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かけ算

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さて、今日も引き続き苦しみの話題で進行してみたいと思います。

先日、コメント欄にこのような書き込みを頂きました。


はなさんから頂いたコメントです。

*****

世界には日本で考えられないような、飢餓や戦争で子供たちが死んでいますが、こんな極端な苦しみも自分で求めて生まれたんですか?

*****


これに対し雲さんは、『YESとも言えないし、NOとも言えない』と答えます。

また、説明を行おうと言葉にすると『YESとも言えるし、NOとも言える』となってしまいます。

厳密には答えようのない質問なのですが、今日は無理を承知でこのご質問に返答してみたいと思います。


まず、一つ目のアプローチ。

「存在」の根源をたどると、「私たちは生まれたことも、死んだこともない、一つの同じもの」、という次元に行き着きます。

その次元から見ると、何かと分離されて存在するパーソナリティそのものがないので、「生まれてきた」というその前提自体があり得なくなり、答える以前に「質問自体がナンセンス」ということになってしまいます。


2つめのアプローチでは、「苦しみを求めて生まれてきた」を「YES」としてみましょう。

飢餓や戦争に限らず、そのような環境にない者にとっても苦しみは必ずついてまわります。

飢餓や戦争といった状態ではなく、物質的にも環境的にも恵まれているここ日本においても、悩みや問題だらけです。

頂いた質問では戦争や飢餓を「極端な苦しみ」と表現されていましたが、それらと無縁な生活を送れる日本において、自ら命を絶ってしまう方が後を絶たないのも、同様に「極端な苦しみ」があるからこそではないでしょうか。

問題の対象に違いがあったとしても、結局人生は苦しい。

そんな世界に存在している我々の理不尽さをどう説明するのかと言うことは、先日のエントリ「ゲーム」で書かせていただいた通りです。


3つめのアプローチは、「我々は、苦しみを求めて生まれてきたわけではない」という方向でお話を進めてみましょう。

ここからは、先日の「苦しみの源泉」の続きです。

まずは、その時の会話を振り返ってみましょう。


(  ̄Д ̄) 『苦しみは、どこから生まれると思う?』

( ̄^ ̄ )「う~ん。やっぱりあれですか、不満とか、不安とか、そういうこと?」

(  ̄Д ̄) 『いや、苦しみの源泉は、そのもっと前にあるんだ』

( ̄д ̄ ) 「もっと前?」

(  ̄Д ̄) 『不満や不安を感じるのは、「その不満や不安を感じている自分がいる」というのが前提にあるんだよ』

( ̄д ̄;) 「ま、そりゃそうですけど…」

(  ̄Д ̄) 『他者や外界から区別して意識される自分。その「自意識」が苦しみを生み、そしてその「自意識自身」が苦しみを感じているんだ。それを「自我」っていうんだけどね』

( ̄д ̄ ) 「???」

(  ̄Д ̄) 『「私とあなたは違う」という、その感覚が苦しみの起点になるんだ』

( ̄д ̄;) 「つまり、その~、“自我こそが苦しみである”と、言いたいのはそういうこと?」

(  ̄Д ̄) 『いや、そうじゃない。自我は、「苦しみの起点」であっても、「苦しみそのもの」じゃないんだ』





(  ̄Д ̄) 『「自我」は、「自」と「他」が存在するという分離意識によって生じる。しかし、「分離している」というそのこと自体が苦を生み出しているワケではないんだ。この「分離感」に「恐れ」が付加されたときに苦が生まれるんだ』


