いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
鬱積
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
昨日のエントリの補足程度に……と呟いてみたら、思いの外長文になっちゃった。
で、それなりに反響もあったようなので、せっかくなので、昨日の呟きに加筆して、こちらにまとめてみたいと思います。
tweetをまとめたものなので、いつもより断定的な物言いとなっています。
人によってはその文体に、高圧的な印象を受けるかもしれませんが、あんまり気にしないでください。
では。
……………
怒りや悲しみなどの感情は、抑えてはいけません。
抑制や我慢によって感情を抑えると、その感情は消化されることなく、歪んだカタチでそのまま心に蓄積されてしまいます。
いわば、「感情の冷凍保存」とでもいうような状態です。
そして、知らず知らずのうちに鬱積され、巨大化したそれらの感情はいずれ何かを切っ掛けに大爆発を起こしてしまいます。
そのエネルギーが外側に向けば「攻撃」となり、内側に向けば「自傷」となります。
感情は外界からもたらされるものではなく、僕たちの内側にすでに蓄積されているものです。
そしてその蓄積には、いわゆる今生で積み上げられたものだけではなく、過去世から引き継いでいるものも多々あります。
ただしそれは、多くの方が信じている過去世の考え方、「永続する個的魂」として引き継がれたものではなく、実際は、現在保有している「自分」という感覚とはまったく関連のない、いわば「赤の他人」の記憶(未練)の継承です。
また、これまでお話してきた通り、「個人」という分離意識自体が錯覚であるため(本来は一つの同じものであるため)、「個人が所有してる感情」や「私のカルマ」などといった観念もすべて錯覚です。
感情もカルマも、生命エネルギー同様、我々が共有しているものです。
「誰かにあって、誰かにない」、という性質のものではありません。
その影響を多く受ける状態にあるか否か、という違いです。
いわゆる「目覚め」や「さとり」と呼ばれる状態は、僕たちの中に鬱積されていた膨大な記憶のエネルギーが一気に放出され、歪んだ感情エネルギーの影響を受けづらくなったものです。
僕たちの前に日々現れる、一見不都合な出来事の数々。
それらは、僕たちの心の奥深くに蓄積している、それらの感情の存在を思い出させてくれる「スイッチ」や「サイン」なのです。
その切っ掛けに反応して出てくる感情の多くは、劣等感や罪悪感、恨みや後悔などと呼ばれている記憶と連動しているため、僕たちにとっては、決して心地のよいエネルギーではありません。
そのエネルギーと向き合うことが不快であるため、多くの人はそれに触れないよう、そのまま冷凍させて心の奥底に隠してしまうのです。
そのようにして僕たちの顕在意識は、心の奥底に隠した感情を見ないように努力しますが、潜在意識では、溜まりに溜まったそれら(未消化の感情)の解放を求めています。
怒りや悲しみは、ある日突然僕たちの外側からもたらされるのではなく、潜在意識が、日々それらを解放する切っ掛け・口実を探している、という状態にあります。
僕たちは普段、それらと向き合うことから逃げてしまいがちですが、「感じる」ということを通して、はじめて消化・解放されます。
泣きたいときは思いっきり泣き、怒りたいときは真剣に怒る。
ただしそれは、そのエネルギーを何かにぶつけることとは違います。
僕たちにとってその「現実」がどのように認識されていようとも、その感情があるのは、実は、誰かや何かのせいではないのです。
その感情の原因を探し、誰かや何かになすりつけることは、「感じる」ということを拒んでいる状態です。
それは決して「怒りや悲しみの発散」とはならず、「エネルギーに対しての抵抗反応」をしているにすぎません。
「感じる」というのは、その存在を受け入れるという自己処理であり、いわば「味わい」に近いものです。
また、いわゆる「引き寄せの法則」は、顕在意識ではなく、潜在意識によって発動されるものです。
つまり、怒りや悲しみなどのエネルギーの蓄積があれば、潜在意識はそれらの解放を求めて、一見不都合と思える事象を現象化させてしまうのです。
不都合な出来事によってその存在を知らしめられたエネルギーが、解消されずにそのまま心の中に残っていると、僕たちの潜在意識は何度でも解放を求め、繰り返し「サイン」を送り続けます。
内在していた怒りや悲しみが湧き出てきたときは、それが出てきた切っ掛けの側を責めるのではなく、自分が本来隔離、保有していたものだという認識のもとで、それらのエネルギーを「感じきる」ということを心がけましょう。
冷凍保存されていた数々の感情が解放されるたびに、僕たちはそれらのエネルギーの影響を受けづらい状態になっていきます。
《おまけ》
もうひとつのどうでもいいtweet。
ユンソナとコンソメの間で揺れる微妙な感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/ed/950a639c0efeaea4d833bdf1359f60bf.png)
【トークライブ・インフォメーション】
札幌ソロライブ。いよいよ来週です!
◎11月23日(水・祝) 札幌ソロライブ
※携帯からお申し込みの方は【こちら】。
◎12月3日(土)阿雲の呼吸 in 東京(Thank you! Sold out!)
