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苦しみの源泉

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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このところ、色々な方から「最近の黒斎さんは、なんだか一皮むけましたね」なんてことを言われる様になったのですが、いえいえ、全然そんなことはありません。

折角むけた一皮も、ちょっとしたことで元通り。

ナイーブでデリケートな僕は、また厚い皮をかぶって日常へと戻ってしまいます。

今もそうなんです。

実は、つい先ほどまで雲さんといい具合にコンタクトがとれていました。

そして、「うん。今日はこのテーマで書こうね」という話をしていたんです。

自分で言うのもなんですけど、すごくいい話でした。

が。

さて書こうとPCの前に向かったとたん、そのインスピレーションがプツンと途絶えてしまったんです(笑)

話の概略は何となく覚えているのですが…

と、いうことで。

どこまで思い出せるかはわかりませんが、今日は「苦しみの源泉」というテーマでお話をすすめてみたいと思います。


あ、すみません。またご挨拶が遅れてしまいました。

こんにちは。黒斎(仮性包茎)です。


※「一皮むけましたね」というメッセージ同様、「最近の黒斎さんの品行方正ぶりが目に余ります!」というご意見も多数寄せられておりましたので、しょうがなく下ネタを復活させてみました。(自分の品のなさを棚に上げて責任転嫁中)





(  ̄Д ̄) 『なぁ黒斎。ちょっと、話のアプローチを変えてみよう』

( ̄д ̄ ) 「はぁ、それは構いませんけども、どういう話にするんです?」

(  ̄Д ̄) 『うん。先日した話に引き続いて、「苦しみ」にスポットを当ててみようと思うんだ』

( ̄д ̄ ) 「苦しみですか」

(  ̄Д ̄) 『苦しみは、どこから生まれると思う?』

( ̄^ ̄ )「う~ん。やっぱりあれですか、不満とか、不安とか、そういうこと?」

(  ̄Д ̄) 『いや、苦しみの源泉は、そのもっと前にあるんだ』

( ̄д ̄ ) 「もっと前?」

(  ̄Д ̄) 『不満や不安を感じるのは、「その不満や不安を感じている自分がいる」というのが前提にあるんだよ』

( ̄д ̄;) 「ま、そりゃそうですけど…」

(  ̄Д ̄) 『他者や外界から区別して意識される自分。その「自意識」が苦しみを生み、そしてその「自意識自身」が苦しみを感じているんだ。それを「自我」っていうんだけどね』

( ̄д ̄ ) 「???」

(  ̄Д ̄) 『「私とあなたは違う」という、その感覚が苦しみの起点になるんだ』

( ̄д ̄;) 「つまり、その~、“自我こそが苦しみである”と、言いたいのはそういうこと?」

(  ̄Д ̄) 『いや、そうじゃない。自我は、「苦しみの起点」であっても、「苦しみそのもの」じゃないんだ』

( ̄д ̄ ) 「???」

(  ̄Д ̄) 『「私とあなたは違う」という、その感覚を「問題」にしたときに苦しみが生まれるんだ』

ヾ( ̄д ̄;) 「ちょ、ちょっと待って。まず、“自意識を問題化する”というそのことが、何を指しているのかがわからないんです。抽象的な話じゃなく、もう少し具体的な話になりませんか」

(  ̄Д ̄) 『具体的に…。う~ん、そうだなぁ。じゃあこういう言い方にしよう。「自我・自意識」が問題になるその一つとしては、それが「特別になろう」と競争を始めた時なんだ』

( ̄д ̄;) 「自我が特別になろうと競争を始めた時?」

(  ̄Д ̄) 『うん。自分と何かを比べて「私の方が…」と言うときの「が」が、「特別になろうとしている自我」の“我”。問題を生み出す自我は、自分と自分以外のものを比較し、「より私の方が…」と、なにかと優位に立とうとするんだよ。その競争・戦いが苦しみを生むんだ』

( ̄д ̄ ) 「たとえば?」

(  ̄Д ̄) 『知能・経験・容姿・境遇…、優位に立てるならなんでもいいんだ。まず自我は、ストレートに優位に立とうと努力する。「私の方が知能指数が高い」「私の方がより多くの経験を積んでいる」「私の方が容姿端麗である」「私の方がより恵まれている」「私の方がより成長している」というように』

( ̄д ̄ ) 「でも、頑張ったからといって、何でもかんでも優位になれるってことはないですよね」

(  ̄Д ̄) 『だからこそ、そこに第一の苦しみが生まれる。いくら優位に立とうとしても、上には上が現れる。それでも優位性を求める自我は、その戦いに勝てないとわかってもなお、別なアプローチを通して優位性を確保し、敗者になるまいと次の戦略にでる』

( ̄д ̄ ) 「別なアプローチ?」

(  ̄Д ̄) 『「勝者」を捨てて「犠牲者」になるんだ。特別になれるならなんでもいい。だから、「私の方がより恵まれていない」「私の方がより不幸である」といったように、ネガティブな面で特別になろうとする。自我は、その比較によって生まれた特別さをまとったキャラクターとして自分を確立しようとするんだ』

( ̄д ̄;) 「ちょっと待った。さっき、『自我は敗者になるまいとして次の戦略にでる』って言ってましたよね。これってどっぷり敗者なんじゃ…」

(  ̄Д ̄) 『いや、敗者ではない。「犠牲者」なんだ。「被害者」でもいい』

( ̄д ̄;) 「それ、どう違うんですか…?」

(  ̄Д ̄) 『「犠牲者」や「被害者」になることによって優位にたてるんだよ』

( ̄д ̄;) 「???」

(  ̄Д ̄) 『自分が「犠牲者・被害者」であるということは、そこに対立する「加害者」や「自分を不幸にした原因」があるということなんだ。それがあることによって、「悪いのは私ではなく、対立する何かである」というポジションを得られるんだ。対立する何かを「悪」と見なすことで「善」という立場と優越感を得られる。だからこそ、なかなか不幸はなくならない。その優位性を維持するために「苦しめられている自分」であることに執着し、苦しみを手放すことを拒絶してしまうんだ』





そこから、話はマイケル・ジャクソンへと発展していきました。

続く。




【インフォメーション】

大阪・名古屋でのトークライブにお申し込み頂きました方へのお知らせです。

ご入金をいただきました方のなかに、お名前の記載が無いものがございました。

7月14日付けで、お名前の欄に間違って「オフィスドウン」と入力しご入金された覚えのある方は、下記メールアドレスまでご連絡頂ければと思います。

namagusabose@mail.goo.ne.jp

どうぞよろしくお願い致します。



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