面ですが、そんなに単純なものではないでしょうなあ。


市街の中心部に聳えるポタラ宮です。チベット仏教の法王、ダライ・ラマが代々暮らした宮殿です。

■「暴動」や「亡命」という単語は厳禁でしょうから、ポタラ宮の歴史を語るわけには行きません。「暮らした」と過去形を使うのが精一杯なのでしょうなあ。事情を知らない人が聞いたら、ダライ・ラマ自体が消えて無くなってしまったように勘違いする心配も有りますぞ。ダライ・ラマ14世猊下は、この番組を撮影し終った後、昨年12月に日本を訪問して宗教者会議に参加したり、大盛況の法話会を開いたりして元気なご様子でしたぞ。


NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の弐拾参

2007-01-13 14:38:23 | チベットもの

開店準備中のスーパー・マーケットが有りました。経営者は浙江省出身です。鉄道の開通による輸送費の削減と利用者の拡大を見越したのです。町は、今、「青海チベット鉄道」によって大きく変貌しようとしてます。

■「大きく変貌」しているのは確かですが、それがどんな結果をもたらすのかは、NHKには預かり知らぬ事なのでしょう。少し前までチベットは漢族にとっては未開の地に住む見知らぬ野蛮人でしかなかったので、高い標高という天然の障害と長い別個の歴史によって隔てられていた民族同士が、ちょっと心配になるくらいの勢いで接触の度合いを強めて行くと、摩擦や衝突が起こるのは避けられません。まして一方が根拠も無い優越感を持っていたりすると、相手方からの反発は大変なものになります。冷戦構造が無くなった後、世界は再び人種差別の大問題に出会わねばならないと言われていますが、チャイナの「少数民族」問題が、人種差別問題となって先鋭化するのは避けられないと考えておくべきでしょうなあ。

■人口の8割以上を占めると言われている「漢族」は、正確には自称・漢族と言わねばならないようですから、実際には出身地に根を持つ濃密な同族意識のモザイク模様になっていると考えられていますなあ。上海の南に接する浙江省なども、強烈な団結力を誇る秘密結社の本場みたいなところですから、チャイナ各地に尖兵として送り込まれる先発隊の後に続いて、蟻の大群のようにチベット高原に上って来るでしょう。蜜柑の原産地の温州やら紹興酒で有名な紹興、そして延暦寺を開いた最澄さんが学んだ天台山が有る所なので、日本人にも馴染みの有る場所でもありますが、これからはまったく別の意味で有名になるでしょう。


ナクチュを出ると時刻は夜7時。夕焼けが空を染めます。列車は一路、ラサを目指して走ります。終点ラサまで、残り3時間半です。チベット族の3姉妹一家が、身だしなみを整え出しました。一家はラサへの巡礼を心待ちにして来ました。親戚を頼って、ラサに2箇月滞在する予定です。乗客達が降りる準備をし始めました。

■出身地を基盤とする同族意識という点では、チベット人も負けてはいないようです。乗馬技術と健脚でびっくりするくらい遠い場所に親戚を持っているものです。パキスタン近くの谷から東進して来たと言われる古代チベットの王族は、四川省あたりに支配を広げた後、シルクロードの利権を求めて大唐帝国と和戦を繰り返して北上し、更にモンゴル帝国とも結び付き、それから女真族の清王朝とも密接な関係を持った歴史が有りますから、「チベット自治区」などというちっぽけ?な地域だけには収まらない広大なネット・ワークを歴史的に持っていることを知っておくべきでしょう。


「もうすぐラサに着きますね」
「うれしいです。ポラタ宮に行けます」
「明日は何処に行きますか?」
「まずはポタラ宮です」
「乗り心地はどうでしたか?」
「気持ち良いものです」
「また乗りたいですか?」
「また乗りたいです」

■四川省から来た巡礼のチベット人の爺さまは、なかなか頑固で頼もしい受け答えをしておりましたなあ。「ポタラ宮」の一点張り!聞き手も困ったらしく、2ヵ月後には故郷に帰らねばならない巡礼の爺さまに、「また乗りたいですか?」と無意味なことを聞かねばなりませんでした。孫娘は前日のインタヴューで、「バスより列車が良い」と言っていましたし、元々、最も安い硬座車輌に身を寄せて乗っている人が、帰りはラサ空港から成都に飛行機で帰れるはずはないのです!