◎12月4日(日)阿雲の呼吸 in 大阪
第一部『EGO~偽の自分のメカニズム~』
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昨日のエントリの補足程度に……と呟いてみたら、思いの外長文になっちゃった。
で、それなりに反響もあったようなので、せっかくなので、昨日の呟きに加筆して、こちらにまとめてみたいと思います。
tweetをまとめたものなので、いつもより断定的な物言いとなっています。
人によってはその文体に、高圧的な印象を受けるかもしれませんが、あんまり気にしないでください。
では。
……………
怒りや悲しみなどの感情は、抑えてはいけません。
抑制や我慢によって感情を抑えると、その感情は消化されることなく、歪んだカタチでそのまま心に蓄積されてしまいます。
いわば、「感情の冷凍保存」とでもいうような状態です。
そして、知らず知らずのうちに鬱積され、巨大化したそれらの感情はいずれ何かを切っ掛けに大爆発を起こしてしまいます。
そのエネルギーが外側に向けば「攻撃」となり、内側に向けば「自傷」となります。
感情は外界からもたらされるものではなく、僕たちの内側にすでに蓄積されているものです。
そしてその蓄積には、いわゆる今生で積み上げられたものだけではなく、過去世から引き継いでいるものも多々あります。
ただしそれは、多くの方が信じている過去世の考え方、「永続する個的魂」として引き継がれたものではなく、実際は、現在保有している「自分」という感覚とはまったく関連のない、いわば「赤の他人」の記憶(未練)の継承です。
また、これまでお話してきた通り、「個人」という分離意識自体が錯覚であるため(本来は一つの同じものであるため)、「個人が所有してる感情」や「私のカルマ」などといった観念もすべて錯覚です。
感情もカルマも、生命エネルギー同様、我々が共有しているものです。
「誰かにあって、誰かにない」、という性質のものではありません。
その影響を多く受ける状態にあるか否か、という違いです。
いわゆる「目覚め」や「さとり」と呼ばれる状態は、僕たちの中に鬱積されていた膨大な記憶のエネルギーが一気に放出され、歪んだ感情エネルギーの影響を受けづらくなったものです。
僕たちの前に日々現れる、一見不都合な出来事の数々。
それらは、僕たちの心の奥深くに蓄積している、それらの感情の存在を思い出させてくれる「スイッチ」や「サイン」なのです。
その切っ掛けに反応して出てくる感情の多くは、劣等感や罪悪感、恨みや後悔などと呼ばれている記憶と連動しているため、僕たちにとっては、決して心地のよいエネルギーではありません。
そのエネルギーと向き合うことが不快であるため、多くの人はそれに触れないよう、そのまま冷凍させて心の奥底に隠してしまうのです。
そのようにして僕たちの顕在意識は、心の奥底に隠した感情を見ないように努力しますが、潜在意識では、溜まりに溜まったそれら(未消化の感情)の解放を求めています。
怒りや悲しみは、ある日突然僕たちの外側からもたらされるのではなく、潜在意識が、日々それらを解放する切っ掛け・口実を探している、という状態にあります。
僕たちは普段、それらと向き合うことから逃げてしまいがちですが、「感じる」ということを通して、はじめて消化・解放されます。
泣きたいときは思いっきり泣き、怒りたいときは真剣に怒る。
ただしそれは、そのエネルギーを何かにぶつけることとは違います。
僕たちにとってその「現実」がどのように認識されていようとも、その感情があるのは、実は、誰かや何かのせいではないのです。
その感情の原因を探し、誰かや何かになすりつけることは、「感じる」ということを拒んでいる状態です。
それは決して「怒りや悲しみの発散」とはならず、「エネルギーに対しての抵抗反応」をしているにすぎません。
「感じる」というのは、その存在を受け入れるという自己処理であり、いわば「味わい」に近いものです。
また、いわゆる「引き寄せの法則」は、顕在意識ではなく、潜在意識によって発動されるものです。
つまり、怒りや悲しみなどのエネルギーの蓄積があれば、潜在意識はそれらの解放を求めて、一見不都合と思える事象を現象化させてしまうのです。
不都合な出来事によってその存在を知らしめられたエネルギーが、解消されずにそのまま心の中に残っていると、僕たちの潜在意識は何度でも解放を求め、繰り返し「サイン」を送り続けます。
内在していた怒りや悲しみが湧き出てきたときは、それが出てきた切っ掛けの側を責めるのではなく、自分が本来隔離、保有していたものだという認識のもとで、それらのエネルギーを「感じきる」ということを心がけましょう。
冷凍保存されていた数々の感情が解放されるたびに、僕たちはそれらのエネルギーの影響を受けづらい状態になっていきます。
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ユンソナとコンソメの間で揺れる微妙な感じ。
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コメント ( 88 ) | Trackback ( )
« 座禅和讃 | フラクタル » |
参考程度に聞いておきます。
僕の今読んでる本(レナードジェイコブさんの「今この瞬間」への旅)とシンクロしてて驚きました。
でも、この手の内容は僕の中の誰かが邪魔してスッと入って来ないです。
講演会でも、自我が暴走しだしてあんまり話覚えてないし。
何回も読み直してみます。
物凄い良くわかりました!(◎_◎;)
萌えました
(`・ω・´)キリッ!
