旅限無(りょげむ)

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NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の壱拾壱

2007-01-10 12:50:42 | チベットもの

90年代、内陸部の発展を目指す「西部大開発」の一大プロジェクトして計画が再開!総工費4500億円をかけて、2001年の建設開始から、僅か5年で全線開通に漕ぎ着けたのです

■円借款の話が続きます。アメリカ寄りの中曽根政権の後を継いだ、竹下政権の時代に第3次円借款が始まります。1990年から1995年です。田中派から分離独立した竹下派は、中国利権をそっくり取り込んだと言われたものです。この時の援助で北京国際空港が改築拡張されています。何と、第4次円借款は社会党の村山さんの政権が行なったのですぞ!1996年から2000年です。バブルが膨らんでいた中曽根政権時代でも5709億円だったのに、バブルは崩壊するわ、神戸の震災は起こるわ、オウム真理教のサリン事件が起こるわ、そんな村山政権時代の円借款が歴代最高額の9870億円とは、一体、どうなっているのでしょう?

■北京政府が莫大な建設国債を発行して「西部大開発」を進めたのは本当の話ですが、日本からの資金と技術の援助がどう使われているのかをすっぱりと切り捨てて、西寧からラサまでの鉄道を取り上げるのは如何なものでしょう?


標高4000メートルを超えました。切り立った峰峰や深い峡谷に鉄道を通すため、多くの鉄橋が造られています。鉄橋の数は全部で675本、総延長は160キロに及びます。

■古代チベット王国の第31代王タリニュス・ツェンポに仕えたガラン・ザワンは、「チベット七賢人」の一人で、人々に冶金を教えたそうです。薪を炭に加工して銀や銅の精錬を教え、製鉄の技術を広めて、鉄製の農具と武器で国を強大にした上に、「鉄橋」を架けたとも言われています。

■閑話休題。総延長160キロもの鉄橋を架けたり、鉄道レールやら橋脚の鉄筋やら、製鉄技術は日本が教えたものですから、それが巡り巡って世界的な鉄不足を起こし、日本中の下水溝の蓋やら門扉やら、鉄製品が盗まれるような騒ぎになっている訳ですなあ。まあ、鉄や銅の窃盗はチャイナが本場なのですが……。


列車の行く手に、白く連なる巨大な山々が迫って来ました。崑崙山脈東部の最高峰、玉珠峰です。玉珠峰は標高6178メートル。ゴルムドが出た列車が最初に出会う万年雪の山です。白い稜線が青空にくっきりと映えます。頂上付近では強風に煽られ吹き煙が舞っています。玉珠峰の手前で線路は大きく右にカーブします。その先に見えるのは、玉珠峰駅です。「青海チベット鉄道」では、雄大な景色を眺める観光用の駅が、全部で9箇所作られました。玉珠峰駅は、その最初の駅です。現在は通過するだけですが、将来は停車し大自然を楽しめるように計画されています。

■夏には気温が上がって過ごし易くはなりますが、気圧も上がって空気が濃くなる訳ではありません。与圧装置付きの密閉列車から、粗忽な観光客がそろぞろと6000メートルを超える「観光駅」に降りたらどうなるのでしょう?!嗚呼、恐ろしい。駅の看板と玉珠峰をバックにして記念撮影をしたまま、心臓が停止する人が続出しそうな気がしますなあ。特に日本では、驚くほどの軽装で登山を楽しもうという蛮勇に溢れた人々が多いのですから、こんな宣伝番組を見て勘違いしてしまうに違い有りませんぞ。心配な事です。目玉が飛び出すような大金を払ってヘリコプターで下山するしか助かる道が無かったらどうするのでしょう?

■玉珠峰駅の表示板は、一番上にチベット語、その下に漢語、一番下にピンインのローマ字表記になっていました。ひとまず安心しましたが、チベット文字は小さくて読み難いぞ!失礼です。


玉珠峰のパノラマを見ながら、列車はホームを通過します。乗客は車窓に釘付けです。
「どうですか?」
「すばらしいですね」
「どちらから?」
「広東省です」
「広東省にこんな雪山はありますか?」
「有りません。広東省では一番高い山でもせいぜい1000メートルでしょう」