「分離感」×「恐れ」=「苦しみ」


(  ̄Д ̄) 『分離感(自我)が強まれば強まるほど、小さな恐れでも深い苦しみとなる。また、分離感が弱くても、大きな恐れがあれば苦しみは深まる』

Σ( ̄д ̄ ) 「ほう!なるほど!」

(  ̄Д ̄) 『分離感と恐れは別のものではない。必ずセットで存在している。分離感があるからこそ恐れが生まれ、恐れがあるからこそ分離感が強まる』

( ̄д ̄ ) 「この式を、人間が“生まれる”という次元で応用すると…」

(  ̄Д ̄) 『子が生まれるとき、その子の分離感は0に近い。物理的に考えても、子は母と「一つの同じもの」から始まる。そして、成長とともに「自」と「他」という分離認識を強めていく。そこに、大人達が「恐れ」を示すことで、この分離感は苦しみを導き出す。その苦しみを元に新たな恐れが生まれ、分離感はさらに強くなる。

子供達は、分離意識が高まった大人達の前で「0」を示してくれる神聖な存在だ。恐れに飲まれた大人達に、その選択の過ちを教えてくれる存在だ。子供達は皆、そのことを教えてくれるために生まれてくる』


☆今日のマイケル☆




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無くならない苦しみ

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<( ̄д ̄ )/ 「フォーーー!」


ども。こんにちは。

「MJ」のモノマネをすれど、「HG?」と思われがちな男です。


ということで続きを。

苦しみをテーマに話をしていた僕と雲さん。

そこから話は、マイケル方向へと進んでいきました。





世界は、数え切れない苦しみを抱え続けています。

これまで沢山の方がコメント欄で記載されているように、世界には、まだまだ日本では考えられないような悲劇が展開されています。

近年では、2003年3月から始まったイラク戦争は正規軍同士の戦闘は終了したといえど、現在もなお武力紛争が継続しています。

また逆に、平和国家といわれるここ日本においても、そのような紛争地域や、貧困にあえぐ地域から見たら、考えられない悲劇が展開されています。

自殺者が10数年連続で3万人を上回り、何十万人もの人々がみずから命を絶っています。その数は、イラク戦争で死亡したイラク民間人の死者数をも軽く上回ってしまいます。

環境や状況に関係なく、世界はとても大きな苦しみを抱えたままです。


(  ̄Д ̄) 『戦争・飢餓・虐待・自殺・etc...誰の目から見ても悲惨な状態になっている世界。しかしながら、その状況を改善するにいたった者は、いまだ誰一人として現れていないね。この地上に、釈迦が現れても、イエスが現れても、マザー・テレサが現れても、ガンジーが現れても、ラマナ・マハルシが現れても、エックハルト・トールが現れても、ニール・ドナルド・ウォルシュが現れても、阿部敏郎が現れても、いまだそれらの苦しみは在り続けている。なぜだろう』

( ̄д ̄;) 「なぜでしょう?」

(  ̄Д ̄) 『それは、一人ひとりが「苦しめられている自分」であることに執着し、苦しみを手放すことを拒絶してしまっているからに他ならない。「犠牲者」という名を語った「加害者」であることに気づいていないんだ。気づいてもなお、加害者であることを選択し続けてしまっているからだよ。世界に平和をもたらしたいのなら、まずはその方法を理解しなければならない。自分が加害者であったことを受け入れなければならない。世界から苦悩を取り除きたいのなら、まずは自分の苦悩を取り除くすべを知らなければならない。苦悩を取り除くすべを知るためには、その苦悩がなぜ生まれるのかを知らなければならない。苦悩がなぜ生まれるのかを知るために、お前は実体験として苦悩そのものを経験した』

Σ( ̄д ̄;)

(  ̄Д ̄) 『次は、今の話を遡る段階だ。苦悩そのものを経験し、それがどう生まれたのかを理解し、新たな苦悩を生まず、抱えていた苦悩を手放す。個人的な苦悩を手放すすべを知らない者が、世界の苦悩を取り除くことができるものか。マイケル・ジャクソンも歌っていただろう』

( ̄д ̄;) 「マイケル・ジャクソン?」

(  ̄Д ̄) 『まずは、鏡の中の男からだ』






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苦しみの源泉

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このところ、色々な方から「最近の黒斎さんは、なんだか一皮むけましたね」なんてことを言われる様になったのですが、いえいえ、全然そんなことはありません。