ゲシュタルト崩壊みたいw
“ユンソナコンソメ”もためになりました(笑)。
今まで感情について学んできた内容が腑に落ちました。
ちなみに・・・
“(21)”を素早く書くと,“ロリ”に見えます。
この頃急に、ネガティブな感情が物凄い勢いで湧き出てくるのでどうしたんだろう?と戸惑っていました。
今日の記事を読んで、今まで冷凍保存されてた感情が、一気に溶けて表に出てきたんだなと納得しました。
(きっかけらしき心あたりも多少あります)
しかしその感情の処理は難しいですね。
正直、時々押し潰されそうになります。
昨日ははじめましてのご挨拶もなく、全然リラックスなしでコメントしてしまってすみませんでした。
私は法要の時の坊さんのあまりに上から目線の態度にかなり反応していた(いる)のだと気づきました。
坊さんも黒斎さんの記事もサインですね。
昨日ミスチルがぐるぐる回っとったのはこれか・・。
先日、コンソメとブイヨンの違いをはじめて知りました。
苦しみに向き合えば、なーんだそうなのかって気付きがある。
そう考えると、苦しみはそこに注目させたいサインなにかもね。
ひとつじゃ無いかもしれないという苦しみから、
なーんだひとつじゃんというのに似てるね。
よくでます、を変換すると、欲で増す、
怒りのエネルギーは外側にぶつけることなく感じきるのですよね。
でも怒りのエネルギーを感じきるって・・
悪いこと考えるとネガティブなエネルギーがネガティブな事象を引き寄せることになりませんか?
機会があれば方便とか具体例で教えていただければ嬉しいです。
嫉妬という感情をどう感じ切ればよいのか。。
怒りを相手にぶつけることなく味わうっていうのは、具体的にはどうすることなのでしょう?
ある人、ある事象によって引き起こされた怒りを今怒りという感情が来ていると、怒りのエネルギーを俯瞰することなんでしょうか?
それとも怒りをある人にはぶつけないけれども、たとえば枕なんかを思い切り殴ったりして、スカッとすることなんでしょうか?(あるブログではそうやって怒りのエネルギーを昇華させるとありますが)
もしよければご教示いただければ幸いです。
14日に母の癌がわかってから、このブログが毎日更新されていることに感謝しています。
おかげさまで、少しずつ落ち着いてきました。
今日まで我慢していた感情を素直に解放したいと思います。
お疲れ様です。
あれこれ考えてもわからんので、
文章を読んで感じることにします。
>「感じる」というのは、その存在を受け入れるという自己処理であり、いわば「味わい」に近いものです。
わー、深い~~。
ずっと精神世界を探求してきた知り合いは、よく、
「いつかの借金を、今、取りに来たとおもって
待っててくれてありがとうという気持ちで
受け止めなさい」といってました。
リンクしました~
つまり色々と「来る感情」を【感じきる】ことは、
今!戦争が起こってる人の「悲しい感情」「苦しい感情」「怒りの感情」「悔しい感情」「憎む感情」などなども、
【感じきる】ことで、世界中の人の感情も消すことができるのですねぇ・・・
つまり戦争も終わるのですね。
素晴らしいです。
ありがとうございます。
感情の浄化
ですね。
ごちゃごちゃ考えず、
ただただ感じ尽くす
ですね。
簡単そうに思えますが、
相当辛いですね、
向き合うこと、感じ尽くすこと。
あ、でも
外側に翻弄される人生から
抜けるには
これしか
ないですね。
まず、いまここ、
リラックスですね(´・_・`)きものきもの
今日、自分のブログに感情の解放について書いたばかりだったので、シンクロに驚くとともに、感謝感激です。(^^)
昔から感情をため込んできたことを自覚していたのですが、どう対応してよいか分からないままでした。
ここまできて、ようやく分かりかけてきたように思います。
「味わう」という表現、いいですね。
いつも分かりやすくて、納得です。
ありがとうございます。
ユンソナとコンソメ、確かに微妙に似てますね。
そうなんですね!
なんだか、すとんと落ちました。
「○○だった過去世、そのカルマの解消」というのが、自分の体感とはなんか違うと常々思っていたのが、すっきりしました。
自分もその一部だったかも知れないものの記憶が、たまたま自分のところに来ているような感じでしょうか。
…それらが昇華した時だったと思います
何だか無性に…ありがとうございます!!
味わいつくそうとすれば、味がなくなるまでその心地に浸るのみ、というかんじでしょうか。
> そのエネルギーが外側に向けば「攻撃」となり、内側に向けば「自傷」となります。
今、増えているウツについてもなにかコメントをいただければうれしいです。
黒齋さんの本棚から何冊か購入しました、どれもわかりやすすぎ。
でも、黒齋さんの本が一番はいりやすかったです。
執筆頑張ってください。買いますよ。目指せ印税祭り!
