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苦諦

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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いやいや、久々に凄いコメント数ですね。

先ほどザッと拝読しておりましたら、「このコメント欄のありさまを、黒斎さんはどう思っているのだろう」といった様な書き込みもございましたが、ごめんなさい。

コメント欄の喧噪も知ることもなく、連休中は家族と共にキャンプ場でゆっくりと寛いでおりました。

そんなこんなで、ただいま虫さされによる体中の痒みに悶絶しております。

小生、体中に乳首が増殖したかのようなセクシーな状態になっておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。


さて、それはさておき、「苦しみ」のお話を続けてみようと思います。

これまでコメント欄でご指摘いただいていたように、一言で「苦」と言っても、色んな「苦」がありますよね。

肉体的な苦しみと精神的な苦しみは、やっぱり「同じ」とは言いづらい。

そこら辺のことを、「苦しみ研究」の第一人者であるお釈迦様は、このように解説しました。

『苦って言うのはね、色々あるんですよ』と。


実は以前も仏教テーマの時にお話したことのあるものなんですが、今日はまた別な言い方に書き換えてお話してみたいと思います。

まず、お釈迦様の話の前提は、初転法輪経に出てくる『苦諦(くたい)』からスタートします。

これは、「苦であることが真理である」というお話です。

お釈迦さまは「苦」という言葉で「この世の真実」を表現しましたが、この「苦」、元は「ドゥッカ(duHkha)」というサンスクリット語から来ています。

「ドゥッカ」の「ドゥ(duH)」は、「悪い」を、「カ(kha)」は「状態」を表すそうです。

それをつなげて「悪い状態」の意。

ですので、「苦」とはいえ、その意味は僕たちが普段使っている「苦」とは、ちょっとニュアンスが異なるそうです。

「苦しい」というニュアンスの他にも「空しい」、「不満」、「不安定」などといった意味合いも含まれるそうなので、最近の僕たちの感覚では『ストレス(ひずみの生じた状態)』といったニュアンスの方が近いのかもしれません。

なので、この『苦諦』を、ぐっと現代風に訳すと『人生とは、ストレスである』といった感じでしょうか。


で、お釈迦様はまずこのストレスを、2つに分けて解説しました。

それが『二苦』。

1つは「精神的・肉体的に自分自身の内的な要因をもとに現れるストレス」(内苦)。

もう1つは、「自然災害や他人からの迫害など、外的な要因によってもたらされるストレス」(外苦)。

これを、僕の状況(虫さされ)で例えるなら、「虫に刺された」というのは外からの要因で「外苦」。これから「ちっ、こんなことならキャンプなんて行かなきゃよかった!」などというふうに不満を募らせたとしたら、内側からの要因なので「内苦」。

でも、仏教の中心となる教えは、「たとえ外的な要因であっても、それを内に感じていくところに苦があるんだからさ」という感じです。


で、お釈迦様の解説はさらに進み、今度は「ストレス」を3つに分類します。

『三苦』と呼ばれるのですが、その中身は「苦苦(くく)」「壊苦(えく)」「行苦(ぎょうく)」の3つ。

と、いうことで、次回はこの『三苦』のお話をしてみたいと思います。



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