■因みに「ポタラ」は日本にもたくさん有ります。最も有名なのは、栃木県の日光でしょうなあ。日光は江戸幕府を開いた徳川家の廟所となってから、目出度漢字を当てて「日光」となりましたが、その前は「二荒」と書いて「ふたら」と呼んでいたそうです。「ふたら」は「補陀落」の音読みです。その補陀落はインドの言葉の「ポータラカ」の漢字音写で、ポータラカは『華厳経』に書かれている観世音菩薩の御住所です。今はインドのダラムサラに亡命中のダライ・ラマ法王は、観音菩薩の化身とされているので、ラサ中心に建立された歴代ダライ・ラマの住居となった宮殿は、当然のように「ポタラ」と呼ばれたわけです。日本には日光以外にも、補陀落に因(ちな)んだ山や土地の名前が有りますし、チャイナの舟山列島の普陀山などの有名であります。観音菩薩(の化身)が暮らしていた唯一のポータラカが、今は空き家で観光名所の見世物になっております。
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NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の弐拾弐

2007-01-13 14:37:51 | チベットもの

ナクチュの町が見えて来ました。チベット自治区の北部では最大の町です。ナクチュで降りる乗客の中に、メノウや珊瑚などの宝石類を行商しているチベット族の商人たちが居ました。ナクチュは、彼らにとって初めて訪れる町です。

■経済発展が著しい中華人民共和国の中で、チベット人が商売しようと思っても、既得権益の壁に苦しめられる事が多いようです。手っ取り早く出来るのが伝統的な宝石や毛皮の商売でしょうが、日本の呉服屋さんみたいなもので、客層は固定し徐々に減少傾向にあると考えた方が良いでしょう。上手く立ち回って高級品を買い漁れるほどの財力を持ったチベット人は少ないと思われます。牧畜業も生産現場はチベット人の独壇場みたいなものですが、肉や羊毛を商うのはイスラム教徒の回族が市場を独占している場合が多いようです。あとは名所旧跡の観光業というのが有りますが、昔ながらの門前町が急速に様変わりすると漢族や回族の店が次々と開いてチベット人が押し出されてしまう傾向が有るようですなあ。

■新しい鉄道を利用して、景気の良さそうな遠隔地に行商するというのは市場開拓に役立つ可能性は有ります。でも、伝統的な仏教寺院から美術品としての価値が高い仏像や仏具を盗み出して売り捌くような連中も居るので、あの鉄道を通って貴重な文化財が不法な手段で流出するような事にならないように、祈るばかりであります。


午後6時半、列車が駅に停車します。鉄道の開通により、中国各地から人々がナクチュに集まるようになりました。ナクチュは、人口およそ9万。四川省の成都とも国道で結ばれる交通の要衝です。人口の9割はチベット族、しかし最近、漢族の比率が高まっています。町の一角に有る、大型のショッピング・モールです。新疆や広州など、中国各地の特産品を売る店が並んでいます。民間企業と地元政府が組んで、大々的にテナントを募集しています。

■「漢族の比率が高まって」いるのが大問題で、中華人民共和国の地図を眺めているだけだと、何と広大な国土だろう!などと思ってしまうものですが、人間が安心して暮らせる水と耕地に恵まれている場所は限られていて、旱魃や水害を常に心配し、巨大化した人口が生み出す圧力に苦しめられる無数の人々が居る事を忘れては行けません。前政権が推し進めた「西部大開発」という巨大プロジェクトが実施された「遅れた地域」を示した地図を見ますと、国土の6割以上に当たっているのに驚かされますし、それ以外の場所は「開発済み」なのか?と思ったら大間違いで、極僅かな沿海部の諸都市を除けば、「未開発地域」と豊かな沿海都市群との間に宙ぶらりん状態で放置された地域が挟まっているのですなあ。そんな場所で一応の学歴を得た若者が、「西部」に向って流れ込みますし、大学の就職指導もそうした就職活動を推奨しているようです。

■画面には、「新疆」やら「景徳鎮」やらのケバケバしい看板が映し出されます。何だか、京都の駅前で東京名物の雷オコシを売っているような違和感が漂いますなあ。思い込みと勢いだけで、強引に商売を始める連中が多いので、開店したかと思ったら数ヶ月で夜逃げ撤退という話も珍しくないようです。勿論、開店資金を貸し付けた銀行には大きな穴が開くわけですが……。地縁・血縁・秘密結社のようなコネを利用して資金を得て商売する伝統的な人達の中に、金融機関に就職した親戚やら友人に無茶な融資を要求する困った人が居るのは衆知の事で、これに共産党やら地方政府の役人やらが絡むと、不正融資の焦げ付き額は再現もなく巨大化してしまうというのも、あちこちで耳にする話です。そこらへんが「中国の特色有る社会主義市場経済」なのでしょうなあ。日本の格差社会など、まだまだ甘いのかも知れません。