今回の記事はまんまそのあたりの考え方ですね。
冷凍保存はトラウマの話でも使われる例えですね。
その中でも、表現として「未消化・消化」「味わう」という言い方を好んで私はしていますが、コクサイさん、私と好みが似てるんですかね。
味わうで思い出しましたが、以前、心理士として教員向けに研修会の講師を務めた時に、内容は一任されていたので、相手(児童)および自分を理解するという名目のもと「味わいのワーク」という完全オリジナルワークをやったことがあります。
内容は秘密ですが、ある仕掛けを作りそれぞれが体験してシェアするものにしました。
エッセンスとして、相手や自分を理解する(向き合う)とは、味わうということですよってことで。
で、ワークは簡単で抵抗の少ないものにしましたが、やはり味わうということを素直にできる方、十分にできる方と、ほとんどできない方(というより、できなくなってしまった方)がいましたね。
まんま「味わってください」と伝えていましたが、分析・批評に限りなく近くなってしまっている方もいましたね。
有り難うございますm(__)m
感じきらないとしこりとして残っているんですね。多分しこりだらけですわ(>_<)
疑問があるんですけど瞑想はなぜにカルマの解放に役立つんですか? プロセスがちょっとわからないんです。
雲黒斎さんのつぶやきを見て、もともとあった漠然とした不安が、パニック障害という形になって表れたのだと分かりました。
私は昔から、感受性が強かったのか、不安で不安で何かあるたびに泣いていました。
そんな私を見て、家族がとても困っているのをみて、抑圧してしまったんです。
不安は幻ですね。
受けいれ、流していく練習をしたいとおもいます。
ありがとうございました。
今日何も考えずにガビーンってなってたから、成功したかも!
溜ってたんですね~。
感じきることをずっと避けていたように思います。だからか、方法がよくわかりません。
勇気や体力もいる気がします(>_<)
メッセージがこころにスーっと入ってきて、リトリートを受けている状態になります。
すべての感情を味わいつくす=受け入れる
すべてのエネルギーブロックがなくなって、そのエネルギーをブロックするのに使っていた膨大なエネルギーがあるがままの状態で流れたら、一体どんな感じになるのでしょう??
うわぁ~楽しみだぁ^^*
はじめまして。
私も最近、感情を感じて解放することの重要性についての記事を書いていました。
11月17日の記事「抑圧していた感情を感じつくすと、そこに感情を超越した『私』が残ります」とほとんど同じ内容でしたので、うれしくなりました。
昨日カキコミした後もずっと考えていたのですけど、今日のお話でやっと合点がいきました!
怒っていたのです。
ずっとずっと。小さい頃からずっと怒ってて。
それを今まで出しちゃいけないってずっと隠してたのに気がつきました。
(感情を出すと親にひどく怒られたので)
で、一通り怒った後、出て来たのは
「あいされたい」
という願いでした。執念に似た。
「あいされたい」というこの思考(エゴ?)の為に今までずっと自分に我慢を強いていました。
「あいされたい」という欲を叶える為に
美人で痩せてて優しくて頭が良くて明るくて穏やかで…
という人間にならなければと今日まで死に物狂いでした。
その為に気力体力財力知力精神力延々…つぎ込んで
ぼろぼろでへとへとで、
ついにはもう枯れる、もう終わる、と思う程疲れ果てた自分だけが残って
結局、何も手に入らなかった。
頑張ったのにまだ手に入らない!って怒ってた。
そして「あいされたい」という状況のみが
ますます強調されるばかりで。
(引き寄せの法則ですね!)
今までの人生のほとんどをこの「あいされたい」という魔性の女(?)につぎ込んで
今、すっからかんですよ。
でも、気付いた、やっと気付けた。
本を読んだりブログを読んだり頭だけでは理解してたけど、
こいつのせいだ!って今日リアルに気付きました。
という訳で「あいされたい」というのは手放すことにしました
そして
思うような形では愛されてないかもしれないけど
幸せになってもいいんだよね
とりあえず。
ありがと。本当にありがとう黒斎さん。そしてここにいるみなさまも。
なんか、どっと疲れが出ました^^;
怒りや悲しみを人はよく押さえつけて
蓋をしようとしますが
本当は、それらを感じきるということが大事なのですね。
この肉体には、他人のものも流れてくる。
自分の過去世だけのものじゃない。
コクサイさんの説明はわかりやすくていいです。
自分の感情も制御できないとか人としてまじありえな~い。
とか思ってたら今日家族に腹をたてる自分がその人のようだった。
人の揚げ足を取ったり馬鹿にする奴にムカついて、そいつの嘘を見破り論破して恥をかかせた。
そいつは相手に自分がしたことと同じことをされて居場所を失った。(まあ私もよい気分では全くないですが・・)
眼に見える現象全て内なる自分が持ってるものとはよく言ったものです。
痛烈に実感する今日この頃。
ブログを見て今日1日感情を感じることにしようと決めて過ごしていました
>ただしそれは、そのエネルギーを何かにぶつけることとは違います。
これは、かなり重要なことだろうなと私は思いました。
その区別がなければ、現実適応上でも余計難しい事態になることもしばしばあるだろうなと思うので。
「溺れる」と「感じきる(能動)」の違いでもありますかね。
ところで、コクサイさん、しばらく前の黒いものの記事で、自我はもう役割をやり遂げている、というようなこと書かれていましたが、これはどういうことですか?
