いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
僕がしようとしているコト
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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今日は、「僕がしようとしているコト」と題しまして、このブログにおいて、僕が何をしようとしているのか、ということを改めて書いてみたいと思います。
最近また、「結局あなたは何を言いたいのか?」とか、「伝えようとしていることが何なのか掴めない」的なコメントも見受けられますもので…^^;
本当は、とても複雑で、「コレです」と言い切れないことなのですが、そこをグッと堪えて、素直な気持ちでシンプルに書いてみたいと思います。
ある日、僕はある体験をしました。
その体験は、精神世界や宗教などにおいて、色々な呼ばれ方をしています。
「気付き」「至高体験」「悟り」「アセンション」「預流果」「究極体験」「無我」「覚醒」その他諸々…
うん。やはり、言葉にすると、何とも仰々しい。
どこか、「何を偉そうに。」なんて思われかねない単語群ですよね。^^;
でも、どうかそういう風には取らないでください。
その体験に出会ったからと言って、決して偉いわけでも、凄いわけでもないんです。
まして、自分の意思でどうにか出来るものでもないし。(僕の場合も、例の「セロトニン欠乏」という一要因によって、たまたま人より早めに絶頂に達してしまっただけのこと。)
ですが、その体験に出会うそのことによって、自分の住む世界、次元が変わってしまうこともまた事実なんです。
その体験を通じて、存在のからくりを知ることが出来ました。
「あの世」「この世」「天国」「地獄」、それらの言葉が持つ、本当の意味を垣間見ることが出来ました。
様々な精神世界や宗教で語られる「嘘」と「本当」を、ある程度見分けられるようになりました。
みんながこのことに気付けば、一瞬にして平和な世界が誕生する、ということも知りました。
そこで、僕はこの体験を、ただ伝えるのではなく、出来るだけ沢山の人に実際に経験してもらえる方法を模索しました。
このブログは、まさにその一つです。
一人でも多くの人に、存在のからくりを、宇宙の仕組みを、本当の自分の姿を知ってもらいたい。
僕がしたいのは、そういうことなんです。
ですが、やはりまだ「模索」の域から脱することは出来ていません。
それは、以前お話させていただいたとおり、この体験自体が、学習によっても、修行によっても、意図的に遭遇できない代物だからです。
本当は、僕が何かをしたからといって、どうにかなるものではないのです。
ですから、このブログは、それを承知のうえでの「悪あがき」みたいなモノです。
切っ掛けぐらいになることができれば万々歳です。
「アナタの話はなぜいつも堂々巡りになっているのか?」
みなさんにそう言われてもしょうがないと思っています。
今の僕にはこれ以上、うまく言葉にできないんです。
以前ご紹介した「アハ!体験」で例えるなら、どうしても最後の最後には「だから~!ここにイエスが見えるんだって!」という一言に帰ってしまうんです。
「こうしたら見えるでしょ?」「ここが目で、ここが鼻で、ここが髭で、ここらとここらが茂みで…」と、いくら説明しても、「そんなもん、ちっとも見えないよ。」って言われたら、そこでもうお手上げです。
いくら僕が「気付けよっ!」って声を荒立てたってどうしようもないし。ねぇ。
それでも、こう伝えたら気付けるんじゃないか、こう表現したら伝わるんじゃないかと、あがいてはみるのですが…
最終的には「ここにイエスが見えるぞ。」ってだけの話ですからね。
結局は、どうしても同じ話の繰り返しになっちゃうんですよ。
これからも同じ話の繰り返しになってしまうとは思いますが、それでも僕の悪あがきに付き合ってくれるという寛大な方は、今後ともよろしくお願いいたします。
←応援されると、悪あがきにも気合いが入ります。
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今日は、「僕がしようとしているコト」と題しまして、このブログにおいて、僕が何をしようとしているのか、ということを改めて書いてみたいと思います。
最近また、「結局あなたは何を言いたいのか?」とか、「伝えようとしていることが何なのか掴めない」的なコメントも見受けられますもので…^^;
本当は、とても複雑で、「コレです」と言い切れないことなのですが、そこをグッと堪えて、素直な気持ちでシンプルに書いてみたいと思います。
ある日、僕はある体験をしました。
その体験は、精神世界や宗教などにおいて、色々な呼ばれ方をしています。
「気付き」「至高体験」「悟り」「アセンション」「預流果」「究極体験」「無我」「覚醒」その他諸々…
うん。やはり、言葉にすると、何とも仰々しい。
どこか、「何を偉そうに。」なんて思われかねない単語群ですよね。^^;
でも、どうかそういう風には取らないでください。
その体験に出会ったからと言って、決して偉いわけでも、凄いわけでもないんです。
まして、自分の意思でどうにか出来るものでもないし。(僕の場合も、例の「セロトニン欠乏」という一要因によって、たまたま人より早めに絶頂に達してしまっただけのこと。)
ですが、その体験に出会うそのことによって、自分の住む世界、次元が変わってしまうこともまた事実なんです。
その体験を通じて、存在のからくりを知ることが出来ました。
「あの世」「この世」「天国」「地獄」、それらの言葉が持つ、本当の意味を垣間見ることが出来ました。
様々な精神世界や宗教で語られる「嘘」と「本当」を、ある程度見分けられるようになりました。
みんながこのことに気付けば、一瞬にして平和な世界が誕生する、ということも知りました。
そこで、僕はこの体験を、ただ伝えるのではなく、出来るだけ沢山の人に実際に経験してもらえる方法を模索しました。
このブログは、まさにその一つです。
一人でも多くの人に、存在のからくりを、宇宙の仕組みを、本当の自分の姿を知ってもらいたい。
僕がしたいのは、そういうことなんです。
ですが、やはりまだ「模索」の域から脱することは出来ていません。
それは、以前お話させていただいたとおり、この体験自体が、学習によっても、修行によっても、意図的に遭遇できない代物だからです。
本当は、僕が何かをしたからといって、どうにかなるものではないのです。
ですから、このブログは、それを承知のうえでの「悪あがき」みたいなモノです。
切っ掛けぐらいになることができれば万々歳です。
「アナタの話はなぜいつも堂々巡りになっているのか?」
みなさんにそう言われてもしょうがないと思っています。
今の僕にはこれ以上、うまく言葉にできないんです。
以前ご紹介した「アハ!体験」で例えるなら、どうしても最後の最後には「だから~!ここにイエスが見えるんだって!」という一言に帰ってしまうんです。
「こうしたら見えるでしょ?」「ここが目で、ここが鼻で、ここが髭で、ここらとここらが茂みで…」と、いくら説明しても、「そんなもん、ちっとも見えないよ。」って言われたら、そこでもうお手上げです。
いくら僕が「気付けよっ!」って声を荒立てたってどうしようもないし。ねぇ。
それでも、こう伝えたら気付けるんじゃないか、こう表現したら伝わるんじゃないかと、あがいてはみるのですが…
最終的には「ここにイエスが見えるぞ。」ってだけの話ですからね。
結局は、どうしても同じ話の繰り返しになっちゃうんですよ。
これからも同じ話の繰り返しになってしまうとは思いますが、それでも僕の悪あがきに付き合ってくれるという寛大な方は、今後ともよろしくお願いいたします。
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