折角むけた一皮も、ちょっとしたことで元通り。

ナイーブでデリケートな僕は、また厚い皮をかぶって日常へと戻ってしまいます。

今もそうなんです。

実は、つい先ほどまで雲さんといい具合にコンタクトがとれていました。

そして、「うん。今日はこのテーマで書こうね」という話をしていたんです。

自分で言うのもなんですけど、すごくいい話でした。

が。

さて書こうとPCの前に向かったとたん、そのインスピレーションがプツンと途絶えてしまったんです(笑)

話の概略は何となく覚えているのですが…

と、いうことで。

どこまで思い出せるかはわかりませんが、今日は「苦しみの源泉」というテーマでお話をすすめてみたいと思います。


あ、すみません。またご挨拶が遅れてしまいました。

こんにちは。黒斎(仮性包茎)です。


※「一皮むけましたね」というメッセージ同様、「最近の黒斎さんの品行方正ぶりが目に余ります!」というご意見も多数寄せられておりましたので、しょうがなく下ネタを復活させてみました。(自分の品のなさを棚に上げて責任転嫁中)





(  ̄Д ̄) 『なぁ黒斎。ちょっと、話のアプローチを変えてみよう』

( ̄д ̄ ) 「はぁ、それは構いませんけども、どういう話にするんです?」

(  ̄Д ̄) 『うん。先日した話に引き続いて、「苦しみ」にスポットを当ててみようと思うんだ』

( ̄д ̄ ) 「苦しみですか」

(  ̄Д ̄) 『苦しみは、どこから生まれると思う?』

( ̄^ ̄ )「う~ん。やっぱりあれですか、不満とか、不安とか、そういうこと?」

(  ̄Д ̄) 『いや、苦しみの源泉は、そのもっと前にあるんだ』

( ̄д ̄ ) 「もっと前?」

(  ̄Д ̄) 『不満や不安を感じるのは、「その不満や不安を感じている自分がいる」というのが前提にあるんだよ』

( ̄д ̄;) 「ま、そりゃそうですけど…」

(  ̄Д ̄) 『他者や外界から区別して意識される自分。その「自意識」が苦しみを生み、そしてその「自意識自身」が苦しみを感じているんだ。それを「自我」っていうんだけどね』

( ̄д ̄ ) 「???」

(  ̄Д ̄) 『「私とあなたは違う」という、その感覚が苦しみの起点になるんだ』

( ̄д ̄;) 「つまり、その~、“自我こそが苦しみである”と、言いたいのはそういうこと?」

(  ̄Д ̄) 『いや、そうじゃない。自我は、「苦しみの起点」であっても、「苦しみそのもの」じゃないんだ』

( ̄д ̄ ) 「???」

(  ̄Д ̄) 『「私とあなたは違う」という、その感覚を「問題」にしたときに苦しみが生まれるんだ』

ヾ( ̄д ̄;) 「ちょ、ちょっと待って。まず、“自意識を問題化する”というそのことが、何を指しているのかがわからないんです。抽象的な話じゃなく、もう少し具体的な話になりませんか」

(  ̄Д ̄) 『具体的に…。う~ん、そうだなぁ。じゃあこういう言い方にしよう。「自我・自意識」が問題になるその一つとしては、それが「特別になろう」と競争を始めた時なんだ』

( ̄д ̄;) 「自我が特別になろうと競争を始めた時?」

(  ̄Д ̄) 『うん。自分と何かを比べて「私の方が…」と言うときの「が」が、「特別になろうとしている自我」の“我”。問題を生み出す自我は、自分と自分以外のものを比較し、「より私の方が…」と、なにかと優位に立とうとするんだよ。その競争・戦いが苦しみを生むんだ』

( ̄д ̄ ) 「たとえば?」

(  ̄Д ̄) 『知能・経験・容姿・境遇…、優位に立てるならなんでもいいんだ。まず自我は、ストレートに優位に立とうと努力する。「私の方が知能指数が高い」「私の方がより多くの経験を積んでいる」「私の方が容姿端麗である」「私の方がより恵まれている」「私の方がより成長している」というように』

