旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

風林火山 其の弐

2007-01-17 12:12:04 | 日記・雑学
■さて、孫子がここで取り上げているのは、敵に先んじて断然有利な立場を得る重要性と難しさです。いよいよ戦争だ!となった時に、圧倒的に有利な先制攻撃が仕掛けられる布陣が整えば、無駄な戦闘をせずに相手を降伏させる事も出来ますし、たとえ相手が破れかぶれの戦闘を仕掛けてきても短時間で撃破し、双方の被害を最小限に留めることが出来ます。今風の日本語にしてみましょう。

孫先生はこう言いました。だいたい、軍隊の使い方というのは、リーダーが王様から出動命令を受けてから、軍隊のメンバーを呼び集めて準備を整えて、戦闘が行なわれる場所に大急ぎで移動し、相手よりも強力なチームを、相手よりも有利な位置に配置するのが大切なのである。しかし、これほど難しいことは他には無いのである!それには曲がりくねった険しい道を、まっすぐで平らな道に変えてしまうような、そして、こちらにとって不利な条件を断然有利なものに変えてしまうような、高度なアイデアが無ければダメなのである!では、どうやれば良いのか?えっへん、それは頭を使ってフェイントとトリックを使って相手を騙(だま)すのが一番良いのである。こちらがもたもたしていると相手に思わせ、こちらが馬鹿みたいに遠回りをしているように見せ掛け、相手に油断させるのである。「負ける気がしないぜ!」と相手に思い込ませたら、こちらは必死の覚悟で大急ぎで戦場に走れば、万が一、相手よりも後に出発しても到着は相手よりも先になり、有利なポジションを取って十分なフォーメーションを組んで待ち構えていられるというわけなのじゃ。

■要するに相手を騙くらかして罠に嵌めてしまえ!という恐ろしい話です。真珠湾にボロ戦艦を並べて日本海軍の標的にして「着底」させて直ぐに引き上げて修理しながら、自国民の心に復讐心を植え付けるようなものでしょうか?それはともかく、この一節の後には緊急事態に際して強引な軍の移動をする場合の恐ろしさが語られていまして、豊臣秀吉が断行した「中国大返し」の集団裸マラソンを髣髴とさせる描写が出て来ますぞ!秀吉は単なるサルではなくて、ちゃんと勉強していたのでしょうなあ。

■そしてお話はいよいよ「風林火山」になります。


故に兵は詐を以って立ち、利を以って動き、分合(ぶんごう)を以って変を為す者なり。故に其の疾きこと風の如く……侵掠すること火の如く、知り難きこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷(いかずち)の震うが如く、郷を掠むるには衆を分かち、地を廓(ひろ)むるには利を分かち、権に懸けて而して動く。迂直の計を先知する者は勝つ。此れ軍争の法なり。

■尚、「知り難きこと陰の如く」という一節は、日本に流通していた宋代の写本には欠落しているのだそうですが、もしも信玄さんが正確なオリジナル本を持っていても、「風林火陰山」では長ったらしいし、「風林火陰」では締まりが無くなってしまいますなあ。と言うわけで、優れた軍隊という物は、「風のように移動」し、「林のように静かに待機」し、「燃える火のように攻撃」し、「暗闇のように見付からず」、「山のように持ち堪える」、「雷のように強襲」しなければならないのです。

■こうして並べて見ますと、碌な軍用トラックも無いのに大陸に攻め込んでうろうろしていたり、ミッドウェー海戦の前には芸者相手に前祝の酒を飲みながらべらべら喋ったり、大輸送部隊を目前にしてレイテ湾突入を中止したり、全作戦計画が書かれた書類を盗まれたり、絶対防衛圏を決めた直後から破られたり、嗚呼、我が大日本帝国の陸海軍は何をしていたのだろう?と思ってしまいますなあ。「風林火山」は本当に大切なものであります。

■武田信玄のライバルは、言わずと知れた越後の上杉謙信さんです。謎の多いちょっと神秘的な武将ですが、今回の大河ドラマでは「神秘的」を商売道具にしている中性的なキャラクターの歌手?が演じるのだそうですなあ。新潟県人が激怒するような遣り過ぎた演出は止めて貰いたいものですなあ。何せ、トンデモ歴史本では、「上杉謙信は女性だった」という奇説が有るのですからなあ。それに、以前に渡辺謙さんを上杉謙信にして、角川映画が『天と地と』という海音寺潮五郎原作を映画化しようとして、米国ロケまでやったのに、主演の渡辺謙さんは急性白血病で倒れ、代役で完成した映画はコケたばかりか、角川春樹さんは大麻で逮捕されてしまった事が有りました。くれぐれも大河ドラマが恙(つぐが)無く完成することをお祈り致します。