個人的には、あまり見たことない考えでしたし、この記事のように、意識が意識を知るために、様々な事象を感じている・味わっている最中だと思いますが。
時間の概念を考えなければ、自我は発生したその瞬間に、既にその役割を終えているということでしょうかね。
それらは、僕たちの心の奥深くに蓄積している、それらの感情の存在を思い出させてくれる「スイッチ」や「サイン」なのです。≫
心の奥深くというのは、人類の集合意識に当たるのでしょうか。
この集合意識の世界に漂っているのが感情なんでしょうか。
それを僕等が引寄せたんだと、以前にお聞きした様な気がしてます!?
何度もコメちゃいますが・・・。
一度、怒りの原因を忘れた事があります。
つまり、スイッチなる怒りの原因を忘れて、怒りの炎だけが燃え盛っていた訳です(汗)
本当に内臓が煮えたぎっている様でした(爆汗)
非常に体に悪いと感じましたョ(自爆)
それはまるでやり場の無い激情で、もし長時間その状態だったら気が狂っていたかもデス(冷汗)
だから故に、相手への攻撃を容易に手放す事が出来ないのだと、思われる次第です(嗚呼)
でもそれに変わるものとして黒犀さんの言われる、
≪内在していた怒りや悲しみが湧き出てきたときは、それが出てきた切っ掛けの側を責めるのではなく、自分が本来隔離、保有していたものだという認識のもとで、それらのエネルギーを「感じきる」ということを心がけましょう。≫
この提唱は、怒りの発散としての素晴らしい代替なる言い訳であると、心からそのように思われますデス。
もう怒りを見切った様な気になってますですハイ(謝謝)
<NTTドーモ
起きた出来事に関しての感情は、抑圧しなくていいよ。「あるがままに感じる」「今、心の中で怒ってますとか。悲しんでいるとか。心が感じている状況をいってるのかな。」それをそのまま人にや出来事にはけ口を求めても、問題の解決にはならないとか。そういうことなんですかね。具体例があるとわかりやすいかなと思います。
お願いがあるのですが、携帯から読む時にもう少し字が大きく表示されると読みやすいのです。携帯で字を大きくする操作をしても大きくならないので。。ブログの方なのかな?と思いまして。阿部さんのブログはそのままで読みやすい大きさなのですけど。。。内容と関係ないコメントで、すみません。
ありがとうございました。
最近知った精神科医の泉谷閑示「うつにまつわる24の誤解(http://diamond.jp/category/s-izumiya)」という記事も面白かったです。“魂”の領域までは触れてませんが、心の図解がシンプルで判りやすいです。参考までに。また、私は氏の提唱する「心の吐き出しノート」をつけてます。最初は「?」だったりするけど外側に向けられた怒りは、自分の悪い癖の代弁だったりします。ずいぶん、助けられました。また、考えたり感じたままではその感覚が流れてしまいます。書くことによってその感覚を定着させる事が大切なんですって。
はぴはぴも携帯なんですけど、文字サイズ大きくできますよ。
はぴはぴは、auなんですけどezwebの文字サイズ変更したらいいだけですよ。
もしやり方が分からなければ携帯電話のショップに携帯持って行って画面見せて相談されてみてはいかがですか?
はぴはぴも機種変更したら、使い方がよく分かんなかったけど、ショップで相談しても分からなくて店員さんがコールセンターみたいなトコに問い合わせて調べて、ちゃんと設定しなおしてくれましたよ。
はぴはぴも2週間ぐらい悩んでも操作が一部、分からなかったけど、ショップ持って行ったらすぐ設定変えてくれました。
悩んでたのがバカみたいでした。
あんなに簡単に直るなら、もっと早く相談に行けば良かったです。
先日、娘にマジギレしました。
それは、日頃の娘への我慢が限界を超えたからだったのですが、何のためだったのか分からなくて、色々と考えていたところでした。この記事を読んで納得しました。
私は私の鬱積した感情をどうにかしたかったのですね。。なるほど。。
結果は娘をコテンパンに攻撃して、今も口をきいてないという最悪なかんじです。
もう、いい加減、冷静になりたいと思っていましたので、自分の潜在意識さんと折り合いをつけますね!
ありがとうございました。
喜びなのどの感情を表現するのはかわいいですし周囲の人も明るくなる気がしますが、怒りや嫌な感情は表現されると嫌な気分になります。嫌な感情は自分の中だけで感じ表には特に人を相手に表現しない方が良いのでしょうか?それとも素直に感じた事を表現するのは良いことなのでしょうか?たまにわからなくなります。
それは、あなたが決める事です、なので、私は黒斎さんの文章を高圧的だとは、受け止めません。
なすりつけ~、私もつい、やっちゃいますね~。
こんな気持ちになるのは○○のせいだ!とか。
でも、そう受け止めたのも自分ですもんね。
そういう時って、そう受け止めたのも自分、って自覚がないっていうか・・・。責任を他になすりつけちゃってるんですよね~。もったいない。あー。もったいない。責任なすりつけてるもんだから、自分にパワーが無いと思ってしまう。だから、そのエネルギーも使えない。
でも、自己責任なら、その怒りや悲しみなどのエネルギーも自分の好きなように変換して、使っていける。
だから今ここにくつろいでるときはフルパワーが出せるのかも。
あ。ツイッター、中国からは見れないので、今日みたいに、補足とか、tweet纏まったものupしていただけたら嬉しいです。
ユンソナとコンソメ・・・。もやっとします。
怒っている自分、悲しんでいる自分、恨んでいる自分などなど。。。。
これを
地球からでて、地球を見つめる
するとねっ
ん?いまこの感情を見つめているのが本当の自分なの?
