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日々是好日

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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「日々是好日(にちにちこれこうにち)」という禅の言葉があります。

辞書でその意味を見てみますと、「毎日毎日平和で楽しい日が続く。(大辞泉より)」とあります。


「毎日がいい日」

なんてことのないフレーズに見えてしまいがちですが、禅的解釈で捉えると、全く別なものが見えてきます。


この言葉、もともとは中国唐時代の雲門文偃禅師(864-949年)の禅問答中に生まれた言葉で、その意味は「毎日が良い日でありますように。」と願いをこめているのではありません。

雲門禅師が弟子たちに出した「15日以前のことはさておき、これからの15日以後の心境を一言で述べなさい。」という公案(禅宗において、修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題)に対する答えなんです。

(  ̄Д ̄) 『15日以前のことはさておき、これからの15日以後の心境を一言で述べなさい。』

この公案に対し、弟子たちは「15日以前のことはさておき…」については「過去に囚われるなという意味だな」と理解できたのですが、「これからの15日以後の心境を…」が上手く掴めませんでした。

ある者は考え込み、ある者は「15日後に答えよう…」と思い、ある者は「今の心境」を答えました。

そこに雲門禅師が

(  ̄Д ̄) 『いや、そういうことじゃないんだよ。』

と、示した言葉が『日々是好日』。


これ、悟りを開くという体験をした者が、その後どのような生活を送ることになるのかを説明した言葉なんです。

(  ̄Д ̄) 『悟りを開いちゃったら、毎日毎日平和で楽しい日。』

そんなニュアンス。

だから、「毎日が良い日でありますように。」という願掛けの言葉ではないんです。


『悟りを開いちゃったら、毎日毎日平和で楽しい日。』

これを、例の「アルコール依存症」の比喩で捉え直すと分かりやすいかと思います。


『アルコールが抜けちゃったら、毎日毎日平和で楽しい日。』


例えば、畑仕事をしている修行僧。

悟りを開く前(へべれけ中)は、その労働は「苦」そのものでした。

カンカン照りの太陽の下、手を豆だらけにして鍬を握り、体力を消耗しながら、食べるために、しょうがなく畑仕事をしています。(グラングランに酔っぱらっている状態で畑仕事なんてしたら、そりゃ苦痛ですよね?)

( ̄д ̄;) 「畜生。なんでこんな思いをしなきゃならないんだ。もっと楽して~。」

雨の日は、雨の日で気分が落ち込みます。

( ̄д ̄;) 「雨かよぉ。身体が重いのは天気が悪いせいだな、きっと。今日は畑仕事休もうっと。え?なに?畑仕事の代わりに本堂の掃除だって?勘弁してよぉ~。今日ぐらい休もうよぉ~。」


ある日のこと、そんな修行僧さんが悟りを開いちゃいました。(悪酔いから醒めました。)

ヾ(≧▽≦)ノ 「ひょー!何この爽快感!!なんでこんなに身体が軽いの!?なんでこんなに頭がパッキパキに冴えてるの!?」

昨日まではあんなに「苦」だった畑仕事。

同じ事をしているのにも関わらず、今度は楽しくてしょうがありません。

燦々と降り注ぐ太陽の下、身体を動かすことが気持ちよく、鍬を振る動作で汗が流れることが爽快です。日々成長する芋の葉を眺めることに喜びを感じます。

雨が降っても「天気が悪い」なんて感じません。降り注ぐ雨粒に感謝の気持ちがいっぱいです。

( ´ー`) 「この雨のお陰で畑がいきいきとする。ありがたいなぁ。それにしても、雨がこんなに気持ちのいいものだったなんて。さて、今日は雨だ。畑に出る代わりに、本堂の拭き掃除でもすることにしよう。」


それまでの「苦」は、「楽しみ」に変わり、毎日毎日平和で楽しい日が続きます。



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