風林火山 其の壱

2007-01-17 12:11:52 | 日記・雑学
■皆様のNHKが本年放送する隊がドラマは、女性の「内助の功」を前面に押し出し続けた路線を転換して、伝説の「軍師」を主人公として井上靖さんが書いた小説を原作とした番組になりました。政府にも大企業にも「軍師」が居ない現実を皮肉ろうという気持ちはさらなさ無いのでしょうが、「智慧」を使わないと酷い目に遭う時代だという事なのでしょうなあ。小泉政権時代から流行り出した「自己責任」という恐ろしい言葉は、今でも生きておりますぞ!でも、「軍師」を自称するコンサルタントやら超能力者やら、占い師だの霊能者まで、世の中には怪しげな商売で大儲けしている人が増えているようですぞ。ご用心、ご用心。

■さてさて、問題の「風林火山」ですが、今の山梨県、昔の甲斐の国を治めていた武田信玄さんが自軍の旗印にしたというのは史実のようです。


……其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、……

これを漢文のまま縦長の旗に二行書きしたのです。でも、この前後に「……」が有るのを忘れては行けません。因みに、この一節は、『孫子』という書物に出ているのは有名な話ですが、誰が書いたのか?が研究者の間で悩みの種でした。

■チャイナの戦国時代、紀元前355年に一度は魏の国の将軍に招かれて就職しようと思ったら、その才能が想像以上だった事に嫉妬と恐怖を感じた将軍本人の陰謀で、両足を切断された上に入れ墨までされた後、斉の使者に救われて車に乗せられて亡命?した、孫ピン(肉月に賓)という軍略家が著者の第一候補だったそうです。しかし、その孫ピンさんの偉い御先祖様に孫武という同じ学問を究めていた有名な人がいて、こちらの方が著者ではないか?とも思われていたのでした。

■ところが、1972年4月に山東省の古都臨沂(りんき)近郊に有る銀雀山漢墓という遺跡から、『孫ピン兵法』という竹簡が出土した時に、御先祖様の孫武が有名な『孫子』の著者だと決定したのでした。というわけで、この本は紀元前500年くらいに書かれたと言う事が分かったのでした。そんなに古い本が、日本の経営者が熱心に読んでいたり、東西の戦争のプロが熱心に研究している名著になっているというのも驚きですが、考えて見れば、この時代というのは釈尊・孔子・ソクラテスなどなど、偉大な知性と精神が生まれた奇跡のような時代だったわけで、ドイツの哲学者のヤスパース先生は、「人類精神の枢軸の時代」と絶賛しておりますなあ。

■前置きが長くなりましたが、「風林火山」の前と後に何が書いてあるかと言う話です。この一節は、『孫子』第7篇の「軍争篇(争篇)」の始めの方に出て来まして、この第7編の書き出しはこうです。


孫子曰く、凡(およ)そ用兵の法は、将、命を君より受け、軍を合し衆を聚(あつ)め、和を交えて舎(とど)まるに、軍争より難きはなし。軍争の難きは、迂を以って直と為し、患を以って利と為す。故に其の途を迂にしてこれを誘(いざな)うに利を以ってし、人に後れを発して人に先んじて至る。此れ迂直の計を知る者なり。……

■すっかり漢籍の素養を失わされてしまった最近の日本では、こんなに面白い話も、この程度の「書き下し文」にしてもさっぱり意味が分からなくなってしまいましたなあ。「ソンシイワク、オヨソ、ヨウヘイノホウハ、ショウ、メイヲクンヨリウケ、グンヲゴウシ、シュウヲアツメ……」と音読すると気持ち良いもので、この頃流行の脳を鍛えるには古典の音読が最適とも言われていますなあ。

教育基本法改正の年 其の壱拾弐

2007-01-17 12:11:29 | 教育
■第5条は「義務教育」です。旧法では2項しか無かったのに、新法は倍の4項目を並べていますぞ。

第5条第1項
国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。

このあっさりした条文には、ちょっとした問題が潜んでいます。旧法の第1項はこうなっていました。

…国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。

■「子女」が「子」になっているのは、看護婦さんが看護師さんになったのと同じ理由でしょうが、「帰国子女」や「残留孤児」などの変な用語は始末したのでしょうか?縦割りなので、それは厚生労働省の管轄だ!と言い逃れは出来ますが、日本語の使い方は文科省の管轄でしょう。さて、「9年」という現行の6・3・3制に基づく義務教育の年限を、わざわざ削除したのは何故でしょう?義務教育の期間を「4年に短縮しろ!」という意見が有りますし、中高一貫教育が人気を博している現状も有ります。こうして、義務教育期間に学ぶべき内容が薄められたばかりか、切り刻まれて先送りされて大学受験という宿命に苦しむ高校が、昔の中学で教えていた内容を教えながら大学受験の「成果」を上げねばならないことになっているのです。

■明らかにこの条文は、この高校の苦しい現状を追認しています。「未履修問題」が全国で発覚した時に、断固として『指導要領』を武器にして処断しようとしなかったのは、こうした矛盾を重々承知しているからでしょうなあ。高校教師の志望者が減るはずです!