( ̄д ̄ ) 「でも、頑張ったからといって、何でもかんでも優位になれるってことはないですよね」

(  ̄Д ̄) 『だからこそ、そこに第一の苦しみが生まれる。いくら優位に立とうとしても、上には上が現れる。それでも優位性を求める自我は、その戦いに勝てないとわかってもなお、別なアプローチを通して優位性を確保し、敗者になるまいと次の戦略にでる』

( ̄д ̄ ) 「別なアプローチ?」

(  ̄Д ̄) 『「勝者」を捨てて「犠牲者」になるんだ。特別になれるならなんでもいい。だから、「私の方がより恵まれていない」「私の方がより不幸である」といったように、ネガティブな面で特別になろうとする。自我は、その比較によって生まれた特別さをまとったキャラクターとして自分を確立しようとするんだ』

( ̄д ̄;) 「ちょっと待った。さっき、『自我は敗者になるまいとして次の戦略にでる』って言ってましたよね。これってどっぷり敗者なんじゃ…」

(  ̄Д ̄) 『いや、敗者ではない。「犠牲者」なんだ。「被害者」でもいい』

( ̄д ̄;) 「それ、どう違うんですか…?」

(  ̄Д ̄) 『「犠牲者」や「被害者」になることによって優位にたてるんだよ』

( ̄д ̄;) 「???」

(  ̄Д ̄) 『自分が「犠牲者・被害者」であるということは、そこに対立する「加害者」や「自分を不幸にした原因」があるということなんだ。それがあることによって、「悪いのは私ではなく、対立する何かである」というポジションを得られるんだ。対立する何かを「悪」と見なすことで「善」という立場と優越感を得られる。だからこそ、なかなか不幸はなくならない。その優位性を維持するために「苦しめられている自分」であることに執着し、苦しみを手放すことを拒絶してしまうんだ』





そこから、話はマイケル・ジャクソンへと発展していきました。

続く。




【インフォメーション】

大阪・名古屋でのトークライブにお申し込み頂きました方へのお知らせです。

ご入金をいただきました方のなかに、お名前の記載が無いものがございました。

7月14日付けで、お名前の欄に間違って「オフィスドウン」と入力しご入金された覚えのある方は、下記メールアドレスまでご連絡頂ければと思います。

namagusabose@mail.goo.ne.jp

どうぞよろしくお願い致します。



←「これを押すと運がつく」って本当ですか?(参照)
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ひとつ

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大阪・名古屋でのトークライブに沢山のお申し込みありがとうございます。

お申し込み頂きました皆様へは、お申し込みフォームにて入力いただきましたメールアドレスへ返信させていただいております。

返信の届かない方は、アドレスの入力ミス、または、受信拒否設定等の可能性がありますので、下記のアドレスまでメールにてご連絡ください。(お名前と電話番号の記載をお願い致します)

◎9月4日(土)大阪開催分 anokono_osaka@yahoo.co.jp

◎9月5日(日)名古屋開催分 anokono_nagoya@yahoo.co.jp

どうぞよろしくお願い致します。<(_ _ )>


また、画面左側「カテゴリ」の下にトークライブのお知らせスペースを設けました。引き続きお申し込みを受け付けておりますので、コチラからお申し込みください。


さて、先日コメント欄にてこんな質問を頂戴いたしましたので、今日はそのお話を。


希望さんより頂戴したコメント

*****

質問です
以前全ては一つとありましたが、物体も(例えばテレビとかパソコンとか)一つなのですか…?