■「車窓に釘付けです」と宮本アナウンサーが情感たっぷりに言う割には、窓際に立っている人が少ないのは何故でしょう?釘付けになっている人の手には小型のデジタル・カメラ!一体、何処の製品でしょう?それにしても、平坦な地形で亜熱帯気候のの広東省から来ている人に、「こんな雪山は有りますか?」と質問するのもどうかしていますが、それをカットもせずに放送しているNHKも変ですなあ。


「とてもきれいですね。壮観です。こんな景色は世界でも他には有りませんよ」

■これも無意味なインタビューです。南北アメリカ大陸にも、欧州にも、あるいは中央アジアにも、恐るべき高山地帯は幾らでも有りますぞ!答える人の年恰好からしますと、文革騒動で義務教育も受けられなかった世代のようですから、世間知らずの井の中の蛙を表現する目的で、こんな無知な発言をさせて見せたのでしょうか?悪趣味ですなあ。


NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の壱拾

2007-01-10 12:50:09 | チベットもの

線路と並行してラサに向う道路が見えます。これまでゴルムド・ラサ間の大動脈となって来た国道109号線です。「青海チベット鉄道」の建設計画は、この道路が完成した直後の1955年でした。鉄道建設のため、チベット高原の測量や地質調査が繰り返し行なわれました。当時はまだ、凍結した土壌に線路を敷く技術が有りませんでした。比較的、標高の低い西寧・ゴルムド間だけが1984年に開通しました。しかし、その後建設は一時中断されました。

■重大な話を、実にさらりと語られていますなあ。ラサに向う「大動脈」が四川省を通る最短距離のルートを避けて、わざわざゴルムドという人工都市を造ってまで、大きく北に迂回する道路を造ったのでしょう?チベット族とウイグル族との間に広がっていた砂漠地帯は、軍事拠点を造るにも原爆実験をするのにも非常に便利な場所でした。北朝鮮の核開発が怪しからん!と怒る声が日本にも湧き上がりましたが、1964年、東京オリンピックの年に炸裂した毛沢東の原爆に怒りを露にした声は、誰かさんが押さえ込んでいたようですなあ。その頃、チベット地域では大変なことが起こっていたという事です。国道109号線が完成したのが1955年、それは決して偶然ではありません。

■1953年から「5カ年計画」が始まり、1949年にソ連と決裂したユーゴスラビアと、中国が外交関係を結んだのが1955年です。その翌年がフルシチョフによる「スターリン批判」になるのですが、中国共産党結成から、ずっとアゴで使われていたのを怨んでいた毛沢東は、大義名分と技術支援のために我慢していましたが、中ソの対立が始まるのは時間の問題でした。そのソ連がヴェトナムやインドと結んで圧迫を加えていたのですから、両国を睨むチベットとウイグルは絶対に手に入れておかねばなりませんでした。

■その間には、1952年の「中国人民解放軍チベット軍区」設立、1954年には周恩来がネルーを騙して?「平和5原則」が結ばれています。チベット解放戦争が1950年ですから、ゴルムド経由の過酷な道路建設をしたのは誰だったのかは自ずと分かります。画面で紹介される記録映像には、凍結した大地を歩く駱駝の姿が見えます。青海省の北部やウイグル地区にしか居ない駱駝が、どうして引っ張り出されているのでしょう?そして、凍結した土壌に鉄道を建設するのなら、大先輩のソ連に指導を仰げば良いはずなのに、それをやらなかったのですから、中ソの対立は早い段階から起こっていた事は明らかでしょう。中華人民共和国は朝鮮民主主義人民共和国と同じく、大日本帝国と満洲帝国が残したインフラを奪取したものの、メンテナンス技術を持っていなかったので、勝手に壊したり使い潰してしまったのでした。

■技術不足以上に資金不足が大問題で、ケチなソ連は弱みに付け込んで、周恩来が「高利貸し!」と激怒したほどの高い利息を付けた借款しか与えなかったのでした。そんな火の車の台所に、鴨が葱を背負って飛んで来ました!1972年のニクソン訪中に慌てた田中角栄さんです。ロッキード疑獄で退陣した後の1979年、日本は莫大なODAを開始します。総額3000億円の「第一次円借款」は、港湾設備の建設に並んで次の事業が含まれていました。