第5条第2項
義務教育として行なわれる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行なわれるものとする。

■「国家…の形成者として必要とされる基本的な資質」とは何でしょう?裏金を貯め込む役人や、贈収賄で多選を目指す県知事さんや、インサイダー取引で濡れ手に粟の大金を儲ける株屋さんや、政党助成金の分け前を貰うためなら節操も信条も投げ捨てる政治家とか、こうした「お手本」をどう始末してくれるのでしょう?明治以来、全国から優秀な人材を掻き集めて最強の国家官僚群を養成して来た日本の東大ピラミッドが健在な限り、最高の教育を受けた人材がキャリア官僚として霞ヶ関に参集しているはずです。何故かそこが談合や裏取引の温床となる「天下り」のメッカになっているのですから、日本の教育の最終目標はたっぷりと税金を合法的に食い続ける生き方を実現することとしか思えないのですが、それが趣旨なのでしょうか?


第5条第3項
国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。

■何気無く挿入されている「相互の協力」という文言が気になりますなあ。文脈から判断すると、中央政府と地方公共団体が「相互」に協力する意味になりますぞ。国の管理と統制がさり気なく強化される予感が漂い始める条文ですなあ。それにしましても、「義務教育…の水準を確保」と言いながら、教科書の内容を3割りカットしたのも文科省でしたぞ!一体、誰がこの「水準」を点検するのでしょう?「ゆとり教育」が間違っていました、と謝罪して頭を丸めた役人は1人も居ませんぞ!しぶといゾンビのように蘇った寺脇研さんは、マスコミに顔を出して「元役人」と言い訳しながら好き放題に発言しているようです。元外交官の田中均さんと同様に、恐るべき心臓と面の皮をお持ちのようです。


第5条第4項
国または地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。

■旧法は以下の通りです。


②国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

■「……は、これを……」という時代がかった法律特有の言い回しを避けて書き直しただけです。好きなだけ条項を書き加えられる作業の中でも、教科書の無償配布についての言及が無いということは、義務教育に関しても、隣の国の悪徳地方党幹部みたいに、あれこれと理由を付けて経費を払わせようとしている可能性が有りますなあ。「学校指定」という奇妙な名目で、市価よりも高い用品を買わされる習慣には、塵も積もれば山となるような小さな利権か「汚職」の臭いが付き纏いますが……。


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教育基本法改正の年 其の壱拾壱

2007-01-17 12:11:11 | 教育

第4条第2項
国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。

■この条項は、旧法に含まれなかった障害者教育に関する立派な条項になっています。しかし、残念ながら「自立支援法」という血も涙も無い法律が成立したのに、障害者を雇用しなければならない企業がカネでその義務を逃れている風潮を是正する動きはまったく有りません。こうした現状から考えますと、第3条の「人格を磨く」という話が、就職や資格とは無縁の道徳的で禁欲的な研鑽や修行に弱者を追い込もうとしているのではないか?と意地悪く考えてしまいますなあ。この新しい条項を加えた後には、旧法とまったく同じ条文が出て来ます。


第4条第3項
国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

■「奨学制度」の規定なのですが、国が運営している日本育英会の返済義務が無視されて大赤字を計上している事実が響いているのか、旧法に加えられたのは「が」の一文字だけです。明らかに日本政府は奨学金制度の充実には情熱を持っていません!


…国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

確かに、滞納した給食費の支払いを督促されて、高級外車で抗議に来校する狂気の保護者が生息しているのが日本の教育界だそうですから、下手に奨学金制度を充実させたら、どんな悪知恵の餌食になるか分かったものではない!と文科省は心配しているのかも知れませんなあ。

■奨学金制度や特待生制度を考える時、立川談志さんが主張していた「正論」を思い出します。彼は、「裏口入学」という言葉の誤用を指摘していたのです。格段に有利な経済状態にあるアホ学生は、有名私立大学の卒業証書を大金で買え!という主張です。私立大学は商売なのだから、利潤の追求が許される!だから、大金持ちの入学希望者は天文学的な「御祝儀」を持って入学させる。逆に、「経済的理由」で入学金や必要経費が払えない優秀な学生は、厳しい選抜試験を課して選抜し、合格したら「裏口」から学資無料の特待生としてそっと入学させろ!という、実に興味深い提案をしておりましたなあ。いかがでしょう?

■この暴論が実現したら、蛍の光窓の雪!本は図書館、テレビもゲームもビデオも知らず、恐るべき勉強の鬼と化した優秀な人材が、日本中の貧困地域から湧き出して来るような気がしませんか?高額な月謝を払って有名な塾や優秀な家庭教師に「やる気」にしてもらわずとも、破れ畳の上に腹ばいになっても勉強し続けた学生が、学業成績だけで衣食住が保障されて学問研究に没頭できる環境を求めて鬼となるのではないでしょうか?つまりは、勉強のプロですなあ。少年野球や少年サッカーなどの小さな将来のプロ選手が認められるのなら、将来のプロ学者が認められるべきかと思います。ただ、鬼のように勉強した経験の無い人が、そんな化け物染みた学生を担当するというのは生き地獄でしょうなあ。