って気付くよ
もしこのイメージでも難しかったら
足元に「豆」かなにか「小さな物」を置いて
立って上から、その「豆」かなにか「小さな物」を【感じている自分だ】と思って見つめてみるといいよ。
するとね♪
今!立って見つめているのが本当の自分なのか~
今!地球から出て、地球の中の「ちいちゃな自分」を見てるんだなぁ~って わかるよ。
でね♪じーーーーっと、その不安がってるちいちゃな自分を見つめているうちに
感じている「その感情」は消えてくよ。
苦しいのも、悲しいのも、切ないのも、不安なのも・・ぜ~んぶ消えるよ
ここもいいよ\(^o^)/
今回のお話しもとても分かりやすかったのですが
自分に置き換えるとなると難しいです。
今自分の中でネックになっている思いは
‘本当は~したい’という思いによる妬みや歪んだ気持ちです。
でもそれもはっきりした感情というより
軽く流してしまえるほどのものなので
一番クリアにしたい問題なのに向き合う前に自動的に冷凍保存されてる気がします。
それを自動処理される前にキャッチして味わえば
解放されていくのでしょうか…
ちょっと考え過ぎてしまいました。
今までの自分はどうだったか、過去溜めていたものは何か
そちらに焦点がいってしまいましたが
今起こること、今の感情を味わっていけば良いだけですよね
それから相手の感情も冷凍保存されないように
一緒に味わいたいと思います。
誰かに起きることも感情もわたしの事ですよね
アリガトー。
期待してます(謝謝)
<NTTドーモ
奈落から這い上がった経験はあっても、灰色がかった現実は、なかなか変化しません。
けれど、確実に私の心が出口に近づきつつあるのだけは、出口を求めてこのブログを発見したのだけは、自覚できます。
こちらこそ
ありがとっ♪
説得力ありますね。
あらゆる事象がその中立性を奪われ、あらゆる問題に発展するその流れは、事象に「抽象性」を持たせるということによって生まれているのだ。
こっちでもまぁ説得力ありません?
何時も素晴らしい内容の記事をありがとうございます。
最後まで真剣に読んで・・・読んで・・・
最後の最後の最後に・・・・
「コンソメ」の落ちに吹っ飛びました(爆笑)
で、あんまり怒らないし鬱積させないようにしてるっすよ。
おいらが今とっても気にしてることは、
どうしてお嬢さんが黒斎さんの似顔絵だけああ描いたのか、っすね。
黒斎さん、よくお嬢さんと遊んでらっしゃると思うんだけど。
なんでかな?
ある人がやりたい放題、悪の限りを尽くして、別の魂にその清算を頼むことができるということでしょうか?
こんな理不尽なシステムであるとは思えないのですが・・・
黒斎さんは解りやすく説明してくれるからならば具体性を示してもっと②噛み砕ける答えを出す、と思われるんじゃないでしょうか…
今の黒斎さんのスタイルがいいんですけどね~、個人的には
もしハウス先生なら型に嵌まった答えなんかぜーーーってぇ出さねぇからな
(…あ、もしは無いとwwこれはフィクションのもしという事で~
王道でも邪道でもない、中道の黒斎さんがいいんですよ~
あのぅ・・・くだらない話なのですが
黙って座ればピタリと当たる!みたいな水野南北さんみたいに
黙って見ればピタリと悟る!みたいなDVDを次回はお願いします(笑)
環境や人が変わっても、いつも同じようなことが起きて、同じように悩むことが。
辛かったのは、辛いことが、どんどんエスカレートしていってるような嫌な感じです。
私の場合、関係のない家族に感情を爆発させてしまい、一時的に解放感を味わったような気になってました。
でも、解放されてなかったんですね。
黒斉さんも阿部さんも、目からウロコのお話でお陰様様なんですが
最近、お二人に接すれば接するほど思うことが
「そこまで回答教えてくれるなら、『辿り着き方』を教えてください!」です。
方法というか。。道のりというか。。
それは「瞑想する」こと?
「リラックスする」こと?
イマイチ、今いる位置からだと最後ががツンと掴めません。
自我社会育ちは「具体性」求めると思います(笑)
その「方法」は様々なんで各々で見つけなさい
てことなんですかねぇ。。
あくまでガイドですてことですかね。
六本木のあおい書店で吸い寄せられるかのように、黒斎さんの本に出会いました。
本は勿論ブログもここまで読みきりました。
何もかもうまくいかず、自暴自棄になっていた私ですが、本を読んで、少しずつ考えが変わり、気持ちも楽になりつつあるように思います。ありがとうございます。
ひとつ。
真剣に怒る…というのがイマイチわかりません。
怒る時って、必ず対象者がいて起こる(怒る)ことだと思うんですが、どのように真剣に怒ると良いんでしょうか?教えて下さい!!