北京・秦皇島間鉄道拡充事業
衡陽・広州間鉄道拡充事業

■日中友好の美名に隠れて、援助資金の横流しが行なわれていなかったと誰が言えるでしょう?第一次円借款は大平政権時代の1979年にから始まって、83年までに執行されています。西寧・ゴルムド間の単線鉄道が開通したのが84年!出来すぎた話ですなあ。
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NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の九

2007-01-10 12:49:45 | チベットもの

この町で働く出稼ぎの人達が下車して行きます。停車時間は20分。その間に、機関車の交換作業が行なわれます。西寧から列車を牽引して来た機関車が切り離され、高地専用の機関車が登場します。「青海チベット鉄道」のためにアメリカから導入された新鋭機関車、NJ2型です。馬力は1輌4000馬力。経由を燃料にして走るディーゼル機関車です。運行時の最高時速は120キロ。高地を走る列車としては世界最高速です。馬力を上げる為、この機関車を連ねて全長300メートルに及ぶ客車を牽引します。

■高度な機密性を誇る客車はフランスの技術だそうですが、それには言及せずにメイド・イン・アメリカを賑々(にぎにぎ)しく発表するのは、やはり、対米関係に神経質になっている北京政府の御意向なのでしょうなあ。1960年代には、CIAがチベット人を訓練してゲリラ部隊を創設しようという「ガーデン作戦」を行なった米国は、すっかり商売上の理由で北京政府と仲良くなってしまいました。それにしても、早暁の暗闇に浮かぶ米国製の機関車を思い入れたっぷりに撮影するのは如何なものでしょうか?無理矢理、台湾に売り込んだ日本製の新幹線と、チベット高原を走る米国製ディーゼル機関車と、どちらが先に大きな障害を起すのでしょう?


列車は、いよいよここから標高4000メートルを越えるチベット高原に挑みます。

■電化しなかったのは、ロシアのシベリア鉄道と同じく、万が一の場合に乗客が凍死しないようにする為なのでしょうなあ。列車が動けなくなった場合、極寒のシベリアも恐ろしいですが、チベット高原も恐ろしいですからなあ。


朝7時半。次第に空が白み始めます。ゴルムドを出発して40分。列車は荒涼とした砂漠地帯に差し掛かります。前方に険しい山々が見えて来ました。崑崙山脈です。崑崙山脈は東西2500キロ、南北350キロに亘って連なる大山脈です。チベット高原の北側に沿って連なる山脈で、『西遊記』を始め数々の作品にもその名が登場します。時刻は間も無く朝8時。目を覚ました乗客たちが最初に眺める朝焼けの風景です。

■古いチャイナの文書では、世界の西の外れが崑崙山脈だったそうで、西王母とか言う女神が天下ったとの伝説が有名ですなあ。でも、青海省にも同じ伝説を引っ張り込んだ新しい観光地が有るのですが……。『西遊記』のモデルになった三蔵法師玄奘さんは、ずっと北の方を旅したので、崑崙山脈とは何の関係も有りません。


列車は、崑崙山脈の裾野を進みます。
朝食が始まりました。どの客車にも給湯器が備え付けられており、いつでもお湯を使うことができます。
一番人気が有るのは、車内販売のカップ麺です。値段は一つ75円。
絶景を眺めながらの朝食は、また格別です。

■講釈師、見て来たようなウソをつき。という川柳が有りますが、NHKの取材班は本当にあのカップ麺を、崑崙山脈を眺めながら食べたのでしょうか?他に食べる物が無いから食べているような物を、「人気」だの「格別」だの、まだまだ貧乏なチャイナを馬鹿にしているようにも聞こえますなあ。日本の技術を学んだ韓国企業が、どんどん新製品を投入しているので、この10年間で随分と味は良くなりました。本家本元の日本企業も参入し始めていますが、果たして勝てるでしょうか?塩辛いだけ、辛いだけの即席麺が、どこまで美味しくなるのやら……。値段は落ち着いているようですが、町中で人間が調理した麺料理を食べた方がカップ麺よりも格段に安い国ですから、値段の勝負になるのでしょうなあ。

■石炭燃料の給湯器は、長距離列車には常備されていて、ロシアの列車と同じ臭いが流れているものですが、観光産業のドル箱にしようと思ってか、デザインが良くなりました。寝台車輌には、各コンパートメントに置かれていた電気無しの魔法瓶ポットは撤去されてしまったのでしょうか?真水が飲めない御国柄ですから、持参した容器にいろいろな茶葉を入れて飲み続ける人達です。日本は車内販売が多過ぎますが、チャイナは少な過ぎて不便です。豆やら果物やら、安い物を大量に纏め買いして持ち込む人達は、割高の車内販売を利用しようとしません。カップ麺くらいしか買う物が無いんです。