*****


はい。その通りです。

『すべてはひとつ』というのは、文字通り『すべてはひとつ』です。

ですから、「人間だけ」、「動植物に限って」という話じゃありません。

「無生物」とくくられているものや、人間の能力において観測不能なものも含めた「存在するすべて」です。

そういう意味での『すべてはひとつ』です。


本の中でも書かせていただいた通り、僕がその体験を通じて知ったのは、「生命」に関しての大きな誤解です。

それ以前、僕は「生命」が分断されて存在するものだと思っていました。

佐藤さんの命、鈴木さんの命、犬の命、猫の命、虫の命、植物の命…

そのように、命は沢山あるものなんだと思っていました。

また、「命のあるもの」と「命のないもの」があると思っていました。

多くの方々がそう思うように、鉱物や金属、水や空気など、そういうものは「無生物」として、動物・植物・微生物などを「生物」として捉えていました。

でも、そうじゃなかったんです。

存在するすべては、「たった一つの生命を共有する存在」であることに気づいたんです。


そのことを、僕の本の中では雲さんのセリフとしてこのように書きました。


*****

「世界には、たくさんの命がある」という勘違い・思い込みは、人間が長きにわたりはまっている呪縛だ。

多くの人間は、鈴木さんの命、佐藤さんの命、犬の命、虫の命、植物の命……そうやって、無数の命が存在していると思っている。

でも本当はそうじゃない。おまえの体の細胞が、日々変化しつづけているのと同じことだよ。

伸びた爪を切っても、命はなくならない。髪を切っても、「あぁ、自分が死んだ!」とはならないだろ。

髪を切っても、おまえはおまえとして生きつづけている。

髪の命、爪の命、内臓の命、心臓の命、脳の命、と分かれて存在しているわけじゃない。

爪を生かしているのも、髪を生かしているのも、内臓を生かしているのも、心臓を生かしているのも、脳を生かしているのも、たった一つの同じ命だ。

それと同じように、おまえを動かしているのも、佐藤さんを動かしているのも、鈴木さんを動かしているのも、動植物を動かしているのも、地球を動かしているのも、太陽を動かしているのも、壮大な宇宙全体を動かしているのも、同じ命だ!

命はたった一つしかないんだよ。そして、その命、生命そのものが、おまえの本来の姿なんだ。

自分が、自分の命を所有しているわけじゃない。命が自分なんだよ。

だから、おまえを生きている命と、私を生きている命は、一つの同じもの。

私が「私はおまえだよ」だとか、「すべてがおまえだよ」って言うのは、そういうことなんだ。


(「あの世に聞いた、この世の仕組み」第3章より)

*****


あらゆる存在は、いま、ここで、常に変化し続けています。

存在を分離・分割・区別することなく、その「すべて」を捉えたとき、それは生じもしなければ消滅することもありません。

ただ、その状態を変化させているだけで、それは在り続けます。

その変化そのものが、唯一の生命活動です。

変化するものすべてが、生命体です。

そして、僕たちが存在するすべての次元において「変化しないもの・動かないもの」は何一つ存在しません。


「性質・状態(be)」の「現在進行形(ing)」、それが「実在(being)」です。



う~ん。ちょっと難しくなっちゃったかな…


←通じた方も、通じなかった方も。
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やわらかアタマ(解答編)

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さて。

昨日のマッチ棒パズルはお楽しみいただけましたでしょうか。

今日のエントリは「解答編」となりますので、答えを見たくない方はご注意ください。

※前記事(出題)はコチラ


ではでは。



【Q1】


マッチ棒を3本だけ動かして、魚の向きを逆転させてください。


【A】




【Q2】


マッチ棒を3本取り去って、同じ大きさの三角形を6個にしてください。


【A】




【Q3】



アケミさんがチンピラに絡まれ、無理矢理ホテルに連れ込まれそうになっています。

マッチ棒を1本だけ取り去って、助けてあげてください。


【A】


(110TEL ※110番に電話)



【Q4】



人生がなかなか思い通りに進まず、すっかり心配性になってしまったアケミさん。

ホテルの一件で取り去った1本のマッチ棒を使って、アケミさんに「引き寄せの法則」の極意を伝えてあげてください。


【A】




←これも皆様を信頼できてこそ。
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