その運命を「感じる、味わう」気持で
臨むのは「不安」です
「感じる、味わう」気持は
感じたままで、無防備です
脳は、危機に瀕したとき、フルに働きますし
日頃、予期不安のシュミレーションや、
未知への闘争心を奮い立たせ対応しています
そうじゃなくても
あんがいうまくいってしまうのが
不思議ですが
準備は大丈夫なのか?との
「不安」な想いが
残ります
2011-11-18 10:52:13
抵抗反応といえば、最近、じんましんがよくでます。
よくでます、を変換すると、欲で増す、
うまい! 天才でしょうか。?
さんとーる さんにおコメ一俵。
へミシングという特定の音の周波数を組み合わせることにより、人の意識状態のコントロールを可能にする音響技術があるそうです。
他にも、アルファ波発生装置というのが有ります。
いずれも音によって脳波を変えていく機械です。
ボブ・フィックスさんは、ガンマ波が悟りの脳波だと言ってるようです。
ガンマ波発生装置、よろしくお願い(爆笑)
<ソフトパンク
私の場合は、ある人がする行為に怒りを感じて
いますが、相手にそれを言うことができない立場です。
独り言で文句を言ったり、普通はこうするものでしょう!と常識を語ってみたりしています。
これでは怒りを感じきることはできないと自覚はしています。
でも、どうしたらいいのかわからないんです。
また、不安な感情はどう感じきればいいのでしょうか?
超!おすすめです
なるほど。ふぅ~ん。
納得です。私の自我からの質問も浮かんできません。
ブックマークしておきます。
ありがとうございました。
このラジオもいいよ
>いわゆる「目覚め」や「さとり」と呼ばれる状態は、・・歪んだ感情エネルギーの影響を受けづらくなったものです。
と、
>数々の感情が解放されるたびに、僕たちはそれらのエネルギーの影響を受けづらい状態になっていきます。
の目覚めやさとり と 解放が同じものとは言っていないように思うのうですが。
自分のものでない自動凍結したものがたまに表面にでてきて嫌な思いをするのを味わいつくすという作業を続ければさとれるってわけなのですか?
人類全体からしたら、悟った人たちが率先して味わいつくしてくれれば記憶の解放はすすみそうなもんですが。
なんか皆さん素直で、ただ解放する為の方法ばかりもとめて、修行僧のようなんですが。素直じゃない自分としてはあれって思うことが沢山あると思うのですが。
そんな自分にイライラして迷走しているのですが
迷走したら瞑想が一番☆
普段ダジャレを言わない自分がダジャレを言い出していて
何だか不思議な感じになってます。
黒斉さんの記事内容は、うんうんすごくよく分かる♪
冷凍保存したら嫌な感情が出て来たら
ぁぁ、私、怒ってるなぁ
こうして怒りの感情を出したかったから
今この状況があるんだなぁ…
深呼吸しながら、怒りを味わえばいいんだ。
って思うし、実践するのですが
次の瞬間から
どうして怒りの感情が出てくるんだろう
自分がこうだから、この事で怒りの感情が出るのかな
味わうって何?
今やってる方法で合ってるのかな…
と余計な思考が押し寄せてきて
頭ん中大混乱です。
そして混乱する自分にイライラ…
最終的に、さっぱり分からない!!
という気持ちになってしまいます。
時間が経つと自分なりの解釈になって
黒斉さんの言ってる内容から離れてしまうので
何度も読み直したいと思います(涙)
‘まぼろし’の記事から、必要以上に迷走&混乱してる気がします
頭で理解しようとすることが一番の障害だと思うのですが。だって味わいを頭で理解してますか?
理解をしようとしたらそれはすでに自我の真骨頂。だからみなさん、感じることを重要な感じでお話しされるのだと思います。
しいて挙げれば、黒斎さんのような方々は、複数の点で3次元、4次元、高次元を示そうとされているような状態。それを読者の方々は点を見たときに、「これを結んでいけば線がわかる」「面がわかる」と思っていると思うのうですが、実際はもっともっと高次元を示しているものだから、かならずずれがあるはず。そのずれを無理やり自分の中で理論づけても意味のないこと。だから、そのずれからこそ全体を感じてみてはいかがでしょうか。
と思っていてなかなか出来ないのが現実。上からで申し訳ありませんでした。
けど感じたあとわ
どおすればいいの?
その意識は~各自の解釈や視点で違ってくる。
自分と他人
分離の精神が敵を作り仲間を作る。。
この幻想の世界はすべて鏡
今~瞬間に
目に映る~視覚
耳で聞く~聴覚
鼻で嗅ぐ匂い~臭覚
舌で味わう~味覚
皮膚が感じる~触覚(皮膚感覚)
全ての~物~者~は
自らが想像して創造~創り上げている
この五感の次に第六感がいわゆる~未来を読み出す感覚
この第六感は全ての人に備わっている
ただ~妄想~自我~エゴに囚われると
オウム事件のような結末を引き寄せる
麻原さんは初めはいい人でした(笑)^^:
彼は事件を起こす前
チベットの覚者ダライラマさんに
君は日本を救い~世界を統一する人物だと絶賛された。
しかし。。。
http://www.youtube.com/watch?v=BCu_dTzZ3DA
推測するには
ダライラマさん~を含め~チベットの長老様たちに
多額のお布施が有ったんだと?