NHK『青海チベット鉄道』を観る 其の八

2007-01-10 12:49:17 | チベットもの

「ラサに行くのですか?」
「はい」
「行った事がありますか?」
「ありません」
「なぜ行こうと思いましたか?」
「列車に乗ってみたかったのです」

■今度はチベット人女性です。ここでも北京語で、「行く」を意味する「去」が使われているのが気になります。チベット語で「ラサに行く」と言う時には、絶対に「行く」とは言いません。「上る」と言うはずです。それを無理矢理、北京語でインタヴューするから、罰当たりな「行く」を使わねばならないのですぞ!これも失礼です。何よりも漢族らしき質問者が、ラサ行きの列車に乗っているチベット人に対して「なぜ」と問うのは最悪の展開です。「列車に乗」るのが目的などと、誰が信じるでしょう?日本で「新幹線に乗ってみたい」という理由で京都行きや東京行きに乗る人が居るでしょうか?まして目的地はラサですぞ!


一方こちらは、四川省から来た一家です。
「何しに行くのですか?」
「巡礼です」
「乗り心地はどうですか?」
「とてもいいです」
3人の孫娘をお爺さんが引き連れて来ました。
「なぜ列車にしたのですか?」
「なにしろ初めてですから」
「列車の方がバスより便利だからです」
一番下の孫娘は、どうやら列車に酔ってしまったようです。
向かいの座席に坐っているのは、上の孫娘。
全員、初めてのラサ巡礼です。

■四川省からだと、アバ地区からの巡礼かも知れません。非常に宗教的な情熱が強く、時々、法律で禁じられているチベット国旗を掲げて騒動を起す元気な人が居るような場所です。ラサ行きの目的を「巡礼」と答えるのが、そんな地区からの乗客だというのは面白いですなあ。真ん中の孫娘が「巡礼です」と北京語で応答する直前に、お爺さんがチベット語で何かを言っている声がマイクに拾われていましたぞ。どうやら「中国語で答えるんだぞ」と言っているように聴こえるのですが……。四川省からもバスでラサに行けるのですが、未舗装の場所が多くて、一度乗った人は二度とは乗らないと言われている艱難辛苦の旅になるそうです。昔と同じように歩いて行けば良いのですが、そうなると今度は命懸けですからなあ。妙にほのぼのとした音楽が付けられていたインタヴューですが、内容にそぐわないような感想を持ちました。


列車は、最初の停車駅、ゴルムドに向って走ります。
翌朝7時、西寧を出発して11時間です。

■番組を見た人達は、「いくら11月でも、朝7時なのに真っ暗なのか?」と怪訝に思われたのではないでしょうか?広大な中華人民共和国は、ソ連や米国とは違って国内の時差が無いのです!ですから、北京が朝なら、全国が朝なのです。チベット地域の公共機関や学校も北京時間で運営されているので、真っ暗な時刻に「朝の体操」やら「朝のミーティング」をやっております。本当に大変です。


列車がゴルムド駅に到着しました。ゴルムドで、標高は既に2800メートル。「青海チベット鉄道」が開通する以前から、ラサへ向う国道の拠点でした。

■物は言い様で、ゴルムドは単なる交通の要衝ではありません。ラサ攻略とウイグル地区の制圧拠点、更に遠くは対ソ連戦略の軍事拠点として、何も無い砂漠の真ん中に政治的な理由だけで人工的に造成された殺風景な町であります。西寧からの単線鉄道が通っておりましたが、これまた軍事目的で作られた施設で、20世紀末まで汽車ポッポが走っていたそうです。客車も走っていましたが、主となっていたのは貨物列車でした。ラサ線が建設されるのに合わせて大規模な複線化工事が行なわれました。その大工事の拠点となったのが西寧で、各地から集まった建設業に従事した人達が、工事が完了した後どうなるのか?他国の事ながら心配な事です。北京オリンピックと上海万博という巨大プロジェクトが続く間はまだしも、それらが全部終了したら、日本が東京オリンピックの後に長期間の深刻な不況に苦しんだのを思い出しますなあ。
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