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解脱

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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前回、『悟り』とは、「預流果」を皮切りに、煩悩が順に消えていき、煩悩が消えた分だけ智慧(真理を見極める認識力)が現れていく現象のことを言います、というお話をしました。

今日は、これを別な表現でお話したいと思います。

「悟りの階梯が進み、煩悩が消えた分だけ智慧(真理を見極める認識力)が現れていく」と言うことは、同時に「輪廻の回数が減っていく」というコトを意味します。

こういうコトを言うと、「もし自分が死んでも、また生まれてきたい。」と思っている方から見たら、「冗談じゃない!生まれ変わりの回数が減ってしまうというなら、悟りたくなんてない!」と拒絶されてしまいそうですね。

でも、「何度生まれ変わっても、生まれることが出来る世界は“苦しみの世界”ですよ。」と言われたらどう思います?

「あ、そういうことならもう結構です。苦しみの世界には留まりたくありません。」と、そうなりますよね。

『解脱(げだつ)を目指す』とは、そういうことなんです。


「天国」や「地獄」という言葉を聞くと、どこか「死んだ後に魂が帰る世界」というような印象があるかと思います。

ですが、本当は違うんです。

僕たちは、今すでに、それらの世界のどこかに存在しています。

(とはいえ、本当の意味の「天国」に存在している人は、残念ながらこの地球にはいません。)

僕たちは、その苦しみの強弱はあれど、例外なく「苦しみを生む世界」の中に生きているんです。

「苦しみを生む世界に繰り返し生まれてくる」と言っても、それは「行いが悪かったからこその天罰」ということではありません。

誰のせいでもなく、自分の自由意思において、そこに留まっているんです。自ら苦しみを選択しているんです。

自分の自由意思によって「不自由」や「苦悩」を選択するという、なんとも馬鹿げたことをしているのが人間。

その愚かさのコトを仏教では『愚痴(無知)』と言います。そう。「煩悩」の一つですね。

苦しみを生む原因の一つは、「自分で自分を苦しめているという事実に気づかない愚かしさ」というワケです。


さて、先ほど触れた「苦しみを生む世界」を、さらに6階層(または5階層)に分け、その世界をカテゴライズしましょう。

それが、仏教で言うところの『六道(五道)』です。

下のランクから順に、「地獄界・餓鬼界・畜生界・(阿修羅界)・人間界・天界」となります。

ランクが下がるほど苦しみは深くなり、ランクが上がるほど苦しみは軽くなります。

仏教に詳しくなくても、どこかで聞いたことありますでしょ?

また、この「六道」については、「いまここ塾」の阿部さんが連載をされていたのでご存じの方も多いと思います。

※とてもわかりやすく六道のコトを教えてくれていますので、ご一読をオススメします。

「地獄界」 「餓鬼界」 「畜生界」 「人間界」 「阿修羅界」 「天界」


「自分の望みが思いどおりに叶う世界」、そんな世界のコトを、「天国」と捉えている方も多いかと思います。

上記六道の「天界」は、まさにそういう、満足感・達成感に溢れた世界。

ですが、この「天界」も実は本当の意味での「天国」ではありません。せいぜい「自我」が喜びを得る程度の「疑似天国」なんです。

「天」とはいえど、まだまだそこには「自我」があり、「欲」に元ずく世界ゆえ、苦しみの種は残っています。

満足感・達成感を維持しようと、そこに「執着(欲)」が生まれた途端、一時の幸福感もつかの間、あっという間に下の次元へ落ちてゆくこととなります。


『解脱』は、この疑似天国も超えた世界への飛翔を意味します。





さて、以上の話を踏まえて、再度「悟りの階梯」のお話へと戻っていきましょう。





っていうか、やっぱこのシリーズ、なんか堅っ苦しくない?



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