金か~~
そういえば
過去にオウム入信のお誘いがありました。。
かれこれ~30年ほど前~
当時~色々有って~救いをもとめていたんだな~回想シーン。。。
では~なぜ?麻原さんは180度変容したか????
思うに~政治活動で惨敗し~それが引き金になり~
事件を連発した。
彼はエゴ~自我がものすごく強く
とんでもない~波動(エネルギー)が有る。
もし~彼が政治家になっていたら~
この日本を良いほうに変えていたかもしれない?
しかし~彼は
波動(エネルギー)は世界を征服するという
エゴ~自我の波動(エネルギー)に注ぎ込まれた。
人間は~真逆に振れる要素は誰にでも存在する。。
人のせい~物のせい~日本のせい~地球のせい
自らのエゴが敵~味方と分離を起こし
傲慢に
彼だけではなく~真逆に振れる要素は多かれ~少なかれ~誰にでも存在する。
この私にも・・・
麻原さんは有る意味(でなければあれだけの頭脳明晰の信者を捕りこめない)
覚者である。
彼は死の世界に自らを選らんで~死刑になる。
彼の描いた~シナリオ通りなんだろう。
彼の死は喜びに満ち溢れているように感じる。。
彼の来世をチャネリングすると~生まれ変わりは有るか~無いか分からないが
もし?生まれ変わりが有るとしたら~彼は世界を統一する人物になるかも?
おっと~妄想した~(笑)
彼はメッセンジャ~~エゴの肥大が招いた~陰のメッセンジャー
すべての人類に告げる
メッセンジャーである。。
皆様どうお感じですか?
もう30年近く前の話ですが、絶食道場に行きました。
太った方だけではなく、細い方も多かったのですが、
そういう方は、虚弱な体質の人が多かったです。
そういう方の場合、食べることをやめると、肝臓に蓄積された、未処理の毒素を処理し始めるので、絶食を始めてしばらくしたら体調不良に陥ることが多かったです。俗に言う好転反応らしく、持病の悪化や、神経痛や吹き出物など、しばらくすると勝手に治ってまうのですが。
元々、食物にちょっと入っている体によくない成分を肝臓が分解、していけばいいのですが、肝臓の能力が追いつかない場合に、後から入ってきたものから分解するので 古いものが蓄積、溜めるだけでも肝臓には負担がかかるので、分解能力が落ちる、のでまた溜まっていく・・・・
一時的に入ってくる食毒が無くなると、在庫の分解を始めるので、溜まっている量が多いほど体の変調が激しく出やすい。
でもそれが終われば、体が楽になる。
だとしたら、・・・
生きるということは、消化器と肝臓を合わせたようなものなのかなと?
要らない毒素が?
って 想像してしまいました。
面白いお話ですね。
興味深く読ませてもらいました。
>一時的に入ってくる食毒が無くなると、在庫の分解を始めるので、溜まっている量が多いほど体の変調が激しく出やすい。
でもそれが終われば、体が楽になる。
↑は心の話でも同じなんだろうなと思いました。
ただ、それでもしばらく経てば結局また食べていく、新たな刺激を味わいながら、(とりあえずは)またこの世の中で生きていく、ということになるんでしょうけどね。
その繰り返しですね。
私のおすすめは「フォーカシング」というテクニックです。津留さんなどの「意識をそそぐ」とかよりも、個人的にはフォーカシングの方がずっとしっくりきました。一口で言えば、感情と対話して完結するテクニックです。本も出ていますが、人によっては本からでは学びにくい方もおられるようですが。
本当にすいません。何処かに誰かに経緯を話したくて真似をしてブログ作ったんですが、本当におかしな人となってしまいそうで…。
話しながらも自信も確信もまだ無いものを誰が読んでくれるのかも分からず、またこうして甘えさせて頂いています。
読み進めながら、今理解できないものはタブで開いて置いているんですが 今日読んだこの投稿が今日起きて。嬉しくてこの時間です。
色々気づけたことが嬉しくて、
使命が自分にもあるなら知りたいと ちょっと先日アカシックに入ってみたんです。
そしたら声は聞こえたんですけど…
「○○ちゃん泥々(笑)」
とか言うんです。
今ココ に歓喜しているのになんでやねんと。
泥々は無いでしょって(笑)
前よりマシでしょって(笑)
けれど低級霊だと、もっともそれらしいことを言ってくるというのを何処かで見たので変に安心はしたんですが。
そうしたら本日ずっと向き合わなかったトラウマ?相手のせいにしていたカルマが大中小あったんですが、向き合えました。軽く10年物とかです。
確かに泥々だったかもなあと、そして負の使命?みたいなものを放置して、使命教えては無いよねぇと。納得しました。
あとは泥々発言の後に「全然食べる時間がない」って聞こえましたけれど、もうそれはそれは意味が分からないです。
調べたところ感謝は食べられる…様です。
この記事は、大変わかりやすく、
過不足なく書かれいて素晴らしいと思いました。
このまま娘達に送らせていただきます。
本当にありがとうございます。